特攻隊員が遺した漫画

「空が夢だった」
特攻隊員が遺した
漫画(2019年8月7日 高知局 宗像玄徳記者)

みなさん漫画は好きですか?
最近私が出会ったのは、戦時中に描かれた漫画です。飛行機の操縦訓練を描いたものや、体力をつけるために海に飛び込んだり、相撲に励んだりする姿が生き生きと描かれていました。

描いたのは高知県出身の特攻隊員。彼が描いた漫画や絵の裏には、戦争によって未来が奪われた悲しい物語がありました。

特攻隊員は高知の
漫画少年

漫画の作者は、山﨑祐則さん。大正14年に高知市で生まれ、現在の高知県香南市で育ちました。

医者の家庭に育った祐則さんは、当時はなかなか買えなかった子ども向けの本や漫画も、家にあったといいます。その影響でしょうか、祐則さんは漫画を描くのが得意になっていきました。

私は、祐則さんをよく知る人に会いに行きました。祐則さんの4歳年下の妹、田所恭子さんです。

89歳と高齢ながらとても元気な恭子さんに、祐則さんとの思い出を伺うと
「何か描いてと頼むと、何でもシュシュシュっと本当に上手に描いてくれる優しい兄でした」
と目を細めながら振り返っていました。

「布団にくるまれたりしてよくいじめられた」と笑いながら話してくれました。

少年漫画家の夢は
空を飛ぶこと

祐則さんが中学生だったときに描いた、「風船行進曲」というタイトルの漫画が残されています。

体調がすぐれない人に「カイフク」と書かれた風船を渡すと風船が割れて、みごとに回復するストーリーです。

あわせて60ページも

色もついた本格的な漫画です

ページの最後には、著者の名前が記されていました。

ペンネームは、「青空高士」。祐則さんには「空を飛びたい」という夢があったのです。「青空漫画研究会」という漫画クラブを立ち上げるほど、漫画と空への熱意に満ちていました。

今なら航空会社のパイロットをはじめ、空に関わる仕事はたくさんあります。でも祐則さんが夢を見た当時、空を飛ぶには航空兵になるしかない時代でした。

厳しい訓練もコミカルに

祐則さんは16歳の時に三重県の海軍航空隊に入隊。いよいよ夢の第一歩を踏み出しました。
訓練の様子も、祐則さんは漫画に残していました。飛行機の整備を学ぶ様子や、みんなで廊下を掃除する姿が手帳にコミカルに描かれています。

飛行機に乗り込んだものの、操縦に右往左往する様子も

祐則さんの漫画には日常がとても楽しげに描かれ、人が傷ついたり苦しんだりする姿はなく、「戦争」や「軍隊」のイメージとはまったく結びつきません

妹の恭子さんも漫画を手に取りながら、「訓練は本当に厳しかったと思いますが、当時は日本も勝っていたし、飛行機に乗れて毎日楽しかったのでしょう」と話していました。

兄の戦死が変えた

夢の実現に向けて訓練に励む一方で、戦争は次第に激しさを増していきました。

昭和18年、海軍にいた兄の祐俊さんが戦死したという知らせが、祐則さんに届きました。祐則さんが父親に宛てた手紙には、「兄上の仇を討つ覚悟に御座候」と記されていました。

兄の死を境に祐則さんの手紙には、漫画や絵の代わりに「立派な軍人になります」「日夜、軍務に精励致しております」など、軍人としての覚悟や戦争に溶け込んでいく様子が表れ始めました。

妹の恭子さん:
「絵を描くのは楽しい気分でないと難しい。兄は戦死し、一緒に訓練に励んだ仲間も次々と死んでいく。せっぱ詰まった気持ちになって、漫画を描きたいという気持ちがなくなったのでしょう」

「空を飛びたい」と楽しげな絵で空や飛行機を描いていた祐則さんの心境は、「飛行機で敵と戦い、有終の美を飾りたい」と変化していったのです。

ふるさとを飛び、出撃へ

昭和20年2月、祐則さんは家族に手紙を送りました。2月14日に飛行機に乗り、ふるさと高知の空を飛んだことを知らせるものでした。

上空から愛する家族が住む家を見つけた祐則さん。手紙には、
「ご両親様、私が穴のあくほど家を見つめていたのを、虫の知らせでもご存じですか。私は帰りましたよ」
とありました。

飛行機のなかから「ただいま」と大きな声で手を振っていたのかもしれません。これが最後の帰郷になりました。

約1か月後の昭和20年3月21日。祐則さんは、「父上様 母上様 御元気で サヨウナラ」と書き残し、「特攻隊」として九州東方沖に飛び立ちました。

わずか19年の命。祐則さんの夢や希望は、憧れ続けた空で果てたのでした。

注目される漫画

この夏、祐則さんの作品を集めた企画展が高知市で開かれました。

会場には多くの人が訪れ、祐則さんの漫画や手紙を見ていました。

訪れた中学生は「戦争で青春が奪われることはあってはならないことだと思いました」と話していました。

妹の恭子さん:
「まさか、こんなに多くの人に漫画を見てもらうとは、兄もびっくりしていると思う。でも“戦争はせられんぞね”(=土佐弁で“してはいけない”の意)ということが伝われば、喜ぶと思います」

漫画が大好きで、空を飛びたかったという青年の夢が戦争で狂わされ、命まで奪われた悲劇。

平和の尊さを、祐則さんは漫画を通して伝えてくれています。

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