2023年6月19日
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本が消えていく? アメリカの学校でいったい何が?

アメリカでいま、学校の図書館から本が次々と撤去されています。

去年1年間に“禁書”となった本は実に1835作品。
「アンネの日記」やノーベル文学賞作家の作品なども対象になりました。

来年の大統領選挙に向けても争点の1つとなっているこの問題。

背景にあるのは“文化戦争”と呼ばれる価値観の激しいぶつかり合いです。
アメリカでいったい何が起きているのでしょうか。

(ワシントン支局記者 辻浩平)

教育委員会が“文化戦争”の最前線に

「こんな気持ち悪い本を子どもが手にする理由など1つもない」

「子どもにポルノを読ませる気なのか」

テキサス州ケラー市教育委員会 2023年1月

それは教育委員会の会合で耳にするような言葉ではありませんでした。

ふだんはほとんど傍聴者がいないというテキサス州ケラー市の教育委員会の会合。

この日は多くの保護者が出席し「学校の図書館に子どもにふさわしくない内容の本が置いてある」などと次々に不満を表明していました。

アメリカではいま、こうした保護者の声を受けて、特定の本を禁止し学校の図書館から撤去する動きが急速に広がっています。

去年1年間に禁止の対象となった本は1835作品。5年前の4倍以上です。“禁書”の動きはこれまでに全米の32の州、138の教育委員会で確認されています。

全米各地で“禁書”の対象となった書籍

アメリカ図書館協会がまとめた全米各地の教育委員会で禁止の対象となった上位10冊には、同性愛者であることを自覚した少年が、自分のジェンダーを見いだしていく成長の物語など、性的マイノリティーをテーマにした作品が多く含まれています。

中には、ノーベル文学賞作家トニ・モリソンが1970年に発表した作品「青い眼がほしい」も入っていました。

白人に憧れて青い眼を持ちたいと願う黒人少女の葛藤を描き、白人主体の価値観を問うベストセラーですが、父親による性的暴行のシーンが問題視されました。

「青い眼がほしい」トニ・モリソン著

「子どもたちが洗脳されてしまう」

なぜ本を禁止するのか。

背景にあるのは“文化戦争”とも呼ばれる価値観の衝突。保守的な価値観とリベラルな価値観が激しくぶつかり合っているのです。

テキサス州北部のケラー市に住むデニース・リンさんは、“禁書”に賛成する1人です。冒頭の教育委員会の会合にも出席していました。

リンさんは性描写はもとより、性的マイノリティーを扱った本を学校の図書館に置くことは、そうした価値観を後押ししてしまうと感じていました。

子どもたちにリベラルな価値観をすり込もうとする行為にほかならないというのです。

デニース・リンさん

リンさん

「こうした本はアメリカの伝統的な価値観を破壊し、子どもたちを洗脳してしまいます。学校の図書館に置けば、子どもたちは学校が問題ないと考えていると受け止めてしまいかねません。私たちは深刻な“文化戦争”のまっただ中にいるのです」

「アンネの日記」がなぜ“禁書”に?

一方でリベラルな価値観を持つ人たちは、“禁書”は「保守的な価値観の押しつけだ」と反発しています。

同じテキサス州ケラー市に暮らすレイニー・ホーズさん。4人の子どもの母親のホーズさんは去年、ショックを受けた出来事がありました。

レイニー・ホーズさん

子どもたちの通う学校の図書館から、子ども向けの「アンネの日記」が一時、撤去されたのです。アンネの性の目覚めや女性の体に対する関心について、赤裸々に触れている部分があったためでした。

ナチス・ドイツの迫害にあったユダヤ人少女の経験という、この本の価値は考慮されなかったのです。

“禁書”の対象になったグラフィック版「アンネの日記」

ホーズさん

「保守的な人々は本全体の文脈を無視し一部分だけをあげつらって“禁書”にしようとしています。自分の子どもに何を読ませるかは私が決められるべきだし、他の親に私の子どもがどのような本にアクセスできるかを決められたくありません。保守派の人々は“文化戦争”を学校に持ち込もうとしています」

ホーズさんは、性的マイノリティーなどを扱った本を禁じることは、そうした人たちの存在を否定してしまうことにつながりかねず、子どもたちが多様な価値観に触れる機会を奪ってしまうと感じています。

“禁書”運動を支える仕組みとは?

背景にあるのは保守派の組織的な活動です。

学校の図書館にどんな本を置いて、どんな本を撤去するのかは、多くの場合、各地の教育委員会が判断します。

アメリカでは教育委員は選挙によって選ばれますが、大統領選挙などとは異なり、教育委員を選ぶ選挙は一般的に有権者の関心が低く、投票率も低いのが実情です。

その教育委員の選挙で“禁書”に賛成する候補を当選させようと、保守派の政治団体が大量に選挙資金を投じているのです。

保守派の団体の広告

選挙資金を提供する団体「パトリオット・モバイル・アクション」の副代表、リー・ワンスガンスさんが話を聞かせてくれました。

リー・ワンスガンスさん

ワンスガンスさん

「アメリカとアメリカの学校制度は崩壊しています。学校を改善しなければなりません。教育委員を交代させなければ、変化を起こすことはできません」

その言葉を裏付けるように、ワンスガンスさんの団体はテキサス州の教育委員の選挙に50万ドル(日本円でおよそ7000万円)もの資金を投入したといいます。

教育委員の選挙に立候補する人が使う資金は通常、1000ドル(およそ14万円)程度。どれだけ多額の資金が使われたかがわかります。

こうした後押しもあってか、ケラー市では去年、“禁書”に賛成する保守派の候補者が相次いで当選。保守派が多数派となった教育委員会は、本の撤去を一気に加速させたのです。

“禁書”の広がり きっかけは?

ここ数年で急速に広がる“禁書”の動き。きっかけは新型コロナでした。

「子どもたちのマスクを義務化するのかしないのか」

「授業はオンラインか対面か」

コロナ禍で学校で起きていることに親の関心がこれまで以上に向くようになり、政治問題化されるケースが増えました。これまで注目されてこなかった学校図書館も、保護者の目が向くようになったことで、価値観の衝突、いわば“文化戦争”の最前線になってしまったのです。

学校の図書館から本が消えていく。そんな状況を当事者の生徒たちはどう感じているのでしょうか。

教育委員会の会合に来ていた高校生に話を聞くと、なんとも冷めた答えが返ってきました。

「彼らは政治的な考えが頭にあるだけで、私たちの声なんて聞こうとしていません」

「“禁書”は学校内での同性愛者などへの偏見につながります。『私たちが賛同しないからあなたたちも賛同すべきではない』と言われているようなものです」

“大人が自分たちの政治的な対立を学校に持ち込んでいる”

話を聞かせてくれた生徒の多くが“禁書”には反対の立場でした。

「図書館は民主主義の小さなエンジン」

価値観の衝突が図書館の蔵書にまで影響を与えている状況について、世界最大の図書館組織、アメリカ図書館協会・知的自由局のデボラ・カルドウェルストーン局長に話を聞きました。

アメリカ図書館協会・知的自由局 デボラ・カルドウェルストーン局長

カルドウェルストーン局長

「公共図書館は公的な機関です。さまざまな声を代表する蔵書やサービスを提供しなければなりません。私たちが大切にしているのは『どの本も、それを必要としている人がいる』という考え方です。本と読み手を結びつける時に価値判断をしてはなりません」

こうした本は性的マイノリティや、さまざまな人種、宗教、あらゆる人の立場を代弁し、社会に反映させていく。それが図書館の役割であり、それこそが民主主義の推進力になるというのです。

ジェンダーや人種、さらには銃規制や中絶などをめぐる価値観の衝突を指す“文化戦争”。こうした問題は激しい感情的な対立や、時には相手への憎悪にまで発展するため、“戦争”とまで呼ばれるようになっています。

“禁書”は各候補者の動きが慌ただしい来年の大統領選挙に向けても争点の1つとなっています。

共和党の多くの候補者は“禁書”を支持。一方、バイデン大統領は立候補表明のビデオ声明で懸念を示しました。

図書館関連の団体が去年発表した報告書では、“禁書”に反対すると答えた人の割合は全体の75%にのぼっています。しかし、党派別で見ると民主党支持者の95%が反対、共和党支持者では53%で、この問題の背景に保守派とリベラル派の対立があることがわかります。

そして、政治対立は双方による妥協や譲歩を難しくし、解決をいっそう遠ざけています。図書館で禁止される本が増え続ける中、アメリカは、価値観が衝突する“文化戦争”の出口を今も見いだせないままです。

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