イスラエルが描いた“未来予想図”のその後

    イランに立ち向かうという大義名分を掲げて、敵対関係にあったアラブ諸国とは仲直り。パレスチナ問題は後回し。いずれはみんなに必要とされるパートナーに――イスラエルはそんな中東の“未来予想図”を描いてきました。このシナリオはどこまで実現できたのか、最近の出来事から読み解きます。

    目次

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      歴史的な集合写真

      去年5月、私は「イスラエルが描く中東の“未来予想図”」という記事のなかで冒頭で触れたイスラエルの思惑について書きました。

      それから9か月が経ちました。これは2月13日、ポーランドの首都ワルシャワで開かれた国際会議で見られた場面です。

      イスラエルのネタニヤフ首相と、アラブの伝統衣装を着たサウジアラビアをはじめ、国交の無いアラブ諸国10か国の外相らが、同じ記念写真に収まっています。

      会議はイランに対する圧力の強化を目的に、アメリカが開催したものでした。これまで水面下での連携が噂されてきたイスラエルとアラブ諸国、とりわけ湾岸諸国の「禁じられた同盟」が初めてスポットライトを浴びた、象徴的な写真です。

      それはあえて例えるならば、長年、交際が噂されながらもマスコミに絶対に証拠写真を撮らせなかった有名人カップルが、突然手を繋いで、記者会見に姿を現したような衝撃です。

      会議に出席したアメリカのペンス副大統領は、演説にあたって聖書を引用し「長年の敵が味方になった。イサクの子孫(ユダヤ人)とイシュマイルの子孫(アラブ人・イスラム教徒)が同じ目的で初めて和解した。神のご意志で新時代が始まった」と両者の結束を讃えました。

      イスラエルのラブコール外交

      変化の予兆はありました。ネタニヤフ首相は去年10月に国交の無いオマーンを電撃訪問し、国王に面会。これに続いてイスラエルの閣僚3人も相次いで湾岸諸国を訪問し、露骨とも言えるラブコール外交を展開したのです。

      その本気度はイスラエルが提案した鉄道プロジェクト「平和鉄道」からも感じられます。周辺国との対立関係から、イスラエルの道路や鉄道は基本的に国内だけで完結しているほか、航空便もほとんどのアラブ諸国に就航していません。

      こうした中、イスラエルとアラブ諸国がそれぞれ既存の在来線をつなぎ、地中海からアラビア半島を横断して、ペルシャ湾に至る鉄道を立ち上げるという構想です。

      構想には安全保障上の戦略も込められています。ペルシャ湾で有事が発生してイランがホルムズ海峡の封鎖に踏み切った場合、「平和鉄道」があればイスラエルから湾岸諸国に物資を補給することが可能になるのです。

      サウジアラビアの心変わり

      しかしこの9か月で、イスラエルのシナリオどおりに進まなかったこともあります。それは「パレスチナ問題の扱い」です。

      従来、サウジアラビアなどの湾岸諸国はイスラエルとパレスチナの和平が実現するまで、イスラエルとの国交正常化には応じないという立場を堅持してきました。

      イスラエルのシナリオは、この順序をひっくり返し、パレスチナとの和平を脇に置いたままで湾岸諸国と関係を改善し、国交を結ぶことです。

      去年の夏頃までは、このもくろみどおりに事が進んでいるかのように見えました。湾岸諸国側のリーダー、サウジアラビアのムハンマド皇太子の存在があったからです。

      ムハンマド皇太子はトランプ大統領の娘婿でユダヤ人のクシュナー上級顧問と緊密な関係を築き、イスラエルとの関係構築に前向きな姿勢を示していました。

      ところがそのサウジアラビアが予期せぬ出来事から心変わりします。去年10月にイスタンブールで起きたサウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の殺害事件です。事件にはムハンマド皇太子が関与した疑いが浮上し、国際社会からの厳しい非難にさらされました。

      サウジ元駐米大使のインタビュー

      この緊急事態に危機感を強め、介入したとされているのが83歳のサルマン国王です。

      イスラエルのメディアがイスラエル外務省の内部資料をもとに報じた内容では、サルマン国王がムハンマド皇太子から中東和平外交の実権を取り上げ、パレスチナ問題が解決するまではイスラエルとの国交正常化に応じないという、従来の方針に戻したとしています。

      さらにワルシャワ会議の初日、決定的なインタビューが流れました。サウジアラビアの王族のひとりトルキー・ファイサル元駐米大使が、イスラエルのテレビの取材に応じたのです。

      「イスラエルの人々はパレスチナ問題は無価値になったと誤解すべきではない。ネタニヤフ首相はわれわれと国交を結んで、その後にパレスチナ問題に対処すればよいと希望しているようだが、サウジアラビア側は、全く順番が逆だと考えている。」(トルキー元駐米大使)

      トルキー元大使はインタビューの数日前に、サルマン国王に謁見していますから、この時に国王と内容をすりあわせていた事は想像に難くありません。

      釈明に追われる指導者たち

      ワルシャワ会議の前後から、ツイッターには「国交正常化は裏切り」というハッシュタグが登場し、アラブ諸国の指導者たちを批判する声が渦巻きました。

      会議でイスラエルと同席したアラブ諸国の政府は釈明に追われました。ネタニヤフ首相の隣席に座ったイエメンの外相は「主催者側にプロトコールの手違いがあったためだ。パレスチナへの支援姿勢は全く変わらない」と説明しました。また、クウェートでは、政府は国民に公式に謝罪すべきだという声が議会で強まりました。

      一方のネタニヤフ首相はどこ吹く風。自ら会議でアラブ諸国の首脳の近くに座った様子の動画をツイッターに投稿するなど、「歴史的瞬間」のアピールに躍起です。

      初めてスポットライトの下に出てきて「良いお付き合いをさせてもらっています」と交際宣言をするイスラエルと、無言のままのアラブ諸国の温度差は明らかでした。

      窮地の“王様” 選挙の行方は

      この4月には、イスラエルで議会の総選挙が行われます。ネタニヤフ首相は今のところ選挙戦を有利に進めていますが、大きな爆弾を抱えています。

      複数の汚職疑惑です。捜査は大詰めを迎えていて、首相本人が近く収賄罪で起訴される可能性があるのです。

      イスラエルの法律では首相が起訴されても、有罪が確定しない限り失職することはなく、ネタニヤフ首相は職に留まる姿勢です。しかし起訴されれば、ネタニヤフ首相への向かい風が強まるのは確実です。

      この10年にわたり、イスラエルの未来予想図を描いてきたのは、ネタニヤフ首相です。一時は首相と外相、国防相を兼務するなど、大きな権力を一手に握り、国内では「キング」とも呼ばれてきました。その王様が仮に玉座から降りた場合、一定の政策変更は起きるでしょう。

      とは言え、イスラエルとアラブ諸国の接近という大きな流れは変わりません。ホロコーストの惨劇の上に建国されたイスラエルでは、日々国を存続させることこそが最重要課題。イランを抑え込むには、強硬手段もやむを得ないという見方が一般的です。

      さらに頼みの綱だったアメリカがシリアからの撤退を表明するなか、イスラエルが周辺のアラブ諸国と連携する必要性は一層高まっています。

      首相が誰であれ、現状はイスラエルにとって千載一遇のチャンスだと言えます。しかし拙速にアプローチすれば、ワルシャワ会議のようにアラブ側は後ずさりするか、強い反発を招くだけでしょう。恋はあせらず。イスラエルのラブコールは続きそうです。(エルサレム支局 澤畑剛)