「うちは、いつもにぎやか。おとうさんが写真をとるのがすきだから、すぐにわたしたちをわらわせるの」
公子ちゃんの父親は写真が趣味で、家族の何気ない日常をカメラにおさめていました。子どもたちは動物やピクニックが大好き。でも、その幸せな日常は続きませんでした。
これは、ある日消えてしまった6人の家族のお話です。
公子ちゃんは、広島市で理髪店を営む父、鈴木六郎さんと母のフジエさんとの間に生まれました。大好きな兄の英昭くんと弟の護くん、妹の昭子ちゃんの6人家族でした。
父親の六郎さんが撮った写真には、今も昔も変わらない、子どもたちの笑顔や家族の光景があふれています。
「あしたは、なにをしようかな」
幸せな日常は、突然、断ち切られました。
昭和20年8月6日午前8時15分、アメリカ軍が投下した1発の原子爆弾で、公子ちゃんの一家は、6人全員が命を奪われ、消えてしまったのです。
3年前、一家の写真を広島市の原爆資料館で見て、本にしたいと思った人がいました。絵本作家の指田和さんです。
絵本作家 指田和さん:
「子どもたちのはじける笑顔とか、家族のすばらしい温かい様子を見て、それが最後、原爆で全滅してしまう。こういうことがあってはいけないし、こんな家族が亡くなったということを絶対何かの形にしたい」
本を作るにあたって指田さんがたびたび訪ねたのが、鈴木六郎さんのおいで、公子ちゃんのいとこにあたる、鈴木恒昭さんです。六郎さんが、空襲を避けて親戚に預けていたと思われるアルバムを長年保管してきました。
恒昭さんは、毎日のように学校帰りに理髪店に寄って英昭くんや公子ちゃんと遊んでいたそうです。
鈴木恒昭さん:
「学校帰りに寄っては、アイスキャンディーをもらって犬やネコとも遊んでいた。学校が昼までのときは英昭くんと川で泳ごうって約束してよく泳いだり貝を掘ったりしていた」
公子ちゃんたちの写真と、鈴木さんに聞いた話をもとに、指田さんは写真に添える文章を考えました。印象的だったのはピクニック。戦時中にもいろんなところに出かけていたことに驚いたといいます。
指田和さん:
「戦時色一色とも違う日常があったんだなっていうことは私にとっては驚きだった。とても戦争中とは思えない。でも、それが来ている。ひたひたと」
「ピクニックってだーいすき!いいだしっぺは、いつもおとうさん。おかあさんもニコニコ。いとこのみんなと、じんじゃのおまいりにもいったよ。恒昭くん、ねえ、ちゃんと手をつないで!」
本の後半には、笑顔あふれる日常生活を送っていた公子ちゃんたち6人がどのような最期を迎えたかを記しました。
父、六郎さん。広島市郊外の救護所の名簿に「重症後死亡」とあるのが見つかりました。
母、フジエさん。大やけどをして親戚の家に避難。家族はみんな全滅と聞いて、井戸に飛び込んで亡くなりました。
英昭くんと公子ちゃんは家の近くの小学校で強烈な爆風と熱線を受けました。英昭くんは公子ちゃんをおぶって2キロ離れた救護所にたどりつきました。
2人はそこで別れ、公子ちゃんの行方はそれっきりわかりません。
英昭くんは親戚の家にたどりつきましたが、数日後、大量に出血して亡くなりました。
3歳の護くんと1歳の昭子ちゃんは、理髪店の焼け跡から骨となって見つかりました。
昭子ちゃんの写真だけはどんなに探しても見つからず、ぬいぐるみの写真にしました。もしかしたらこのころは物資がなくて写真を残せなかったのかもしれません。
ことし7月に完成した本「ヒロシマ 消えたかぞく」
指田さんは出来上がった本を持って鈴木恒昭さんを訪ねました。恒昭さんが写真を保管してくれていたからこそ本ができたと、感謝を伝えました。
本を見つめ、「胸がいっぱいです」とつぶやく恒昭さん。表紙になった、ネコをおぶった公子ちゃんの写真が特に気に入っています。
鈴木恒昭さん:
「このかわいらしい顔が、原爆の強烈な光を浴びて大やけどを負い、行方がわからなくなった。これは実際にあったこと。フェイクでも何でもない。二度と、二度とこんなことがあっちゃいけないんだと叫びたい。世界中の指導者の机に置いて、核兵器を使ったらどうなるか考えてほしい」
翌日、指田さんは広島市で開かれたイベントで、本を朗読しました。あとがきに記したことばで、訪れた人たちに語りかけます。
絵本作家 指田和さん:
「鈴木六郎さん一家がいきいきと生きていた事実は誰にも消せない。いまからそう遠くない時代にこの一家のように戦争や原爆で命を落としたたくさんの人がいたこと。決して忘れないでほしい」
取材した私は、広島で生まれ育ちました。原爆が投下されてから74年。昭和20年の年末までに、広島では原爆によって約14万人の命が奪われたとされています。
爆心地付近では、一家全滅し、生きていた証しすら残っていない人たちが大勢います。これまでに話を聞かせてくれた方のなかには、いまだに家族の遺骨さえ見つけられない人や、地方に疎開していて自分だけ生き残り、ことばにできないほどのさびしさや苦労を重ねてきた人もいます。
74年がたつ今でも、つらすぎて自分の体験を語れない人もいます。突然、理不尽に日常が断ち切られ、家族が引き裂かれる。それが戦争です。
鈴木六郎さん一家を通して、原爆や戦争で亡くなった多くの人たちに思いをはせてほしい。指田さんの思いが、1人でも多くの人に届くことを願っています。