彫刻と平和 伝え続けた生涯

彫刻と平和 伝え続けた生涯(2018年8月16日 宇都宮局 石川由季記者)

晩年を日本で過ごしたハンガリー出身の彫刻家、ワグナー・ナンドールは戦争の経験から、作品を通して平和への願いを伝え続けました。ワグナー亡き後もその思いを受け継ぐ人たちがいます。

何よりも平和を願った

栃木県益子町の静かな里山にひっそりとたたずむ美術館には、ハンガリー出身の彫刻家、ワグナー・ナンドールの彫刻や絵画などの作品、約100点が展示されています。

母親に抱きしめられた子どもを表現した作品は温かみがあり、親の深い愛情が感じられます。

一方で、戦争で亡くなった兵士がモチーフになっている「ハンガリアン・コープス」という作品は、痩せこけた体で苦難を表現し、天高く差し上げた指は希望を見いだそうとする姿を表現しています。

どの作品にも、平和な世の中を願うワグナーの思いが込められています。

戦争に翻弄され続けた人生

彫刻家・ワグナー・ナンドールは平成9年に亡くなるまでの晩年を、栃木県益子町で過ごし、創作活動を続けました。

ワグナーが平和を追い求めた理由はその半生にあります。

1922年にハンガリーに生まれたワグナーは、美術大学の学生時代に起きた第二次世界大戦で志願して戦地に向かいました。

激戦の末で命に関わる大けがを負い、多くの仲間も失いました。ハンガリーの国境近くの街に育ち、国と国との対立にも巻き込まれ、国籍が何度も変わった経験があります。

動乱により亡命を余儀なくされるなど、戦争に人生を翻弄され続けました。

亡命先のスウェーデンでのちに妻となる日本人女性のちよさんと出会い、栃木県益子町に移り住んで創作活動を始めたのです。

武器はとるのは簡単、置くのが大変

ワグナーの作品、聖徳太子の像を前に妻のちよさん(87)は、「普通、剣を配している場所には、剣ではなく、はすの紋章をつけました。それはやはり平和への願いですね」と夫の思いを代弁します。

ちよさんは作品作りを手伝いながら、ワグナーの平和への強い思いをたくさん聞いたといいます。

和久奈ちよさん:
「ハンガリー動乱のときも、武器は持つなということをあらゆる若者に訴えたそうです。武器をとるのはたやすいが、感情にかられて持ってしまうと、置くのが非常に大変になる。ほとんど不可能に近いと言っていました」

作品の思いを伝える人たち

益子町の駅前ロータリーには、ワグナーが構想段階で試作した作品が大きなモニュメントとなって、ワグナーの平和への願いを今に伝えています。

作品は落ち葉が燃やされ、煙が天に返る様をイメージしています。

ワグナーの没後、作品を引き継ぎ完成させたのが、陶壁作家の藤原郁三さんです。

藤原さんは改めてモニュメントの前に立ち「久しぶりに見て、周りの空間になじんできたと感じます」と話しました。

「天に返る煙のように、あらゆる物事は変化する」

藤原さんは、『絶対的なものは存在しない』という考え方が、他者の価値観を認めるワグナーの平和への願いに通じると感じながら、モニュメントを完成させたといいます。

藤原郁三さん:
「絶対的な価値観を持ってしまうと、自分が唯一正しいとして、正しくないものを排除しようとする。そこから紛争などが生まれてしまう。このモニュメントは平和を愛するワグナーさんならではの作品です」

これからやるべきこと 門をあけていくこと

ワグナーの思いを改めて見つめ直そうという活動も、始まっています。

妻のちよさんは、ワグナーが生前に録音した、自らの半生や平和への思いを語った20本のテープを、翻訳する作業を本格的に始めています。

和久奈ちよさん:
「私の役目はあとに引き継ぐ人材を探すということもあるし、これからやるべきことの門を開けるくらいは、しなくてはいけないだろうと感じています」

1人の彫刻家が残した平和への願いが、今に生きる人たちの心に受け継がれていきます。