あの日も夕日は美しかった グアムの戦争を描き継ぐ

あの日も夕日は美しかった
グアムの戦争を描き継ぐ(2019年8月9日 社会部 小林育大記者)

やしの木の向こうに沈む真っ赤な夕日。描かれているのは70年余り前のグアムです。

“常夏の楽園”として知られるグアムは、当時日米の激しい戦場でした。その戦争の体験を、元兵士が200枚にも上る絵に描き残しました。元兵士が目にしたのは、夕日の美しい島が戦争で変わっていく姿でした。

「ただ涙が出るほどの
美しさだった」

絵の作者は小林喜一さん。長野県の農家に生まれ、17歳で海軍に入隊しました。

    右の白い制服姿が小林さんです。

昭和19年5月、19歳の時に航空隊の一員として着任したのがグアムでした。当時、日本本土をアメリカの侵攻から守るための重要な拠点とされていました。

(絵に記された文章より)
「日本の国では見たこともない椰子の木。異国へ来たという感じがたまらなく嬉しかった。ただ涙がでる程の美しさであった」

グアムを初めて見た日のことを描いた絵に、小林さんはそう記しました。

冒頭の夕日の絵は、グアムで訓練の合間の様子を描いたものです。絵には小林さんのことばが添えられています。

「美しい夕日がマリアナの海へ沈まんとしているこの風景が好きで、いつもここで同年兵と語り合った。故郷をしのび、歌をうたってひと時の青春を楽しんだ」

19歳の青年が、異国で過ごしたつかの間の青春。しかしそれは長くは続きませんでした。

激しい戦闘
ジャングルをさまよって

グアム着任の2か月後、アメリカ軍が上陸に向けて一斉に攻撃を始めました。

空からの爆撃で燃えるやしの林。海からの砲撃で血を流して倒れる仲間。ほのぼのとしたタッチだった小林さんの絵も、変化していきます。

上陸したアメリカ軍に対し、日本軍は夜襲や総攻撃をしかけます。しかし圧倒的な戦力の前に、仲間は次々と倒れていきました。

「断末魔のうめき声だけが、かすかに聞こえる」

日本軍の組織的な抵抗が終わると、小林さんはアメリカ軍の攻撃を逃れながら、捕虜になるまで1年近くにわたって、ジャングルをさまよい続けました。

「もし生きて帰れたら」

小林さんは数々の絵を、戦後、50歳の頃から約30年かけて描き上げました。その数は200枚にも上ります。

絵を描くことは特に趣味ではなかったそうですが、それでも特に定年を迎えたあとはほぼ毎日、まるで何かに取りつかれたかのように筆をとりました。

それは同時に、苦しみを伴うものでもありました。昼間に絵を描いて、その夜は必ずといっていいほど、眠れなくなったといいます。そうまでしてなぜ、絵を描き続けたのでしょうか。

絵の中に、あることばが残されていました。

「もしも生きて帰れたら、親や家族に話してくれ」

ジャングルをさまよう中、腹に重傷を負った同郷の兵士が、自決する前に小林さんに伝えた言葉でした。

「オレは、南の島に眠る戦友のために描いているんだよ」ある時、小林さんは、家族にこう話したといいます。

「父の最期と同じです」

小林さんの絵は、去年1冊の絵画集にまとまりました。タイトルは「南の島に眠る戦友へ」。グアムの戦いで亡くなった人たちの遺族が中心となって、出版しました。今、反響が広がっています。

東京・小平市の八巻敦子さん(85)は、絵画集のある1枚の絵に心を動かされました。

「パンの実を取りに行った二人 殺された」こう記された絵です。
八巻さんが戦後に母親から聞いた、父親の最期の状況と全く同じだったからです。

八巻さんの父の、梁田勝海さんです。当時、グアムの学校で現地の子どもたちに日本語を教えていました。

八巻さんや母親らは戦争が激しさを増す前に帰国しましたが、現地に残った父親は、命を落としました。遺骨は今も帰って来ません。面影を感じられるのは、1枚の写真だけです。

小林さんの絵に心を動かされた八巻さんはことし7月、グアムに慰霊の旅に出ました。訪れたのは、父親が戦死したと聞く、北部のアメリカ空軍基地の近く。

あの絵が、父親の最期を描いていたかどうかはわかりません。それでも絵を携えた八巻さんは、父親の好物だったタバコを供え、ろうそくを立て、そっと手を合わせました。

八巻敦子さん:
「父の魂が漂っている気がして、いろいろな思いがこみ上げてきました。私も80を過ぎましたが、小林さんの絵が、ここまで足を運ばせてくれました。平和であることが一番です。父がいる地の空気に触れて、改めてその思いを強くしました」

200枚の絵に託した記憶

小林さんが、絵を通して伝えたかったことは。
絵画集を制作した1人、東京・北区の内藤寿美子さん(78)から、小林さんの思い入れが特に強かったという絵を紹介してもらいました。

戦死した兵士を埋葬する様子を描いた絵です。亡くなった兵士は小林さんがジャングルをさまよっていたとき、貴重な食料を分けてくれた恩人でした。そのときの心境が、絵に記されています。

「夕陽が真っ赤に燃えて、ジャングル中が見事に染まって皆の涙まできれいにみえた」

初めて見たとき「涙がでる程の美しさであった」と記したグアムの夕日。美しい風景も仲間も、戦争で失われてしまいました。

内藤寿美子さん:
「人と人が殺し合う…。それ以前、喜一さんは、美しい南の島の夕日を見ていました。それが、わずか数か月の間で、まったく違うものに映ってしまうんですね」

絵を描き続けた小林喜一さん(94)は、重い認知症のため、今は受け答えが難しくなっています。しかし去年、絵画集の完成前の本が届いたとき、「俺のグアムだ」と言って、本を抱きしめたということです。

亡くなった仲間のために残した200枚もの絵は、小林さんの代わりに、これからも戦争の記憶を伝え続けていきます。