崩れゆくトーチカ アートで語り継ぐ

崩れゆくトーチカ アートで語り継ぐ(2022/1/16 帯広局記者 嘉味田朝香)

「トーチカ」とは、ロシア語で「点、地点」という意味で、敵の攻撃から兵士たちが身を隠すための陣地です。

北海道には、日米の地上戦の危機がすぐそこまで迫っていたことを伝える戦跡が今も点在していますが、長い年月による風化や浸食が進んでいます。

崩れゆく「トーチカ」の記憶を、アートで伝え残していく。そんな活動をしている人たちがいます。

このままだと海の藻くずになる

「つい立ち止まって見入ってしまった」

その作品を見た人たちは、口々に強い印象を語ります。

波打つ板の上に貼られた写真には、トーチカの前に立つアイヌの女性の姿。

作者はこの作品に、トーチカの保存に向けた決意と希望を込めました。

こちらの作品は2メートル近くの透明なプラスチックの箱の中に、トーチカの写真が飾られています。

実はこれ、トーチカを模したもので、コンクリート製のトーチカと違って中が見えるようになっています。

訪れた人たちが中をのぞき込むことで、崩れていくトーチカに危機感や関心を抱いてほしいという作者の思いが表現されています。

これらの作品はことし11月に北海道の帯広市で開かれた、トーチカを題材にした作品展で展示されました。

古川こずえさん

作品展を主催した写真家の古川こずえさんは、トーチカの記憶を次の世代に残していく活動をしています。

古川こずえさん
「トーチカはこのままだと海の藻くずとなって消えてしまうと言われています。戦争は二度と起こしてはならないという記憶や証言を残していくために、アーティストである私たちができるアートで発信していきたい」

古川さんは多くのトーチカが建てられた大樹町旭浜の出身で、長年トーチカを撮り続けてきました。

上陸してくる敵部隊の攻撃を防ぐ役割を持つトーチカが、なぜ北海道に数多く残されているのでしょうか?

“本州侵攻の拠点に" 北海道で地上戦危機

太平洋戦争中にアメリカ軍が何を計画していたのかを調べると、ある資料にたどりつきました。アメリカ陸軍戦史センターがまとめた「連合作戦における戦略立案、1943ー1944」です。

それによると戦争の早期終結を目指していたアメリカ軍は、太平洋戦争末期の1945年に北海道に侵攻する作戦を検討していました。

北海道を占領して、本州に侵攻するための拠点を築くことがねらいでした。しかし軍の内部から、北海道を侵攻するには気象条件が障壁になるなどの意見が出され、作戦は実行されなかったこともわかりました。

これに対して旧防衛庁防衛研修所が編さんした「戦史叢書」によると、旧日本軍はアメリカ軍が道東に侵攻する場合、十勝海岸など道東地域から上陸することを想定していました。

そして太平洋戦争末期の昭和19年ごろから北海道の防衛強化のために作られたのが、トーチカだったのです。

建築には地元住民も動員されました。物資の乏しい時期だったため鉄筋の代わりに木が使われていて、コンクリートには周辺の砂利が混ぜられています。

コンクリート自体も手に入らず木で造ったトーチカもあるということです。

浸食、風化 崩れゆくトーチカ

旭浜のトーチカ)

十勝沿岸部にはいまも多くのトーチカが残されていて、このうち大樹町では令和3年時点で21基が確認されています。

しかし長年の波による浸食や風化で崩れ落ちるものもあります。トーチカは所有権が誰にあるのか決まっていないという問題もあり、十勝の自治体も十分な保存ができないのが現状です。

トーチカの内部

当時の地上戦の危機を今に伝える証言者であるトーチカは、徐々に姿を消しつつあります。

古川さんは幼いころから近所にあったトーチカで遊んだり、動員された地元の人の話を聞いたりして育ちました。

古川こずえさん
「何のために作るか一切教えられていなかったらしくて。でもその方はもう亡くなっていないんですよね」

当事者の高齢化が進み、トーチカが作られた当時の歴史について話せる人はもうほとんどいません。

風化していくトーチカと戦争の記憶を少しでも多くの人に伝えようと古川さんが考えたのが、アートでした。

古川こずえさん
「見てもらう人の心に引っかかるものが芽生えてくれたら」

トーチカで住民参加のアート作り

どうすればもっと多くの人にトーチカの歴史を引き継げるか。

ことし11月、古川さんは次の作品展に向けて、賛同する十勝在住のアーティストを集めて話し合いました。

古川さんが目指しているのは一般の住民も参加できる新しいアートです。帯広市で行われた作品展を訪れた人たちから多く挙がったのは、「トーチカを巡りたいが、場所がわかりにくい」という声でした。

そこでバスツアーとアートを融合させた取り組みを考えました。

十勝のアーティストと一般の人たちがトーチカを巡りながら、一緒に作品を作るというものです。

なるべく多くの人が参加できるアートにしようと古川さんが提案したのが、「フロッタージュ」という手法でした。トーチカの側面に紙を当てて鉛筆でこするように書いて形を写し取り、できた作品を会場で展示するというものです。

話し合いに参加したアーティストからはさまざまなアイデアが出されました。

十勝在住の俳人「参加者全員で1人1句。それでちょっと書家の人にかっこよく書いてもらう」

“アートには記憶の風化防ぐ力がある"

古川さんの活動の根底にあるのは「戦争を2度と起こさないために、記憶の風化を防ぎたい」という思いです。

アートにはその力があると古川さんは信じています。私たちに向かって古川さんは目に希望をたたえて決意を語ってくれました。

古川こずえさん
「大きな一歩ではないんですけど、小さな一歩ずつは進んできていると思っています。戦争当事者がだんだん亡くなって戦争の語り手がいなくなってきている時代です。戦争を知らない私たち世代がそれを引き継いで何らかの形で表していかないと、それが途絶えてしまうのでなんとか継続していきたい」

取材後記

「アートには人の心を動かす力があると信じています」

そう力強く言い切った古川さんの目が印象的でした。

私(記者)は沖縄県出身で、祖父母や大叔母たちから戦争体験について聞いて育ってきました。そのため戦争は教科書の出来事ではなく、家族の記憶の一部のようなものでした。

戦後76年。私たちは戦争体験者から直接証言を聞ける最後の世代になります。その記憶を次の世代に残していくことは、非常に難しい課題です。

古川さんの活動は、それに対する一つの答えになると思います。アートは当事者の言葉をそのまま記録した文字や映像ではありません。だからこそ訴えることができるものがあると今回の取材を通して感じました。