Black Lives Matterが意味するもの

「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」

アメリカで黒人男性が白人の警察官に首を8分46秒圧迫されて死亡した事件を受け、全米に広がった抗議デモ。そこで人々が訴えたこのことばは、今や世界に広がっている。
3つの単語、16文字からなるこのことばの背景に何があるのか。
アメリカの黒人の歴史を研究する立命館大学の坂下史子教授に聞いた。

顔写真:紙野記者紙野記者

この言葉はいつ、どのようにして生まれたのでしょう?

顔写真:坂下教授坂下教授

きっかけとなったのは、2012年に起きた事件だ。
2月に南部フロリダ州でトレイボン・マーティンさんという黒人の高校生が夜、フードをかぶって飲み物とお菓子を買って帰るとき、自警団の男性に不審者と見なされて射殺された。
マーティンさんは当時、銃などは持っていなかったが、男性は正当防衛が認められ無罪になった。

それを知ったアリシア・ガルザさんという黒人女性がSNSに投稿した文章、“Black people. I love you. I love us. Our lives matter, Black lives matter”が始まりだ。
直訳すると『黒人の皆さん。私は皆さんを愛している。私たちのことを愛している。私たちの命は大切。黒人の命は大切だ』という意味。
これを見た友人の女性がハッシュタグをつけ、そこからSNSで拡散していった。

この2年後の2014年には白人の警察官による取締りで、黒人の命が奪われるケースが相次いだ。

  • 7月、ニューヨークで違法なたばこを販売していた疑いで、43歳のエリック・ガーナーさんが複数の警察官に取り押さえられ、首を押さえつけられて死亡した。
  • 8月、中西部ミズーリ州ファーガソンで、18歳のマイケル・ブラウンさんがコンビニから自宅に帰る途中、警察官に銃で撃たれて死亡した。
  • 11月、中西部オハイオ州クリーブランドで、公園でおもちゃの銃を持っていた12歳のタミル・ライスさんが、通報を受けた警察官に射殺された。

いずれのケースでも警察官は起訴されなかった。
そのたびに抗議の声が上がり、「Black Lives Matter」(BLM)ということばが、さらに広がっていった。

顔写真:紙野記者紙野記者

いま、この言葉が多くの人に支持されている背景は何ですか?

顔写真:坂下教授坂下教授

「黒人は安心して日常生活を送ることもできない。コンビニに買い物にも行けない。公園でおもちゃの銃で遊べない。命がいつ突然、危険にさらされるか分からない」
そうしたことが繰り返される中、「黒人の命は大切だ」というより、「黒人の命も、黒人の命こそ大切だ」みたいに、直訳だとその多義的なニュアンスは伝わりにくいが、このことばには「絶望感」が表れていると思う。

このことばを拡散した人はたくさんいると思うが、やはり多くのアフリカ系アメリカ人が、命が危険にさらされるとまでいかなくとも、かなり日常生活のレベルで不審者に間違えられるとか、警察に職務質問されるとか、車に乗っていたら、どうでもいいことで、かなりの頻度で止められるとか、いろいろ身に覚えがある。
だからこそ、人々の心に本当に響き、共有されたのだと思う。

顔写真:紙野記者紙野記者

BLMに含まれる意味とは何ですか?

顔写真:坂下教授坂下教授

直接的には黒人の死に対して出てきたことばだが、“Lives”という単語は、決して命だけを問題にしているわけではない。ハラスメントや暴力、常に警察に監視、取り締まられているような日常があり、生活が常に脅かされている。
だから、これは「命」、「生活」、「生きること」を表しているスローガンだと思う。
日本語でひと言では言い表すのは難しいが、究極的には生きる権利、普通の生活を送る権利ということになると思う。

顔写真:紙野記者紙野記者

BLM運動の求める先には何があるのでしょう?

顔写真:坂下教授坂下教授

一貫して求めているのは、個人の偏見や差別がいけないというレベルではなく、構造的な差別の問題を変えないといけないということ。
例えば刑務所に多くの黒人が収監される問題だったり、警察や監獄に予算が多く配分され、コミュニティーの教育、福祉に予算が来ない問題だったり、そういう構造的な部分を変革しようという動きになっている。

顔写真:紙野記者紙野記者

今回の抗議活動で何に注目していますか?

顔写真:坂下教授坂下教授

抗議活動に白人など、黒人以外が多く参加していることが大事だ。

差別を受けているほうの問題ではなく、誰かの不平等を改善するために自分の特権的な地位を捨てられますか、という話ではないだろうか。既得権益を受ける人たちが、意識しようがしまいがそれを支える人たちをどうやって変えられるかということだと思う。難しいことだが。

これまで同じようなことが何度も起きて、動いていた人たちがたくさんいたと思うが、トランプ大統領のもとでアメリカの理念自体が今まで以上に揺らいできている中で、今回はより多くの人々が本当にまずいと思っているのではないか。
ことばが簡単すぎるかもしれないが、切迫感みたいなものを感じる。

今回の事件を受けて、日常的に彼らが直面し、感じている格差、不平等、不当な経験をどうやったらこの先、解決できるのかということの最初の取りかかりとして、警察の予算削減とか、これまで警察と契約していた学校の警備を無くすとか、刑務所の予算を削って教育に回すとか、具体的に明言している自治体もある。
これまでにないすごい速さで動きが出てきている。

構造的差別の問題は今に始まったことではないので、運動自体はたとえニュースに取り上げられなくなったとしても、現状が変わらないかぎり続いていくと思う。

   

Black Lives Matter、日本語では?

「Black Lives Matter」という1つのことばの背景に込められた人々のさまざまな訴えと差別の歴史。日本語でどう訳したらそれを伝えることができるのか。
NHKでは「黒人の命だって、白人など他の人種と同じように大切だ」という訴えがあることを踏まえて、「黒人の命も大切だ」と訳しているが、訳し方にはさまざまな意見がある。
アメリカの社会や政治、歴史などを研究している日本の専門家に話を聞いた。(50音順)

▼立命館大学 坂下史子教授(専門:アメリカの黒人の歴史)

これまでの「Black Power」などのスローガンも日本では英語のまま使われていて、今回の「Black Lives Matter」に関しても日本のデモなどではそのまま使われることが多く、ある程度市民権を得てきていると思う。
助詞の問題に加え、「Black」や「Lives」にも多くの意味合いが含まれているため、カタカナ表記にするのがよいと考える。

▼京都大学 竹沢泰子教授(専門:アメリカや日本の人種主義問題)

「黒人の命は大切だ」と「黒人の命も大切だ」の選択ならば、「は」では誤解を招くので、消去法で「も」だが、「黒人の命を粗末にするな」という訳のほうがしっくりすると感じる。
どちらの訳でも、誰かの命について「大切だ」と言うと、当たり前のことのように聞こえ、人種を特定する理由が分かりにくくなる。この表現だと、黒人に対する暴力の歴史や背景を伝えきれないのではないかと思う。
白人と、黒人や中南米系に対する警察の扱いには明らかな差があり、武器を持たずに射殺された黒人の比率は白人の4倍以上だというデータもある。
すべての命は尊いが、このスローガンを翻訳するにあたっては、黒人の置かれてきた歴史と現在の厳しい現実に目を向けるべきだと思う。

▼慶應義塾大学 中山俊宏教授(専門:アメリカ政治)

運動の固有名詞でもあるので、カタカナでそのまま表記するのがいいのではないか。

▼東京大学大学院 林香里教授(専門:メディアとジャーナリズム)

「黒人の命(生)は大切だ」ではないか。
差別撲滅のスローガンとして使われているが、トランプ政権への異議申し立てという側面もあるのではないか。その動きを伝える際、黒人の命「も」とすることには危うさがある。
というのも、アメリカのトランプ政権の支持者をはじめとする保守派は「All Lives Matter(すべての命が大切だ)」と言って、運動の焦点を「差別反対」から、「命の尊さ」という無難なテーマへずらそうという政治的動きがある。こういう動きがあることを意識すると、「黒人の命“も”大切だ」という表現では、「すべての命が大切」という保守派の曲解へ近づく訳となる。
世界の状況のファクトを伝えるのが報道の役目だとするなら、もともとの英語にalsoやtooという単語が含まれていないにもかかわらず、それをわざわざ足すような「も」とする翻訳は、誤訳だと思う。

▼上智大学 前嶋和弘教授(専門:アメリカ現代政治)

「黒人の命は大切だ」とするのか、「黒人の命も大切だ」とするのか、あるいは「黒人の命こそ大切だ」とするのか、どれもありうるので、1つに決めるのは難しい。どれを選ぶのかも主張の1つになる。
無理に訳せば「黒人の命の重要性も認めろ」かと思う。
同じBlack Lives Matterでも、以前は「黒人の命“は”」「黒人の命“こそ”」の意味合いを持つ、やや過激な主張の運動だったが、今は「すべての人の命は当たり前に重要だ」というように、ことば自身の意味合いが変わりつつある。
一方、「All Lives Matter」ということばは、「すべての命は大切だ」と聞こえるかもしれないが、これはBlack Lives Matterに対抗する白人至上主義のことばで、意味合いは全く異なる。

▼笹川平和財団 渡部恒雄上席研究員(専門:アメリカの安全保障政策)

私はこの運動はすべての命は大切、という前提がもとなので、白人だけではなく、「黒人の命も大切」と言うほうがいいかと思う。
運動の主張は黒人の命だけ守れというものではない。人種を問わずすべての人間の命は大切だ、黒人の命も大切だ、他の人種ももちろん大切だということで、(黒人の立場から)黒人の命だけが大切だ、と言っているわけではない。人間の命の重みを、人種で分け隔てすべきではない、という主張なので「も」を推す。
ただ「は」と「も」は誤解を受けやすいので、「黒人の命を大切に」とすると不要な説明がいらないのではないかとも考えている。

▼慶應義塾大学 渡辺靖教授(専門:アメリカ社会)

文脈にもよるが、あえて意訳をすれば「黒人の命だって大切だ」がいちばん正確ではないか。
文字どおりの直訳は「黒人の命は大切だ」だが、BLMはもともと黒人の3人の女性が始めたハッシュタグで、彼女たちの視点から生み出されたことばとして訳すのであれば、白人の命と比べてというニュアンスが含まれているので、「も」あるいは「だって」がふさわしいのではないか。




専門家の方々に話を聞いてみて、改めて分かったことは、Black Lives Matterという、わずか3つの単語からなる1つのフレーズだが、視点や受け止め方によって、さまざまな訳し方があるということだ。BLMという運動が持つ意味合いは、時代によっても変化しており、NHKの「黒人の命も大切だ」という訳し方は、数ある選択肢の1つでしかない。
私は、必要に応じて訳を柔軟に変えていくことも必要だと感じた。
今回、Black Lives Matterの訳し方を考えることを通じて、この問題の本質を見つめ直すことができたように思う。




取材の最後に、坂下教授は次のように語った。

「アメリカで起きていることを、日本で暮らす外国人やマイノリティーに対する構造的差別の問題として考えることも大切だ。アメリカで起きている差別に反対の声を上げるだけでなく、日本で暮らすマジョリティーとして、日本で起きている差別についても「いけない」と反対の声を上げないといけないし、仕組みを変えていかないといけない」

アメリカで起きている差別の問題に目を向ける一方で、自分の周りで起きている差別には鈍感になっていないか。
現状を変えられるのは差別を受けている側ではなく、差別の構造を支えてしまっている人たちの側にあるのではないか。
そのことを考えながら、取材を続けていきたい。

国際部記者

紙野 武広

平成24年入局。
釧路局、沖縄局を経て国際部。
アメリカ、アジア地域を担当。
軍事・安全保障などを取材。

(共同取材:青木緑、佐藤真莉子、濱本こずえ、藤井美沙紀)