ふるさと樺太の記憶 地上戦の生々しい爪痕

ふるさと樺太の記憶 地上戦の生々しい爪痕(2018年8月9日 札幌局 横山寛生記者)

85歳の男性が描いたのは、終戦直後の樺太で当時13歳の少年が体験した、地上戦の光景でした。

兵士たちは列車に向けて銃撃を始めた

絵を描いた千葉県習志野市の吉田順平さん(85歳)は、昭和20年8月20日、住んでいた塔路を出て、北海道へ向かう船が出港する大泊に向かうため、満員の列車に乗っていました。

列車が途中の真岡駅を発車した直後、「ドーン」という、腹に響く音が聞こえました。

ソビエト軍の艦砲射撃でした。

窓の外に見えたのは、海から近づく軍艦、そして船から浜に上陸する、銃を持った兵士の姿でした。

兵士たちは列車に向けて、銃撃を始めました。

女性から血が流れた

吉田さんは、とっさに手持ちの毛布を頭からかぶりました。

弾を防ぐことができないことは分かっていましたが、その時は弾をよけようと必死でした。

吉田さんは毛布の隙間から辺りをうかがうと、通路を隔てた反対側の席の女性は、顔を両手で覆い、その指の間からは血がぼとぼとと流れていました。

そしてその向かいの席では、小さな子どもが母親の足に抱きつきながら、恐怖でぶるぶると震えていました。

車内にはケガをした人のうめき声や、お経を唱える人の声が響きました。

銃撃を受けた列車は速度を落としてやがて停車し、けがのなかった吉田さんは、列車の窓から飛び出しました。

みんな息絶えていた

そこから港のある大泊までは距離にして40キロでしたが、行く途中で町に人があふれているという話を聞いたため、引き返すことにしました。

道すがらの峠道で吉田さんは、忘れることのできない光景を目にしました。

道に散乱する空の薬莢、日本軍やソビエト軍の兵士たちの死体でした。みんなうつぶせに倒れ息絶えていました。

足を踏み入れたのは、樺太の激戦地の1つ、「熊笹峠」でした。

吉田さんは絵に目を落としながら「そのままは通ることはできなかった。手を合わせ、心の中で読経しながら亡くなった人たちの前を通りました」と話しました。

吉田さんにとってふるさと樺太の記憶は、地上戦の生々しい爪痕とともに、今も鮮明な記憶として脳裏に焼き付いています。

取材の最後に吉田さんは「戦争って人殺しだから、絶対やっちゃいけない」と力を込めて語りました。

※NHK札幌放送局では2018年、太平洋戦争中に樺太、今のロシア、サハリンや千島列島、北方領土での体験を絵に描いてもらう「樺太・千島戦争体験の絵」を募集しました。このサイトに掲載された絵は、その際に寄せられたものです。