「モスグリーンの青春」特攻隊員を見送って

「モスグリーンの青春」特攻隊員を見送って(2018年8月14日 宮崎局 牧野慎太朗記者)

出撃直前の特攻隊員の日常を描いた漫画が、ことし4月、出版されました。
太平洋戦争をテーマにした漫画というと、戦闘機や戦艦をリアルに描いたものや、戦場そのものの過酷さを描いたものなど、男性目線の作品が主に浮かびますが、今回取材した漫画の主人公は、海軍の基地に勤めていた女性です。

主人公は女性設計士

漫画の主人公の安田郁子さんは、今、93歳です。

東京の専門学校で設計を学んだ安田さんは、群馬県で軍の小型機の設計の仕事をしていましたが、昭和19年、19歳の時にふるさとの宮崎に戻ってきたそうです。

そして宮崎空港の前身、海軍の宮崎航空基地に、設計士として勤めました。

今でも宮崎空港の近くには、爆撃機などをアメリカ軍の攻撃から守るために格納する掩体壕(えんたいごう)が残っていますが、少なくともその1つは安田さんが設計したものです。

飛行機と建築物の設計は全く分野が異なりますが、当時、設計ができる人が少なく、必死に勉強してなんとか掩体壕を設計したといいます。

特攻隊員の「青春」

漫画「モスグリーンの青春」は、安田さんがまとめた手記をもとに、東京の漫画家が描きました。

宮崎基地で働いていた安田さんの目線で、深い緑色の軍服一色に染められた若者たちの青春がリアルに描かれています。

漫画には、ある日、安田さんが基地で作業をしていた時のことが描かれています。

若い特攻隊員から「いつも見てるよ」と声をかけられます。その後も、声をかけられたり、いたずらをされたりするため、安田さんは、腹が立って、いつも無視していたそうです。

ただ、まもなく、この隊員が特攻に出撃したことを知ります。

安田郁子さん:
「後から考えてみると、特攻に行って自分が死ぬのが分かっていたから女の人と話したり、触ってみたりしたいという気持ちがあったのではないか」

死の直前でも思いやりを

また、特攻隊員の優しい気持ちに触れた体験も紹介されています。空襲から逃れるため、安田さんが基地に近い防空壕に逃げ込んだときのこと。

隊員から、手のひらほどの大きさの日の丸を渡され、「袖につけてもらえませんか」と声をかけられました。特攻隊員が軍服の袖に「日の丸」をつけるのは、出撃の時が近いことを意味したといいます。

目の前にいる隊員がまもなく出撃することがわかり、安田さんは、緊張と涙でうまく縫い付けられないでいましたが、この隊員は、長い時間つけているものではないからと言って、「大丈夫ですよ」と気遣ってくれたそうです。

安田郁子さん:
「何か声を出すと、涙声になってしまうから、ほとんどしゃべることができなかった。そのうえ、これから死ぬとわかっている人が、むしろ自分を思いやってくれていると知って、ますます泣きそうになった」

今も忘れられない「死の音」

安田さんが、今でも忘れられない音を聞いた場面もあります。特攻隊員が突撃の合図として送ってくる「モールス信号」の音でした。

防空壕には、このモールス信号を読解する兵士もいて、安田さんにも「1号機、ただいま突入する」といった通信の内容がわかったということです。

このモールス信号の音については、かつて特攻基地のあった鹿児島県鹿屋市が再現しています。私(記者)も実際に聞きましたが、突入を始めた特攻隊員からは、「ツー」という長い音が送られてきます。

しばらくして音が途切れるのですが、まさにその瞬間が特攻機が敵の艦船などに激突し、隊員が命を失ったときなのです。

安田さんは、特攻機から届くこの音を実際に聞いていて、70年以上経ったいまでも時々夢に出てくるほど、強烈に耳に残っているそうです。こうして宮崎基地から飛び立った、約130人の特攻隊員が命を落としました。

漫画で伝え続ける

漫画の出版を記念して、安田さんの住む宮崎県高鍋町の書店では、先月、講演会が開かれました。

安田さんが、死を前提とした作戦に臨んだ特攻隊員の様子を語ると、集まった子どもたちは、「今では想像もつかないくらい衝撃的だった」とか「漫画になってわかりやすい」と話していました。

安田郁子さん:
「戦争のない自由な時を過ごす若い人たちをうらやましく思いますが、その自由を、平和な社会の実現につなげる努力もしてほしいです」