爆撃は「牛乳配達」のようにしていた

爆撃は「牛乳配達」のようにしていた(2017年8月17日放送 甲府局 上田大介記者)

軍事工場も飛行場もない地方都市が、なぜ空襲の標的になったのか。空襲で両親を失った男性が当時の搭乗員から聞いた答えは、戦争の残酷な現実を表していました。

生き残って抱き続けた疑問

山梨県甲府市で生まれ育った諸星廣夫さんは、14歳の時に体験した甲府空襲を後世に伝えたいと本を書いています。

「なんであんな小さなきれいな町を焼いてしまったんだろうと、これが戦争だというなら戦争を起こした人はなぜ始めたんだろう」という思いです。

1945年7月6日、午後11時47分に始まった甲府空襲では、130機以上のB29の爆撃によって死者は1127人にのぼり、市街地の74%が焼失しました。

諸星さんはやけどを負いながら池の中に隠れて一晩を過ごし、なんとか生き延びました。しかしこの空襲で、諸星さんの両親は命を落としました。

諸星廣夫さん:
「親戚が山梨に疎開してくるので、山梨は安全な所だとみんな思っていました。なんで甲府がターゲットになったんだろうって思いましたね」

執念の調査で明らかになったのは

軍事工場や飛行場がない甲府市がなぜ空襲にあったのか。なぜ両親は死ななければならなかったのか。

諸星さんは当時のアメリカ軍の作戦計画書や、実際にパイロットが持っていた甲府の地図など、国内の図書館や資料館を巡って50点以上の資料を集めました。しかし、資料には甲府市を攻撃する明確な理由は書かれていませんでした。

そこで諸星さんはアメリカの退役軍人のネットワークを通して、甲府の爆撃に参加した搭乗員を探し出しました。搭乗員たちに当時の状況を問い合わせた諸星さんの質問に対する彼らの答えは、衝撃的なものでした。

「私は1945年7月6日のミッションに参加しました。しかしあの夜、自分たちには特に重大なことは何もおきなかったと思います」

「正直にいってその日のことは特に覚えていないのです。夜の空襲はどれもほとんど違いは無いのです」

兵士たちの答えの中には「地方都市の爆撃は3日に1度の牛乳配達のような日常的なものだった」ということばもありました。1000人を超える命が奪われた甲府空襲は、戦争が長引く中で明確な目的や意思のないまま行われた、むなしいものだったと諸星さんは感じています。

諸星廣夫さん:
「すでに大きな目標はなくなってしまって、あとは地方都市だっていうので、あんまり爆弾でやっても意味ないような所もやって。やっぱりやる側とやられる側の違いでしょうね、何を覚えてるんだって、よく燃えたのを覚えてるって、そんなことくらいですよね。自分が降りていって直接人を殺すわけではないですからね」

地方都市への空襲にまで進んでしまった戦争の狂気。同じ過ちが繰り返されないよう、平和への思いを諸星さんは本につづっています。

諸星廣夫さん:
「かつて甲府にもこんな事があったんだということですね、こんな悲惨な事があったんだと、自分たちの享受している平和というのが、こういうことがベースになってできているんだと知っていただければありがたいと思う」

諸星さんは執筆中の本を、来年(2018年)の甲府空襲の日に合わせて出版したいと考えています。