「伝えたい」 被爆者と若者、それぞれの願い

「伝えたい」 被爆者と若者、それぞれの願い(2022/12/13 広島局記者 重田八輝)

来年5月、被爆地・広島で開催されるG7サミット。
核保有国を含む各国の首脳や関係者が一堂に会する絶好の機会に“平和を伝えたい”と願う高齢の被爆者と若者がいます。

“骨になった人が燃えとんですわ”

秋、平和公園には多くのバスが止まっています。

全国各地の小中学生や高校生が修学旅行で訪れます。

ちょうど1年前、広島に赴任した私には驚きの光景でした。

原爆資料館の地下にあるホールには、横浜市の中学校から来た約80人の3年生。

全員が壇上に立つ高齢男性の話をじっと聴いています。

見つめる先には、91歳となる被爆者の山本定男さんがいました。

14歳のとき、爆心地から2.5キロの場所で被爆した山本さん。

原爆投下の翌日、親戚の安否を確認しに広島市の中心部に入りました。

山本定男さん
「大爆発ですよ。なんて表現したらいいんですかね、巨大な岩が一瞬にして砕け散るようなね。もうグワーンという音と同時にね、みんな草っ原に吹き飛ばされてしまいました。爆心地に近い学校はまさに全滅という悲劇になったんですね。翌日、広島市中心部に入ったんですけど、まだ盛んに残り火が燃えてる。道ばたにね、上半身、骨になった人が燃えとんですわ。ああ、これはだめだと。私はすぐに立ち去った」

G7広島サミットは来年5月19日から21日までの3日間、開催されます。

国際情勢が不安定となる中、山本さんは被爆者の思いを世界に発信する重要な場と捉えています。

山本定男さん
「世界中のメディアが集まるわけですから、絶好の機会ですよ。メディアの方にね、広島で起こったこと、原子爆弾でどういうことが起こったのか。これをしっかりと、知ってもらいたいと思いますね」

かつての苦い経験

G7外相会合(2016年)

実は、山本さんはかつて苦い経験をしていました。

それは6年前、広島で行われたG7外相会合のときのことです。

核保有国のアメリカ、イギリス、フランスなど各国の外相が核軍縮・不拡散などを議論。

重要な国際会議の場に、海外から数多くのメディアが集まりました。

証言活動を行う山本さん

この機会に、被爆者の思いを世界に伝えたい。

山本さんは取材拠点の「国際メディアセンター」で企画された証言活動に臨みましたが…。

取材に来たのは国内の記者だけ。

外相会合が終わったあとに設けられた場に、海外メディアの姿はなかったといいます。

山本定男さん
「メディアの方はみんな、ばーって帰ってしまって。もう誰もいなかった。せっかくの機会を十分生かすことができなかったというのは、やっぱり残念ですよ」

海外メディアを集めるには

広島サミット県民会議の事務局

広島サミットでは海外メディアを通じて世界に発信する場をどうつくっていくのか。

開催を支援する「広島サミット県民会議」に話を聞くと、なるべく多くの人が集まれるよう、時間や場所を設定すること。そして事前に海外メディアを対象にしたツアーを実施するといった事前PRなどが重要だとしています。

森岡庸介 平和・若者参画推進課長

広島サミット県民会議事務局 森岡庸介 平和・若者参画推進課長
「サミットの取材をする海外メディアは、基本的にはサミット本体の取材を中心に活動することになります。そういったことを踏まえながらどういった形で情報発信するのがいいかは工夫、検討していきたいと考えています」

工夫を重ね“次こそは世界に”

山本さんが広島サミットに関われるかどうかわかりません。

しかし、次こそはと工夫を重ねています。

その1つが「証言の時間」です。

ふだんは1時間にわたって話をしますが、海外メディアが参加しやすいよう「20分程度」に凝縮した原稿を用意する予定です。

もう1つが「視覚で訴える」。

この絵は、山本さんの体験をもとに地元の高校生が制作したものです。

巨大な炎の塊を見つめる中学生の山本さんの生々しい様子が描かれています。

当時の様子を描いた絵や写真などを使うことで、言葉の壁を越えたいとしています。

“最後のチャンス”

91歳の山本さん。

被爆者の高齢化が進み、核の脅威が高まるいまこそ、世界中に被爆者の声を届けなければいけないと話します。

山本定男さん
「広島サミットは、おそらく世界に訴えるのには最後のチャンスでしょうね。もうこの次、そういう行事が広島であるかどうかわかりませんけれども、やっぱり今、直接伝えられる最後のチャンスなんですね。やっぱり広くみんな、みんながね、声をあげることが大事なんですよ。核兵器廃絶を世界中、世論にして盛り上げていきたい。これが私の願いです」

美術の可能性を信じる若者

“伝えたい”という願いは若者にもあります。

こちらの写真は「広島サミット県民会議」のロゴマーク。

ハトは平和の象徴、折り紙は県内23の市と町をイメージしたものです。

デザインしたのは広島市立基町高校の創造表現コースに通う2年生。

その1人、谷口世那さんは「美術」の可能性を信じて平和を伝えたいと活動しています。

谷口世那さん
「個性や笑顔のあふれる未来への願い。オール広島で取り組むという思い。そして、人々のつながり、認め合う心への願いが込められています。今後、このマークが人々の思いを乗せて羽ばたき、人々をつなげることを願っています」

輝け、飛び立て、アオギリ…

制作は8月から始まりました。

職員室のホワイトボードには、制作当初にひねり出したさまざまなキーワードやアイデアが残されていました。

輝け、飛び立て、ハト、アオギリ、もみじ…。

「やっぱり未来を、ここから広げていく感じがね」「(被爆樹木の)アオギリとかは最初使いよったよね、もみじとかも」

谷口さんたちメンバーは、ボードを前に楽しそうに振り返っていました。

それをもとにつくったロゴマークの案を机の上に広げてもらいました。

「いくつの案をつくったんですか?」と聞くと「…わからないです」と笑いながらの返事。

大量という表現しか私も思いつきませんでした。

「1つに絞るのが難しかった。全部、全部愛着あるもんね」と話す谷口さん。

長い時間をかけて議論した結果“未来に向かっていく”という若者らしいイメージを大事にしたといいます。

メンバーからは「いろんな人に見てもらえると、うれしい」「こんな青春過ごす人おらんね」という声が聞かれました。

美術でチャレンジ

いま、谷口さんは新たなことに取り組んでいます。

被爆者の証言をもとに、当時の光景を描く「原爆の絵」の制作です。

10月下旬、基町高校で被爆者の高齢男性から話を聞く姿がありました。

描くのは男性の父親です。

背中などに大やけどを負い、半年間、寝たきりになったといいます。

被爆した男性
「近くの病院がもういっぱいで診察なんか受けられない。もちろん薬ももらえない。小麦粉、それから赤チンキっていう赤色した傷薬を、これを器に入れてかき混ぜて、ピンク色のペースト状の薬ができるんよ。それをやけどしたところに布きれに塗って貼って。やけどしたところは、もうグズグズになっていた。皮膚の下の赤い部分が出てた。それを朝晩はがすわけだ。はがすたびに悲鳴上げてたもん、大の男がね。だからよっぽど痛かったと思うよ」

美術は世界共通

先輩たちの「原爆の絵」

今までに高校の先輩たちが描いてきた「原爆の絵」は、広島国際会議場で展示されるなど多くの人の目に触れてきました。

91歳の山本定男さんが証言で使う絵もその1枚です。

サミットをきっかけに広島を訪れる人がさらに増えることを期待して、谷口さんは「美術」で平和を訴え続けたいと考えています。

谷口世那さん
「平和というのはやはりいろいろな人の思いがあるからこそ実現するのが難しく、大変なことも多いだろうと思うんですけど、『美術』は世界共通でいろんな人に伝えたいことが伝わる手段だと思います。サミットをきっかけに広島にいろんな人が来て広島の思いや魅力も伝わってほしいし、世界に向けて、みんなが目を向けてくれるような私たちの思いを伝えたいです」

取材後記

G7サミットが広島で行われることになり、たくさんの人たちに話を伺いました。

「偉い人がやることで自分には関係がない」とか「開催時期にほかのイベントができないのはおかしい」といった声も多く聞きました。

要人の警備などで交通規制も行われる見通しで、暮らしへの影響が懸念されます。

サミットを、被爆地・広島から世界に平和を発信する重要な機会にするために。

そして未来を担う若者が何かを感じる機会にできるように。

広島サミットが、各国首脳による大規模な国際会議というだけにとどまらない存在になることを期待しています。