関門海峡の知られざる
「離島軍事要塞」(2019年7月31日 下関支局 當眞大気記者)

「ほとんど知られていないが、下関には戦時中、軍事要塞になっていた離島がある」

取材先との雑談の中でふと耳にしたこのひと言が、私の好奇心に火をつけました。下関市内の指定文化財リストや地元のガイドブックにも載っておらず、半信半疑で取材を進めると、その離島には今も70年以上前の軍事要塞そのままの雰囲気を感じさせる戦争遺跡が、いくつも残っていることが分かりました。それならばと、直接、島を訪ねてみることにしました。

謎多き戦争遺跡 蓋井島

本州と九州を隔てる関門海峡に面した山口県下関市。その中心部から北西に約20キロ離れた沖合に見えてきたのが、目的地の蓋井島(ふたおいじま)です。

人口80人あまり。東京ドーム約50個分の面積のほとんどは、木が生い茂った森です。

島の戦争遺跡を探して、島の住民もめったに立ち入らないという森を歩くこと20分。突如、目の前に大きな穴が現れました。

おそるおそる穴の奥へ進むと、不思議な半円状の構造物がありました。

内部はコンクリート製で階段も。

登った先には、のぞき窓があったような部屋が。

島の人たちにこの構造物や部屋について聞きましたが、皆その存在は知りながらも、詳しいことはわからないと口をそろえます。それもそのはず、蓋井島そのものが、当時軍の最高機密に指定されていたのです。

忘れられた“最高機密”

太平洋戦争当時、下関市は陸と海の交通の要衝で、日本軍の物資の運搬や兵士の移動の拠点として、戦略上重要な役割を担っていました。そのためアメリカ軍は、機雷によって関門海峡を封鎖するなど、集中的な攻撃をしかけました。

対する日本軍は、“海の要衝”関門海峡周辺に「下関重砲兵連隊」を配置。関門海峡の出入り口にあった蓋井島をはじめ、離島や本州側の各地に陣地を築きました。

こうした軍事拠点の数々は軍の最高機密に指定され、写真撮影や測量はおろか、視察目的での立ち入りも固く禁じられました。とりわけ離島の蓋井島は、いわば“忘れられた存在”となり、部隊の任務など多くが謎に包まれたままとなってきたのです。

島で暮らす72歳の男性が「親がわざと言わなかったのでしょうか。『何も言っちゃダメ』と言われたのでしょうか」と話していたのが印象的でした。

軍事施設の跡が多数

手がかりを求めてさらに取材を進めると、戦時中、蓋井島に配属された元兵士たちが、戦後40年ほどたってからまとめた資料にたどりつきました。

資料には、島の地図が掲載され、あちらこちらに軍事施設が整備されていたことが記されていました。

森の中にあった“洞穴”を進んだ先に現れた、半円状の構造物。資料の地図と重ねると、そこには「第1砲台」という記載とともに、「カノン砲」と呼ばれる高射砲が据えられていたことが分かりました。

階段を登った先に現れた“のぞき窓の部屋”は、敵の艦船や戦闘機の監視にあたり、攻撃の指示を出す司令室だったのです。

「平和教育への活用を」

戦時中は最高機密として扱われ、人々の記憶から“消し去られた”離島で、いったい何が起きていたのか。

私は30年近くにわたって現地調査を続けている、郷土史家の大濱博之さんと出会いました。

大濱さんは、たびたび島を訪れ、資料に書かれた軍事施設の痕跡を探し歩く中で、ある発見をしていました。

砲台に据えられた、高射砲に似せて作られた“偽装砲”です。砲身に見立てた筒状のコンクリートを、石の台座に固定した急ごしらえのつくり。

大濱さんがかつて島で民宿を営み、3年前に亡くなった女性から聞いた話では、軍の命令を受けた島の女性たちがわずか10日ほどで作ったということです。

終戦間際に本土決戦を覚悟した日本軍が、敵に戦力の低下を悟られないよう設置したとみられています。

大濱さんは「ここまで原形をとどめた“偽装砲”は全国的にも珍しく貴重だ」と話し、平和教育への活用につながることを望んでいます。

しかし当時の形をほとんどそのまま残していた偽装砲は、1つだけでした。残りの偽装砲は砲身の部分が崩れ落ち、その役割を伝える痕跡はありません。

戦争の記憶をいまに伝える蓋井島の戦跡ですが、これまで本格的な調査や保存に向けた対策は行われてこなかったのです。

失われゆく記憶を守れ

蓋井島の戦争遺跡のように、地域に眠る貴重な文化財をどう守っていくのか。ことし4月、国は新たな指針の運用を始めました。地域に眠る文化財の保存や活用に向けた計画を立てることで、国の補助が受けられるというものです。

下関市教育委員会文化財保護課の中原周一さん:
「蓋井島ほど戦争遺跡が残っている場所は少ない。今後このような“忘れられた”文化財に光が当てられることになるのではないか。子どもたちの平和学習や地域おこしなど、戦争遺跡の保存や活用について、島の人たちとともに考えていきたい」

終戦から74年がたった今も、多くの謎が残る蓋井島の戦争遺跡。実態の解明、保存や活用に向けた取り組みが、ようやく動き出そうとしています。