基地があった町の戦争体験者が語り始めた「被害」と「加害」

基地があった町の戦争体験者が語り始めた「被害」と「加害」(2021/08/20 熊本局記者 馬場健夫)

かつて海軍の航空基地があった熊本県錦町で、戦争を体験した町内のお年寄りたちに、証言を聞き取る活動が去年から始まりました。

戦争の体験者がますます少なくなり、コロナ禍で面会も難しいなかで、「これが最後の機会だ」と聞き取る人たちは奔走しています。

この町には基地があった

朝鮮半島から引き揚げた土本哲夫さん(84):
「(引き揚げ時に行き倒れた)約40人ぐらいの日本人の死体を見たんです」

戦闘機パイロットだった山口喜代記さん(95):
「(空襲で)ダーンってやられた。ボボンボボンって、挺身隊は全部死んだ。かわいそうに」

80年近く前の体験を生々しく語る、熊本県錦町のお年寄りたち。

町にはかつて「人吉海軍航空基地」があり、大規模な地下軍事施設や滑走路が整備されました。

基地では予科練の教育や特攻隊の訓練が行われたあと本土防衛の拠点としても整備され、今も町内には地下壕が約50か所残っています。

その錦町に3年前にできた「人吉海軍航空基地資料館」では、去年から戦争証言を集める事業を始めました。

館長の蓑田興造さん(44)たちが、終戦時に7歳以上だった町民にアンケートを送ったところ、体験者から戦時中の記憶が寄せられました。

戦争の体験者はますます少なくなっており、去年9月に977人だった「対象者」は、7か月後のことし4月にはさらに64人減少していました。

蓑田さん:
「もうこれが最後のタイムリミットかなという気はしていて、かなり焦りはあります」

語られた「被害」と「加害」

資料館はことし7月までに、78人に聞き取りを実施。

95歳の女性は、旧日本軍の戦闘機が墜落した山で、遺体を回収した際の体験を語りました。

山口トモエさん(95):
「木の葉から血がダラダラ出ていた。そして首が転がっていた。(足を)草でぬぐって、手ぬぐいで巻いて運んだ」

体験者たちが語ったのは、基地があった集落の「被害の記憶」です。

91歳の平山信子さんは15歳の時に空襲にあいました。

平山信子さん:
「(米軍機が)編隊を組んでね、ピカピカに光って、バラバラ、ドーンと爆弾がいくつも落ちて、もう本当になんともいえない音ですね。轟音というか。
無意識に南無阿弥陀仏って唱えていたのをあとで気付いて、自分にいつ当たるかと、もう本当に生きた気持ちはしなかった」

空襲で幼い兄弟を含む、近所の住民4人が犠牲になりました。

平山さん:
「そこに爆弾落ちて、おじさんとおばさんは破片が当たった。お兄ちゃんの方が直撃。肉が散らばっていたそうです」

統治下にあった朝鮮半島での、日本の「加害の記憶」も語られました。

朝鮮半島で終戦を迎えた松尾淑子さん(84)は、日本の警察が現地の人に厳しく当たる様子を記憶していました。

松尾淑子さん:
「警察の方なんかは棒で殴っていじめてたから。アイゴ、アイゴ(あぁ、あぁ)って泣かれていた。大の大人が」

終戦後には、仕返しで警察が焼き討ちされる光景を見、自らも飢えに苦しみました。

誰もが傷つく戦争は繰り返してはいけないと訴えます。

松尾淑子さん:
「もう絶対戦争を起こしてもらいたくない。それだけは子孫、若い皆さんにお伝えしたい気持ちで一杯です」

「町でこんなことがあったなんて」

資料館は中学校で平和授業も行い、次の世代にバトンを渡す取組みを始めています。

錦中学2年生 川越裕泰さん:
「錦町でこんなことがあったのは知らなかったし、怖いなって」

錦中学2年生 鍬本真白さん:
「今のうちにしっかり体験された方の話を聞いて、学習していきたい」

コロナ禍で高齢者との面会が難しくなるなか、時間との闘いが続きます。

蓑田さん:
「『忘れられなくて良かった』って言われる体験者が多いんですよ。それを残すのが責務、責任かな。ちゃんとお話ししてくださる今だからこそ、急いで事業を完遂したいです」

聞き取りで撮影された動画は、資料館で上映するほかに記録集としてもまとめる予定です。

コロナの感染が急拡大したため、8月の聞き取り予定はすべて延期されましたが、感染拡大が落ち着きしだい再開して、来年の3月までに聞き取り作業を終えたいとしています。

8月16日放送より