大学生の私たちがNHKの戦争報道で思うこと

大学生の私たちがNHKの戦争報道で思うこと(2023/8/6 NHKスペシャル取材班)

私たち大学生にとって遠く感じてしまう、78年前の太平洋戦争。でもNHKでは、毎年のように戦争の特集を組んでいるそうだ。

ロシアによるウクライナ侵攻も勃発した今、私たちが78年前の戦争を知る意味とは?
制作者は一体どんな思いで制作しているのだろう?

今回私たちはある番組を、制作したディレクターとともに見た。

番組やディレクターとの対話から、私たちは何を感じ、何を受け取ったのか。

(ディレクターや岸田奈美さんの記事はこちらのリンクから)

謎の商人の人物像を追った番組

私たちが見た番組は、8月6日に放送したNHKスペシャル「原子爆弾・秘録 ~謎の商人とウラン争奪戦~」

(番組のサイトはこちら)

こんな内容だ。

78年前、広島・長崎に投下された2発の原子爆弾。
その開発に重要な役割を果たしながらも、これまでほとんど知られてこなかった“ある商人"の存在が明らかになった。

その人物とは、ベルギーの鉱山会社の幹部だったエドガー・サンジエ。

原爆の主な原料となったウランを、当時ベルギーの植民地だったアフリカのコンゴ(現在のコンゴ民主共和国)から密かにアメリカに運び込んでいた人物である。

番組のきっかけとなったのは、サンジエが残していた3万ページに及ぶ未公開資料が、母国のベルギー国立公文書館で見つかったこと。
そこには会社の利益のために奔走した男がはからずも世界を大きく変えてしまう様子や、「核の力」を手にした大国の思惑に翻弄されていく姿が克明に記されていた。

サンジェがアメリカに大量のウランを売り込んだ結果、原爆の開発が実現し、その原爆によって、その年だけで広島で14万、長崎で7万とも言われる命が無差別に奪われた。

サンジエは、果たしてモンスターだったのか。

サンジエが残した資料を読み込んでいくと、「死の商人」としての一面だけではない、純粋に会社の利益を追い求めた、ごく普通のビジネスマンという人物像が浮かび上がってきた。

「祈る」だけじゃないひとつのこと
堀江珠音(大学2年)

堀江珠音さん

私が今回この試聴会に参加した理由は、戦争について、歴史の授業だけでは分からないことを知りたかったから。

授業で学ぶのは教科書に書いてある事実だけ。そこに確かにいた「人」に焦点をあてて学んだことは無かった。でも以前、社会の先生が見せてくれたNHKスペシャルには「人」が確かにいて、戦争が本当にあったことだという認識が一気に生まれたのを覚えていた。

だからそうしたことを知ることができるのではと期待したし、ディレクターがどのような思いで作っているか、話を聞いてみたいと思って参加した。

私が思っていた8月6日や9日は、黙祷して、広島・長崎に落とされた原爆とその被害を忘れず、平和を祈る日。ただ、この日に見た番組は違った。それこそ原爆の被害そのものを伝える話ではなく、歴史の教科書のどこを探しても見当たらないようなビジネスマンの話だった。

放送中、目先の利益にどんどん手を出していくサンジエに怒りを覚え、悔しさがあふれた。

「この人がいなければ原爆、落とされなかったんじゃない?」と何度も思った。

命を奪うものだと分かりながらウラン鉱石を売ってしまったサンジエの行動が理解出来なかった。

でもサンジエの"腹心"、ルロワのお孫さんが話した「(ビジネスとして)最高のもの(ウラン)を手にしながら、それに手をつけない選択などできたでしょうか?…私にはわかりません」ということばで、全てが腑に落ちた。

例えば、人間の力では制御できないが高値で取引できるものを手に入れたとしたら、その危険性は頭をよぎりながらも、自分自身のために売ってしまうかもしれない。これはサンジエだけでなく、私たちにも言えることだったのだ。

自分の欲望のままに選択をしていくと、時に取り返しのつかない事につながってしまう。

これに気づけていないから、戦争が終わらないんだと思わされた。

ディレクターが今回の番組を制作した意図を教えてくれた。

「戦争を支えている人たち」に注目することで、いまに続く戦争の構造を明らかにしたい

そのことばを受けて、自分の国が戦争の当事国になったウクライナ出身のディレクター・カテリーナさんが語った、

「平和を祈るだけじゃ、どうにもならない現実がある」

…ということばが、重く重く響いた。

世界では、今なおとどまることなく、核の力による威嚇が繰り返されている。

「まだ、終わってない」

これは今回、1番強く感じたことだ。二度と原爆を使わない、使わせないために、自分、時に隣の人を見て、取り返しのつかないことになる前に止める。それが私たちが負の連鎖を始めさせないためにできる、「祈る」だけじゃないひとつのことだ。

HP(体力)が削られる番組、でもそれでいい
堀祐理(大学4年)

堀祐理さん

私は小学4年生のころから社会に影響を与えられる記者という仕事に憧れてきた。そしていつも番組を見る度に、番組の裏側には誰がいてどんな思いで届けようとしているのか?いつか作った人の顔を見てみたい、と思い続けてきた。

特に今回は78年前の戦争ということで、作り手はどのように見る人に関心を持たせようと工夫しているのか?たくさんの事実をどのように切り取って構成するのか?知りたいと思って今回参加した。

この番組自体は賛否両論のある伝え方だったのではないかと思う。78年前の戦争については被害者の声を伝えられることが多いために、こうした角度から切り込む番組に違和感を覚えてしまう視聴者も存在するのではないかと考えたからだ。

ただ私は今回の番組を見て、善人と悪人ははっきり分けられないと感じた。私たちは1つの戦争を常に多角的に観察し、学ぶべきではないかと思った。

もしかしたら、電車で座っている隣の席のビジネスマンが、歴史上悪い意味で鍵を握っているかもしれない。

そう思うと社会の中の不安因子を見つけられるようなスキルを持たなければならないという意見もあると思う。

しかし私は本当に見つけられるのか?また見つけたとしてその人に自分が何かしらの影響を与えられるのだろうか?と考えると、正直、無力感を感じてしまった。

そしてその人を本当に100%批判できるのか。もし間違っていたら…そんな迷いも生まれ、正直私には答えを出すことができなかった。一生かけて考えても答えが出なさそうだ。

「沈黙に意味を持たせず、そのまま伝える」

番組のディレクターが私たちに語ってくれたことだ。

番組の主人公のサンジエは、生涯、原爆について語ることはなく沈黙し続けた。それはなぜだったのかについては、どれだけ取材しても情報は出てこなかったという。

しかし今回はそのことに解釈や意味をつけることなく、情報がないことをそのまま伝えたのだという。

私は度肝を抜かれた。意味がないと人間はモヤモヤしてしまい「結局言いたいことは何なの?」というような意見を持ちがちであると思うが、今回のNスペでは、沈黙がそのまま伝えられていたのにも関わらず、モヤモヤなどが全く発生しなかった。

その理由はサンジエという1人の人物から、戦争や原爆が素直に語られていたからだと思う。

情報がないこともまた情報であるのだ。

空白がこれほどまでに人の気持ちを揺らがすとは考えもしなかった。視聴後、自分自身のHP(体力)がNスペによって削られていることを実感した。でもそれでいいと思った。

遠く感じてしまう戦争 自分ならどう伝える?
中道誉悠(大学1年)

中道誉悠さん

私は記者の仕事に関心を持っている。同じ事実を伝える報道でもそれを発信する人によって論調が変わると感じることが多く、生の情報を自分でとってくることに興味を持ったからだ。

今回は、遠く感じてしまう戦争をテーマに対してディレクターはどのような思いで番組を作ったのか知りたいと思って参加した。

番組については、てっきりこういう日(8月6日)だから被爆者の話や広島や長崎に落とされた原爆の映像から始まると思っていたが、違ったので驚いた。

さらに日本に落とされた原子爆弾には、ベルギーとコンゴという名前だけは知っているが身近ではない国が関係していたのかということ、そして1人の商人が原爆の主な原料となるウランの鍵を握っていたことにも驚いた。

対話の中で印象的だったのは、カテリーナさんが話されていた「平和を祈るだけじゃ、どうにもならない現実がある」ということばだ。日本中で平和を祈る日、母国で戦争が起きている人に言われて強く心に響いた。

毎年平和を祈り続けているが、それは実際に平和ではない戦争が起こっている場所には無意味なのではないかと思ってしまった。

ウクライナに住む人たちは広島のことや平和についてどう考えているのか知りたいと思ったし、平和を祈るだけでなく実現するために1人では何ができるのかも考えてしまう。

ディレクターの方は「去年お話を聞くことができても今年だったら難しかった、という被爆者もいる」と話されていた。

年々、当時を知る方が減っていっているのだなと改めて実感した。そうした中で今回の番組は、被爆者の方の話を聞くという方法以外で原爆について描いていて、たとえ広島・長崎で起きた出来事を体験した人が少なくなっても、伝えていける可能性があると思った。

ただ一方で、体験していないことを正確に伝えることがどれだけ難しいかということも、番組を制作されたお二人のお話を聞いて思ってしまった。

自分が78年前の戦争について本当に知りたいと思うのは、体験しないと分からないような「恐怖感」や「絶望感」だ。

当時の状況や戦争に至った経緯、従軍した兵士の心情などは資料に残されていると思うが、いつ死ぬかも分からないような極限の緊張感や、ずっと見慣れた場所が焼け野原になり、周りに遺体も見える時に感じる気持ちについては、決して体験者と同じ気持ちにはなれないと思う。

それでも次の世代が戦争を考えるきっかけになるような伝え方ができたら良いなと思う。

見たいものしか見ない時代にどう真実を届けるか
鈴木優(大学3年)

鈴木優さん

私は世界史が好きだ。理由は、どのように世界が成り立ってきたかを知ることができるからだ。

ただSNSでは歴史や過去・現在の事実について様々な情報が出回り、自らの見たいものしか見ない時代に一体どう真実を届けていこうとしているのか?そんなことが知りたくて今回は参加を決めた。

ディレクターの話を聞く中で私が一番印象的だったのが、この8月6日に合わせて公開する作り手側の熱意に並々ならぬものがあるということだった。

広島局に長く勤務し、放送の1年以上前から準備を進めている制作者は、原爆の被害者が最後の一人になるまで、それを伝え続けなければならないという使命感を持ち、遠い昔のようで80年も経っていない第二次世界大戦の記録を届けようとしているという。

主人公の腹心であった人物の子孫へのインタビューについても、日本の公共放送の戦争特番で、日本への原爆投下の遠因となった人物として扱われたら、幾万の日本人からの憎悪を受けるかもわからないのに取材の許可を取り付けた。

そんなところにも執念と熱意、誠実さを感じた。

この時期の戦争特番に求められていることは大国同士の派手な政治的・軍事的対立、国家やその指導者たちの陰謀や野望、軍人たちの戦いといった壮大な内容を描くことだけなのだろうか。

戦争の中を生き抜いてきた市井の人々にスポットを当てる目線があってもよいのではないか。

最前線で戦っている兵士や戦争を指導する政治家だけが戦争の当事者なのではなく、戦争の影響を受けつつも日々の生活を続けなければならない市民、今回であれば大国の戦争に巻き込まれながらもビジネスチャンスを見出して利益を追求するサラリーマンがいるといったことを伝えることに意味がある。

大国同士の対立や政治家・軍人の陰謀などは、学校の授業や歴史書などで知ることが比較的容易であるし、NHKに限らず各テレビ局や新聞社が毎年特集を組んでいる。

とすれば「歴史」の中で語られることのない、戦争の中で日常を過ごしていた普通の人々の暮らしを知りたいと強く思う。

戦争をしていても市民は普段の暮らしを続けていかないといけないし、そこには当然厳しさもある。一方で戦争を奇貨として自分の欲望を満たそうとする人もいる。自分ならそういうことを伝えたいと思った。

8月6日の試聴会