開戦前の知られざる「リンゴ外交」

開戦前の知られざる「リンゴ外交」(2017年8月13日 青森局 廣澤勇也記者)

太平洋戦争の直前、当時の駐日アメリカ大使が本国に送った手紙がアメリカで見つかりました。書かれていたのは、青森県からリンゴを贈られたという話。日米関係が日に日に緊張を増す中、大使はこのリンゴの手紙にある思いを込めていました。

開戦前にアメリカから来たリンゴの木

全国一のリンゴの産地、青森県弘前市の観光農園のなかに、そのリンゴの木はあります。太平洋戦争が始まる10年ほど前、アメリカから持ち込まれました。熟すと濃い赤色になるこのリンゴは、今ではほとんど栽培されていません。

実は戦争の直前、当時の駐日アメリカ大使が、このリンゴにある思いをこめて手紙を書いていました。

手紙に記された思わぬ地名

手紙は去年の秋、アメリカ・メリーランド州の国立公文書館で見つかりました。太平洋戦争開戦の3年前、東京で書かれたものです。差出人は、駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルー。宛先はアメリカ本国のハル国務長官。太平洋戦争の開戦に大きな影響を与えた人物です。

手紙には、「リンゴにまつわる喜ばしい出来事について申し伝えたいことがある」と記されていました。

手紙を発見したグリーン誠子さんです。30年以上にわたり国立公文書館に保管された資料の調査に携わってきました。 青森県弘前市で生まれたグリーンさんは、偶然、手にした手紙に故郷の記述があることに気づき、思わず目を疑ったといいます。

グリーン誠子さん:
「突然、青森市とかゆかりのある弘前市とか黒石市って名前が出てきたんですね。ただ驚いたことと、それからその次に思ったことはいったいこれは何を意味していたんだろうかということでした」

日米で始まったリンゴ交流

手紙には、「2・3日前、青森県知事から1箱のリンゴを受け取った」と、グルー大使がリンゴの贈り物を受け取ったことが記されていました。なぜ駐日大使が、青森県の知事からリンゴを受け取ることになったのか。

理由はその7年前、1931年の出来事にさかのぼります。2人のアメリカ人が、青森県からアメリカに向けて太平洋を横断する飛行に成功。このとき、2人はお土産として青森のリンゴを贈られました。そのお礼として青森に贈られたのがアメリカ西部原産のリンゴ、「リチャードデリシャス」の木の枝でした。

手紙には、「5本の枝木が届けられ、青森県の努力の結果、1936年にはリンゴの実がつきはじめ、収穫が始まった」と記されています。

日米友好の証を伝えたい

リチャードデリシャスは、天皇に献上されるほど立派な実をつけるようになりました。 青森県知事は、感謝の気持ちを伝えようと、収穫した実をグルー大使のもとに送りました。グルー大使は、礼節を重んじる日本人の律儀さに感激したといいます。

このエピソードを詳細に記した上で「国際問題からは遠く離れた日米友好の証で、国務省に伝えるべき価値があると私は信じています」とつづっています。「明確には書いてはないんですが、ハル長官に対して何かを感じ取ってほしいという思いはあったんじゃないかなと思います。本当は戦争とかそういうことを避けたうえで、実はこういう人たちがいる日本という国に大使としての仕事をやり遂げるということを、本当は強く望んでいたんじゃないか」とグリーン誠子さんは考えています。

大使が平和への思いを込めたリチャードデリシャス。青森県によりますと、今では、その遺伝子を引き継いだリンゴが10種類以上作られているということです。