わしら「人間レーダー」だった 舞台は訴える

わしら「人間レーダー」だった
舞台は訴える(2019年11月6日 水戸局 高柳珠希記者)

太平洋戦争末期、全国の漁師たちが船に軍人を乗せて、港からゆっくり太平洋へ出ていきました。国が集めた船ですが、どこで何をしたのか記録はありません。それは漁師たちが「人間レーダー」だったからです。

アニメの巨匠が描いた
戦争漫画

B29との戦闘シーン(「最貧前線」より)

アニメーションの巨匠、宮崎 駿さんが約30年前に描いた「最貧前線」という、わずか5ページの漫画があります。

太平洋戦争の末期、「特設監視艇」という任務に当てられた漁船がモデルです。

「最貧前線」より

「特設監視艇」は、漁師の船から敵の動向を「目視」で確認します。木造の貧弱な漁船が太平洋の沖合でアメリカ軍の偵察を担う、いわば 「人間レーダー」 でした。

その姿を描いた漫画のあとがきで、宮崎さんはこうつづりました。

“なんとか犬死にをしないで、また魚をとるんだ!”っていうね、そういう人たちが出てきてそれを全うする話をね、僕はやってみたいと前から思っていたんです」

闇に葬られた「人間レーダー」

「特設監視艇」とみられる漁船

「特設監視艇」の任務は、木造の漁船から双眼鏡を手にした漁師たちが、最新のレーダーを備えたアメリカの潜水艦や戦闘機を偵察するというものでした。

船舶・海事史の専門家で、「特設監視艇」を長年研究してきた大内 健二さんは、海に出たら戻ってくる保証がない任務だったといいます。

大内 健二さん

「双眼鏡で毎日毎日、洋上を監視して、敵が現れると『敵艦が現れた』という無線を打つんです。
でもその後は船から通信がなくなることが多かった。敵にやられちゃったからです。1隻に乗る民間の漁師は最低15人ぐらいのはずです。たくさんの人が命を失っているんです」

命と引き換えの任務だったにもかかわらず、偵察任務の特殊性から、特設監視艇の事は長くふせられてきたといいます。
敗戦後に漁協が資料を燃やしたこともあって、記録はほとんど残っていません。

写真や映像もアメリカ軍が撮影したものばかりで、日本側が撮影したものは確認されていません。
大内さんは漁師たちが背負った任務を明らかにしたいと、船専門の図書館や古本屋を回って資料をかき集めてきました。

資料からわかったのは、少なくとも400隻の漁船が徴用され、その8割近くが沈没したとみられること。
しかし個々の船がどこで何をして、どのように海に沈んだのか。正確な記録が残っているのはたった1隻だけだといいます。

大内 健二さん:
「具体的にどの船が何をしたのか、掘り起こそうにもそういったものを伝える資料がないんですよ。闇に葬られてしまっているんです」

戦争のリアリティーを舞台に

その「特設監視艇」に、ことしようやく光が当てられました。
宮崎駿さんが描いたわずか5ページの漫画「最貧前線」が、舞台化されたのです。

脚本を手がけたのは、水戸芸術館で舞台部門の芸術監督を勤める井上 桂さんです。
30年ほど前に宮崎さんの漫画を雑誌で読み、厳しい状況にあっても懸命に生きようとする漁師の姿に、戦争のリアリティーを感じたといいます。

井上 桂さん

「漫画の最後に『平和で何よりだなあ』と、漁師が言うんです。そのたったひと言が重く響いて、すごいの読んだと思ったんです。あの時代を必死に生きた人たちの生きざまみたいなものが舞台で再現できたら、多くの亡くなった人たちの無念の思いを舞台で伝えられたらと思いました」

「真剣だから愚かになるんだ」

船長を演じる内野 聖陽さん

舞台では、「特設監視艇」として徴用された1隻の漁船が再現されます。
船長を演じるのは、ドラマや映画などで幅広く活躍している内野 聖陽さん。

内野さんたち漁師は、小さな漁船に軍人たちを乗せて太平洋へ出港しました。
しかし死を覚悟して任務に忠実であろうとする軍人たちと、「生きねばならねぇ」という漁師たちは対照的です。

沖合に見えた影に軍人たちは、「敵の潜水艦だ」と緊張感をみなぎらせますが、漁師たちは「あれはクジラだ」と主張します。

「厳しい訓練を受けているんだ、見間違うわけないだろ!」と、怒鳴る軍人たち。しかし…。

「最貧前線」の1シーン

潜水艦にみえたのは、漁師たちの言ったとおり、クジラでした。

任務を全うしようと必死になるあまり、冷静さを失ってしまうという戦争がもたらす空気について、演じた内野さんこのように話しています。

内野 聖陽さん

「軍人さんたちも真剣で、敵の潜水艦や敵艦を見つけなければいけないという強い思いの中にいるわけです。漁師として普通にクジラを見ている人との間にはギャップがあります。
それをコメディーにしようというわけではなく、人間って戦争で、真剣になっていると、愚かしいことを平気でやってしまう、そうした例えなんだと僕は思うんです」

見て・感じて・考えて

一方、脚本を担当した井上 桂さんは、命が失われながら記録が残されていない事実から、読み取ってほしいものがあると訴えます。

井上 桂さん

「大事なのは戦争にかり出された人たちがいて、その人たちの死に様がほとんど残されていないということですよね。それだけ悲惨だったってことです。
そういう時代があったこと、帰ってこられなかった人たちがどんな思いだったんだろうということ。そこに思いを寄せることが大事だと思うんです。あのときから学べることは何かないかな、という視点で見てもらおうと作りました」

「特設監視艇」を長年研究してきた大内さんも、今回の舞台化を待ち望んでいました。

大内 健二さん

「今から考えると全く無駄だったと思うかもしれないけど、当時の人たちは立派な任務と思ってやっていたわけです。
この軍人は威張っているけど何のためにこんな任務をやっているんだろう、疑問を持たなかったんだろうかとか、そういういろんなことを考えて自分なりの答えを見つけてほしいですね」

舞台が今につなぐもの

舞台「最貧前線」は、ことし夏から約2か月にわたって全国で上演され、ツイッターにはこんな感想が寄せられました。

「舞台で出てくる『どこで流れを乗り間違えたのか』って台詞は現在にも当てはまるかもって考えると、すごく怖かった」

当時と違って今は自分でさまざまな情報を得ることができますが、それでも真実でないことが簡単に広まったり、自分の考え以外を認めず排除したりといったことが見られます。

今回の舞台は、闇に葬られていた「特設監視艇」の悲劇を伝えるだけでなく、観客自身のものの見方や考え方、そしていまの世界が「乗り間違えていないか」と、鋭く問い直しています。