「ひとすじにがんばる心」戦争が奪ったある女優の生涯

「ひとすじにがんばる心」
戦争が奪ったある女優の生涯(2019年11月15日 盛岡局 矢野裕一朗記者)

『戦争が始まった。食べ物もなくなった。それでも園井さんは頑張った。お芝居を続けた。昭和20年8月6日、園井さんは広島にいて原子爆弾の放射能を浴びた。お誕生日の朝だった』

岩手県岩手町で去年、地元の子どもたちが演じた創作劇の1シーンです。

子どもたちが演じたのは原爆により32歳で命を落とすまで演劇一筋に生きた岩手町出身の女優、園井惠子です。

宝塚に憧れた少女時代

園井惠子、本名、袴田トミ。山々に囲まれた岩手町で幼少期を過ごした園井は、小学生のときから雑誌で見た宝塚歌劇団に憧れを抱くようになりました。

高等女学校に進学後も宝塚への夢をあきらめきれず、昭和4年、宝塚歌劇学校への入学を嘆願しようと家族の反対を押し切って単身で大阪に向かいました。

当時は盛岡から大阪まで汽車を乗り継いで丸2日。まだあどけなさが残る16歳の少女にとって大きな決断でした。

夢の宝塚の一員になれたものの

その熱意が認められ園井は特例で入学が許可されます。しかし夢の宝塚の一員にはなれたものの、その後の歩みは華々しいシンデレラストーリーと言えるものではありませんでした。

園井に与えられた役は男役、老婆、ピエロ…。

左がピエロ役の園井

三枚目役も多く、主役を演じることはほとんどありませんでしたが、それでも園井は自身の演技の道を模索し続けました。

24歳のとき園井は次のようにつづっています。

『舞台に立つことは苦しいがそしてまた楽しい。苦しみの中から、喜び、希望がわく。自分の得心のいく芝居のできないほど、悲しく情けないことはない。毎日、自分の一つ一つのセリフにしぐさに、あきたらなさを感じてしかたない』(「歌劇」昭和11年9月号「葉月の日記から」)

志半ばにて被爆

地道に培っていった演技力が徐々に評価を受けるようになり、園井は演技の幅を広げようと昭和17年、30歳の誕生日を前に宝塚を退団しました。その翌年、大きなチャンスを得ます。

国民的スター、阪東妻三郎の相手役で映画「無法松の一生」に出演することになったのです。陸軍大尉の未亡人役の演技が高く評価され、一躍脚光を浴びる存在になりました。

しかし当時の日本は太平洋戦争中で、戦局は徐々に悪化していきました。昭和20年に入ると本土への空襲も激化し、国策にそぐわない劇団は次々に解散に追い込まれていったのです。

当時の演劇関係者が唯一演じることができたのは、地方を慰問して回る移動演劇隊だけでした。その一つが園井が所属した「桜隊」でした。

原爆投下直後の広島

昭和20年8月6日、「桜隊」のメンバーは慰問に訪れていた広島市で被爆します。園井は奇跡的に無傷で神戸の知人宅に身を寄せていましたが、原爆症の症状で急激に体調を崩し終戦から6日後、帰らぬ人となりました。

死の直前まで園井は演劇への情熱を持ち続けていました。

終戦の知らせを受けた園井が岩手の母親に宛てた手紙

『本当の健康に立ち返る日も近いでしょう。そしたら元気でもりもりやります。やりぬきます。これからこそ日本国民文化の上にというよりも、日本の立ち上がる気力を養うためにも何らかのお役に立たなければなりません。何でも知る事です。何でもやる事です。実行!反省そして実行です』

戦後74年 再び脚光浴びる

岩手県岩手町

原爆によって道半ばで亡くなり、「未完」の女優といわれた園井惠子の人生が再び脚光を浴びたのは、幼少期をともに過ごした岩手町の同窓生たちの活動がきっかけでした。

自立した女性としてかつて憧れの存在だった園井の生きた証を残そうと、全国から寄付を募り平成8年には宝塚の正装であるはかま姿の園井のブロンズ像を建設しました。

宝塚歌劇の殿堂

そして去年、園井は宝塚の殿堂に新たに加えられました。殿堂では越路吹雪や八千草薫など往年の大女優たちと並んで、功労者として遺品などが展示されています。園井の存在が大勢の宝塚ファンに再び知られるようになったのです。

子どもたちに劇で語り継ぐ

園井の地元、人口1万3000人の岩手町では夢に向かってひたむきに生きることの大切さが、原爆の悲惨さとともに子どもたちに語り継がれています。

去年11月、町の小学生から中学生まで6人が参加した創作劇では、園井の役を初めて舞台に挑戦する中学2年生の平松純鈴さんが演じました。平松さんもかつての園井と同じく劇団員に憧れる少女です。

劇の最後に子どもたちは全員で園井のブロンズ像に向けてメッセージを送りました。

『苦しかったでしょう。くやしかったでしょう。まっすぐなやさしい心。ひとすじにがんばる心。みんなで受け継ぎます。どうかぼくらを見守ってください』

写真左:宝塚歌劇学校の校長役 武田龍乃丞君(小6)

武田君:
「園井さんは広島で原爆に遭ってもずっと夢を追い続けていたことを学びました。自分も何か困難があっても、しっかりと夢を追い続けようと思います」

園井惠子役 平松純鈴さん

平松さん:
「園井さんを演じたことで、夢を実現するためには一度決めたことを絶対にまげず自分の意見もはっきりと伝えることが大切だと学びました。自分も夢に向かってまっすぐに突き進んでいきたいと思います」

戦争によって奪われた演劇“ひとすじ”に生きたある女優の生涯。

戦後75年のいま、郷土の子どもたちに受け継がれようとしています。