「戦没オリンピアン」 そのことばをたどってみると

「戦没オリンピアン」 そのことばをたどってみると(2021年7月7日 科学文化部 富田良記者)

オリンピックに出場したあと戦争によって命を落とした「戦没オリンピアン」。

専門家の調査では、日本人ではこれまでに38人が確認されています。

このうちの1人が亡くなる直前まで記録していた日記が見つかり、その内容をもとにした朗読劇を大学の後輩にあたる若者たちが作り上げました。

戦没オリンピアンが残したことばを伝え、その人生に思いをはせるための工夫とは。

日本ホッケーの発展に尽力

1932年に開かれたロサンゼルスオリンピック。

この大会にホッケー日本代表として参加し、メダル獲得に貢献したのが、柴田勝見さんです。

柴田勝見さん

柴田さんは、東京商科大学(現在の一橋大学)ホッケー部を強豪校と肩を並べるほどにまで押し上げ、卒業した年の夏に日本代表に選ばれました。

五輪初出場のホッケー日本代表は、初戦で世界最強と言われたインドに敗れたものの、続く開催国のアメリカ戦では9対2と完勝。3か国中、2位の成績で銀メダルを獲得しました。

柴田さんはその後も会社勤務のかたわら代表選手の選考委員を務めるなど、日本ホッケー界の発展に尽力。

しかし、五輪出場の10年後に陸軍に召集され、出征先の中国で32歳の若さで戦死しました。

柴田さんが残した日記

亡くなった柴田さんの遺骨はその年の秋に遺族の元に届けられました。その時一緒に渡されたのが、柴田さんが亡くなる直前まで記録していた、1冊の日記です。

長年、遺族のもとで保管されていましたが、おととし、一橋大学の戦没者の調査・研究を行う団体「一橋いしぶみの会」に持ち込まれました。

ポケットに収まるほどの日記には、戦地に向かう直前の暮らしや戦場での日常について、事細かにつづられていました。

“娘の入学式 いささかさびし”

“夕刻一家にてささやかな晩餐をしたたむ”

1942年4月には、娘が小学校に入学する心情を記録。

しかし、その数日後には戦地に向けて自宅をあとにしていました。

“雨の日の兵器の手入れは憂鬱なり”

“辛苦、辛苦、夜は相変わらず暑く仮眠できず”

「一橋いしぶみの会」世話人代表 竹内雄介さん

竹内さん
「本人が書いた陣中日記がそのまま残っているのは珍しく、最初目にした時はジンとくるものがありましたし、何かしらの形で伝えなくてはいけないと感じました。

戦争を体験していない人にも分かる形で伝えていくためには、伝える側がいろいろ工夫をして、よりリアルな戦争というものを残していかないといけない」

朗読劇の映像作品に

戦没オリンピアンが残した貴重な記録を多くの人に知ってもらうために竹内さんが思いついたのが、日記をもとにした朗読劇です。

コロナ禍を踏まえ、映像作品として制作することにしました。

劇の脚本と演出を手がけたのは、広島出身の演出家で、平和や原爆に関する演劇を制作している、青木文太朗さん(26)。

青木文太朗さん

戦争を体験していない世代が戦争の記憶とどう向き合ったらいいのかを考えた結果、柴田さんの後輩にあたる一橋大学の学生や卒業生たちが日記を読む過程そのものを劇にすることにしました。

例えば、「夜8時半頃より雨降りだし裏門歩哨にてびしょ濡れとなり仮眠できず顎を出す。夜中降りとおす」という記述について、「読み手」を務める学生たちは、次のような感想を口にします。

雨の中歩哨、つまり見張りをずっとしていたり過酷な環境が書いてあるけど、柴田さんの周りで仲間の誰かが死んだ、とかそういうことがほとんど書いてないのは意外だったかも。

陣中日記、ってことで最初は構えちゃってたけどさ、案外『死』の空気、みたいなものが薄いよね。

青木文太朗さん
「私も戦争の現場にいた人の日記をじっくりと読むのは初めてでしたが、こんなにも人間味にあふれているものなんだっていうのは印象的でしたね。

現役の大学生が柴田さんの日記に触れてどう思うかというのを主軸にしたかったので、日記を読むこと自体を見ている人に追体験してもらいたい」

唐突に訪れる日記の終わり

朗読劇のようす

戦地での日々が淡々とつづられる中、日記は唐突に終わりを迎えます。

出征から4か月後のことでした。

「8月7日、記載なし」

「8月8日、ひと言だけ書いてある。…戦死」

「明らかにこれまでの日記とは違う字で、その二文字は書いてある」

「これ以降は何も書かれていない」

「書かれることはない」

「その最後の文字を書いた人は、なぜ、どんな気持ちでこの文字を書いたのだろう」

新たな戦争の伝え方

朗読劇は30分あまりの映像作品にまとめられ、6月、一橋大学の学園祭でオンライン上映されたほか、東京・国立市の公民館では青木さんも参加して上映会が開かれました。

国立市公民館での上映

観客
「朗読劇の中に今の若者の視点や戸惑いがあったのがすごいと思いましたし、いろいろ考えさせられました」

観客
「戦争について何を伝えられるのかというのをすごく考えて作っていることが分かりました。私も戦争について言っていいのかな、言う資格あるのかなと思うことが多いのですが、学ぶこと知ることをやめないようにしたいなと、きょう改めて思いました」

ことしで戦後76年。当時を知る人が少なくなる中で、記憶を語り伝える役割を戦争を経験していない世代に引き継いでいくことは喫緊の課題です。

青木さんは、オリンピアンの人生をいやおうなく巻き込んだ戦争に、オリンピックを前にした今だからこそ思いをはせてほしいと考えています。

会場で話す青木さん

青木文太朗さん
「戦争を知らない世代はこれからも戦争を見ていかないといけないと思うし、そのうえで知らない世代だからこそ、今までとは違う戦争との向き合い方っていうのもあると思います。

本当に知らない世代だからこそ、あっという間に忘れてしまうので、忘れないためには迷っている途中であっても、今できることを伝えられたらと思います」