アメリカと中国 パンデミック下の暗闘②

「新冷戦」とも呼ばれるアメリカと中国の覇権争い。
新型コロナウイルスの感染拡大の責任追及を巡り、情報戦が激しさを増す中、中国は各国への医療支援を積極的に活用する「マスク外交」に乗り出している。

これに懸念を強めるアメリカ国内では、中国経済からの切り離し=デカップリングを求める声と米中の2大国の協力を促す声が交錯している。

目次

    マスク外交

    米中「情報戦」の主戦場、ツイッター。

    中国の外交官や国営メディアの英語版のツイッター上には、中国から輸送された大量の医療物資が各国に到着した場面を撮影した画像や、受け入れ国の喜びの声であふれている。

    中国政府は4月10日、これまでに127の国に医療物資を輸送、11の国に医療チームを派遣したと発表。
    輸出した物資はマスク38億6000万枚、防護服3700万着、人工呼吸器1万6000台など総額で102億人民元、日本円で1500億円余りに上るとしている。
    中国政府のいわゆる「マスク外交」だ。

    アメリカ国務省 ガブリエル特使

    中国のプロパガンダを監視するアメリカ国務省のガブリエル特使は、中国の情報戦の重点がこの「マスク外交」の宣伝に移ったと指摘する。

    「中国政府は当初は『ウイルスの発生源がアメリカ』という偽情報を各地で発信したものの、アフリカで否定的な反応が相次ぐなど功を奏さなかった。このため中国の情報発信は、中国政府の行動の賛美へと変わった」。

    ホアン氏

    さらに、中国の情報戦を調査するフランスの大学の研究者ホアン氏は、次のように分析している。

    「マスク外交の宣伝は中国政府の典型的な国際世論工作だ。SNSを通して、自分たちの国際貢献を最大限アピールすることで、中国政府による当初の隠蔽や失敗を隠すのが中国政府の戦略だ」。

    中国政府による告発者の口封じや情報統制、隠蔽が世界的な感染拡大を招いたというトランプ政権の批判を「マスク外交」で覆い隠すねらいがあるのではないかというのだ。

    健康シルクロード構想への疑念

    中国が展開する「マスク外交」のような国際支援は、本来はアメリカ政府の得意分野だ。

    中国にとっては忘れられない苦い経験がある。
    2004年、22万人以上が犠牲になったインド洋大津波のとき、アメリカは空母を派遣して大規模な支援で存在感をアピールした。
    これに対して、中国は目立った貢献を示せなかったのだ。

    だが、今回はその逆の結果になる可能性がある。

    イタリア コンテ首相(左)とトランプ大統領

    この可能性を懸念したのか、トランプ大統領は4月10日、ヨーロッパで死亡者が最も多い同盟国イタリアの支援に乗り出すと表明した。
    その大統領令には「中国とロシアが偽情報を発信する中、イタリアでの支援でアメリカの指導力を示す」と記され、「マスク外交」の対抗措置であることがうかがえる。

    イタリアはG7=主要7か国では初めて中国の巨大経済圏構想「一帯一路」への協力を表明する覚書を交わし、中国との関係を強めている国だ。
    中国政府はそのイタリアで大規模な「マスク外交」を展開している。

    中国 習近平国家主席

    このさなか、中国が明らかにしたのが「健康シルクロード」構想だ。
    習近平国家主席が3月16日、イタリアのコンテ首相と電話会談し、「一帯一路」の一環としてイタリアと協力して「健康シルクロード」の構想を実現する決意を示した。
    この「健康シルクロード」がどのような構想なのか、その詳細は明らかになっていない。

    アメリカ議会調査局の報告書

    ただ、アメリカ議会調査局は4月にまとめた報告書で「中国は『健康シルクロード』で世界の医療・福祉分野での主導権と中国製品の浸透をねらっているようだ」と指摘。
    「バイオ医薬とハイテク医療機器は、中国の産業政策『中国製造2025』が重視する10分野の1つに位置づけられている」と強調した。

    『中国政府は新型コロナウイルスの感染拡大を好機と捉え、「健康シルクロード」という新たな看板のもと、WHO=世界保健機関とも連携して、自国の医療・福祉産業を世界各地に進出させようとしているのではないか』

    アメリカ政府・議会では、そんな疑念が浮上している。

    エア・ブリッジ計画

    中国のマスク外交に対抗したいトランプ政権だが、国内では人工呼吸器やマスクが不足し、現時点では他国を十分に支援する余裕がない。
    むしろ世界各国から医療物資を緊急に輸入しているほか、マスクなどの買い占めに走っているとして同盟国や友好国から批判を受け、苦しい立場に立たされている。

    医療物資の緊急輸入は「エア・ブリッジ計画」と名付けられ、中国、ベトナムそれにタイなどから大量の医療物資を空輸し、アメリカ国内の感染拡大地域に送る計画だ。
    4月19日時点で64の空輸が実行された。
    他国に大量の医療物資を送る中国の動きとは逆の動きだ。

    シカゴに到着した医療物資

    最大の感染地域ニューヨークには4月4日、中国のネット通販最大手「アリババグループ」の創業者ジャック・マー氏などから1000台の人工呼吸器が送られた。
    中国政府はこの空輸に際し、出国の手続きなどで支援したという。

    ニューヨーク州のクオモ知事(民主党)はツイッターに「本日、ようやく良いニュースが届いた。人工呼吸器がニューヨークに到着するのを中国政府が支援した」と書き込み、中国政府に感謝のことばを記した。

    中国国営メディアはこのクオモ知事の謝意を相次いで報じ、中国の外交官もツイートした。
    インド洋大津波から16年、超大国アメリカをも支援する国としての存在感を誇示したかのようだった。

    中国依存からの脱却

    「エア・ブリッジ計画」はまたアメリカの“弱点”をさらけ出した。
    それは、アメリカが医療・福祉産業でも世界の工場・中国に依存している姿だ。

    マスクや白衣などはもちろん、今や医薬品でも中国は世界有数の生産大国だ。
    アメリカが輸入する鎮痛薬は、イブプロフェンが95%、アセトアミノフェンは70%が中国からだ。
    抗生物質も、ペニシリン52%、テトラサイクリン90%、クロラムフェニコール93%が中国に依存。
    ジェネリック医薬品も中国製が多く、原料も中国からの輸入が大半と言われている。

    さらに、アメリカ政府と議会を強く刺激したのが、中国国営の新華社通信のウェブサイトに3月4日に掲載されたコラムだった。

    「世界は中国に感謝すべき」と題したコラム。

    「アメリカのマスクや医薬品の生産拠点は中国」と指摘したうえで、「もしアメリカへの輸出を禁止すれば、アメリカは新型コロナウイルス感染の地獄と化すだろう」と警告。
    輸出を禁止しない中国に感謝すべきと主張したのだ。

    脅しとも受け取れるこのコラムの内容もあり、アメリカ政府と議会では、中国依存からの脱却=脱中国を目指す動きがさらに加速している。

    ナバロ大統領補佐官(右)

    ホワイトハウスで対中強硬派で知られるナバロ大統領補佐官は、4月2日の記者会見で次のように強調した。

    「今回のコロナウイルス危機で得たわれわれの教訓は、アメリカが人工呼吸器やマスク、それに医薬品を過度に国外に依存しているという危険な状況への自覚だ。このような事態を再び起こしてはいけない」。

    アメリカ議会では、与党・共和党だけでなく野党・民主党からも医薬品や医療物資で中国依存を減らし、アメリカ国内での生産を求める複数の法案が提出された。
    議会では、もともと安全保障の分野で中国依存を減らし、中国からの分離=デカップリングを求める強硬派の声が強かったが、新型コロナウイルスの感染は脱中国の流れを安全保障以外の分野にも広げ、超党派で支持されつつある。

    ワクチン外交 協力への道

    一方、アメリカ国内では、中国と対立しながらも協力を探るべきだという声も上がっている。

    4月3日、オルブライト元国務長官やヘーゲル元国防長官、チャートフ元国土安全保障長官など共和・民主の元政府高官や大学教授など100人余りが「アメリカ、中国、そして世界で命を救う」と題した共同声明を発表した。

    「コロナウイルスとの闘いは、アメリカと中国の一定の協力なくして成功はしない。米中の協力には超党派の広い支持がある。そのことを示すのがこの声明の目的だ」。
    「われわれが求める協力関係には、前例がある。米ソ冷戦時代の最中、アメリカとソ連は、天然痘と闘い、協力して世界の予防接種を実現させたのだ」。

    当時、見えない敵、天然痘の撲滅に向けて米ソが手を握った出来事は「ワクチン外交」とも言われている。
    共同声明は「ワクチン外交」を前例に米中の協力を探るべきだというトランプ政権へのメッセージだ。

    ブリンケン元国務副長官

    署名した100人が超党派であることは事実だが、詳しく見てみると11月の大統領選挙でトランプ大統領と戦う野党・民主党の大統領候補バイデン前副大統領の側近中の側近、ブリンケン元国務副長官ら、民主党系の有力者が目立つ。
    もし大統領選挙でバイデン氏が勝利すれば、米中関係は対立から協調へとかじを切る可能性を予感させる動きだ。

    深まる謎と増幅する不信

    では、トランプ政権下では米中協力の可能性はあるのか?

    ポンペイオ国務長官

    ポンペイオ国務長官は「協力は重要」としながらも「透明性が欠かせない」とくぎを刺す。

    トランプ政権は、中国政府が情報統制や隠蔽を繰り返しているとして、不信感を増幅させている。
    その不信感が拭い去られなければ、真の協力は難しいというのだ。
    事実、新型コロナウイルスの感染拡大に関しては、中国の説明は不十分でいまだに謎が多い。

    最大の謎は、新型コロナウイルスの発生源だ。

    湖北省武漢の海鮮市場(2019年12月)

    当初、中国側が指摘していたのは武漢にある海鮮市場だが、海鮮市場でコロナウイルスの宿主とみられるコウモリが売買された証拠はなく、最も早く発症したとされる患者は、海鮮市場を訪れていないという情報もある。

    アメリカ政府内で疑いの目が向けられているのは、中国科学院の武漢ウイルス研究所と武漢市の疾病予防コントロールセンターの研究所だ。
    この2か所の研究所は、いずれもコウモリのコロナウイルスを調査し、研究者たちはコウモリを生け捕りにして研究していたという。
    このため、何らかの理由で研究所でコウモリから人に感染したのではないか、中国政府はそれを隠蔽したのではないかという疑いが出ている。

    さらに、発生源以外にも疑問は多い。

    国務省のオータガス報道官は、中国政府が新型コロナウイルスの遺伝子の配列の情報共有を阻んだ疑惑を指摘。
    その配列の情報を自発的に公開した張永振教授の上海の研究所が、中国政府によって閉鎖されたのではないかとも疑っている。

    共和党の議員は、武漢の状況を取材していた市民ジャーナリストの陳秋実、李沢華、方斌の3氏の消息がつかめないと懸念を表明する。

    こうしたさまざまな疑問が米中の協力を阻んでいる。

    大統領選挙 中国カード

    さらに、秋の大統領選挙に向けて米中の協力が一層難しくなるおそれもある。

    トランプ大統領は4月18日、ツイッターに「中国は眠たげなジョー(バイデン氏)を心底求めている。彼はだまされやすく、中国の夢の候補だ!」と書き込んだ。
    トランプ大統領の陣営は「バイデン氏は中国寄りの弱腰」というイメージを有権者に広めようとしている。

    対するバイデン氏の陣営は「トランプ大統領が国際社会で指導力を発揮していない。中国はアメリカ不在の空白を突いて台頭しているのだ」と反論。
    トランプ大統領の自国中心主義、同盟国軽視こそが、むしろ中国の覇権獲得を後押ししていると批判している。

    大統領選挙が本格化すれば、対中国政策も共和・民主互いの攻撃材料となり、非難合戦が一段と激しさを増しそうだ。
    国際社会では新型コロナウイルスの感染が拡大する中、米ソ「ワクチン外交」のような米中協力が求められている。

    だがアメリカで今、その兆しは見られない。

    油井 秀樹

    ワシントン支局長

    油井 秀樹

    1994年に入局。2003年のイラク戦争では、アメリカ陸軍に従軍し現地から戦況を伝えた。
    ワシントン支局、中国総局、イスラマバード支局などを経て、2016年から再びワシントン支局で勤務。
    2018年6月から支局長に。