戦後、択捉島を占領したソビエト軍の兵士たち。当時9歳だった男の子は、彼らの奇妙な行動を覚えています。
山中良藏さん(82)は、終戦直後の昭和20年8月28日、択捉島の留別村(るべつむら)の光景を描きました。
当時9歳だったは山中さんは、夏休みが終わった最初の登校日だったこの日、高台にある小学校から、海岸に軍艦が近づき、やがて兵士たちが上陸してくる様子を目撃しました。
山中良藏さん:
「ソビエトが攻めてきたから早く家に帰れ、と先生にせかされ、校舎を飛び出し家へ走って帰りました」
この日の上陸が今に続く北方四島の占領の始まりだったのだと、あとになってわかりました。
上陸からおよそ1週間後。山中さんたちは、村役場の広場に並ぶ兵士の姿を目にしました。
敬礼する兵士たちの視線の先には赤い旗がはためいていました。
旗をよく見ると、それは日本の女性下着、腰巻でした。
「赤い腰巻が、ひらひらって風にたなびいていたんです」と山中さん。
山中さんは前の日、母親から近所のおばさんが干していた赤い腰巻きが盗まれたことを聞いていたので、頭の中で旗と腰巻きがつながったといいます。
当時、ソビエトでは国旗や軍の旗は「赤色」でした。
腰巻の色が赤かったので代用してしまったようでした。
しかし、山岡さんは当時を振り返り、「おばさんの腰巻きを見て、いやな感じがした」といいます。
終戦から2年後、山中さんは、ふるさとの島を追われました。
その後、自由訪問などで何度か島を訪れていますが、その度に山中さんは、兵士が人の家から盗んだ腰巻を旗にしていたあの光景を、占領の象徴として思い出したといいます。
※NHK札幌放送局では2018年、太平洋戦争中に樺太、今のロシア、サハリンや千島列島、北方領土での体験を絵に描いてもらう「樺太・千島戦争体験の絵」を募集しました。このサイトに掲載された絵は、その際に寄せられたものです。