2022年5月25日
ドイツ EU ヨーロッパ

さようなら、メルケル首相

「ドイツのお母さん」「世界で最も影響力のある女性」「自由民主主義の最後の守り手」

数々の異名で呼ばれたドイツのアンゲラ・メルケル氏が2021年12月8日、退任しました。

16年にわたる長期政権を維持し、ヨーロッパ各国からの信頼も厚いメルケル氏。

いったいどんなリーダーで、その理由はどこにあるのか、メルケル氏のいなくなったドイツはどこに向かうのか、取材しました。
(札幌局記者 山口芳)

※この記事は2021年12月9日に公開したものです

側近が語る、メルケル氏の信念とは

「こうすれば人々の受けが良いからと急いで決めるのではなく、考え抜く。“最後まで考える必要がある”とよく言っていました」

こう語るのは、メルケル氏が本音で話をできる友人とも言われる、アネッテ・シャバーン氏。

アネッテ・シャバーン氏

2005年から2013年までメルケル政権で閣僚を務めた側近です。

メルケル氏には、正しいと判断したことは実行に移す揺るぎない信念があったといいます。

メルケル氏は、4期16年の在任中、「ユーロ危機」「難民の流入」「BREXIT」などさまざまな難局に向き合い、手堅い政治手腕を発揮。

保守系の「キリスト教民主同盟」に所属しながら、徴兵制の停止や脱原発、同性婚の容認とリベラル寄りの政策も推し進めてきました。

世論の動向を見極めながら、大胆に方針転換することもありました。

中でも、メルケル氏の重要な決断として、シャバーン氏が挙げたのが、2015年、シリア情勢の悪化を受けて、中東などから大勢の難民や移民がヨーロッパに逃れてきた、いわゆる「難民危機」です。

ミュンヘンに到着したあとの難民・移民の人たち

シャバーン氏
「この決断が好意的に受け止められるだけではないことを、メルケル氏はもちろんわかっていました。けれど、正しい決断なのだと確信していました」

メルケル氏にまた会えたなら…

この決断によって「人生が変わった」と話す人もいます。

2015年夏、シリアからドイツに逃れてきたアナス・モダマニさん(24)です。

18歳だった当時、ボートで海を渡るなど、命がけでドイツを目指しました。

アナス・モダマニさん

モダマニさん
「シリアにいたら死んでいたでしょう。メルケル首相は私たちのドイツへの入国を認めてくれました。一生かけて感謝します」

ベルリンに逃れたモダマニさんには、滞在していた難民用の施設で思いがけない出会いがありました。

メルケル氏が施設を訪れたのです。

誰に対してもフレンドリーで、ずっとほほえんでいたというメルケル氏。

モダマニさんは近寄って一緒に写真を撮影し、いまも大切に保存しています。

もし、もう一度メルケル氏に会うことができたら?とモダマニさんに聞くと「受け入れを認めてくれたことに感謝したい。学んだドイツ語で会話をして、一緒にコーヒーを飲みたいです」と話していました。

難民受け入れ方針が転換点に

抗議デモ

ただ、この方針は、当初、国内外から高く評価されたものの、メルケル氏の求心力を失わせるきっかけにもなります。

難民らにドイツの女性たちが乱暴される事件が起きたことなどで、世論は一変。

2017年の連邦議会選挙では、難民に反対する右派政党の躍進を許し、地方選挙でも相次いで敗北を喫します。

そして2018年、メルケル氏は政界からの引退表明に追い込まれたのです。

専門家は「難民危機」では、メルケル氏の力が及ばず、EUとして一致した対応をとれなかったと指摘します。

そして、いまだにEU内では機能的な難民受け入れのシステムがないままで、課題は解決されていないとしています。

このほか、メルケル政権をめぐっては、デジタル化や気候変動対策といった将来への投資に消極的だったとの批判も根強くあり、残された課題も少なくありません。

最後までコロナ対応に奔走

2020年春以降、新型コロナウイルスの感染が拡大すると、メルケル氏は危機への対応に奔走します。

コロナ対策について、各州のトップと行う協議は長時間に及び、深夜に記者会見が行われることもたびたびありました。

退任を控えて、いったいどこからそのエネルギーがわいてくるのか。

前出のシャバーン氏は「メルケル氏には果てしない忍耐と、課題にすり減らされない能力がある。首相としての職責の重みの一方で、興味深い経験にやりがいを見いだし、それを新たな力の源泉にしている」と話しています。

退任式典のメルケル氏

12月2日、ベルリンで行われた退任式典で、メルケル氏はこの16年間を次のように振り返っていました。

メルケル氏
「波乱に満ち、しばしばとても挑戦的な年月だった。政治的にも人間的にも全力を求められたが、常に充実していた」

送別の曲として、本人のリクエストで演奏されたのは旧東ドイツ出身のパンク歌手、ニナ・ハーゲンさんの1974年のヒット曲「カラーフィルムを忘れたのね」

激動の4期16年を終えたメルケル氏が、ふと青春時代にかえったひとときだったのかもしれません。

新政権はどうなる?

メルケル氏に代わって、新たな首相に就任したのは、中道左派の社会民主党のオラフ・ショルツ氏。

労働者の権利を重視する「社会民主党」、環境政策を前面に掲げる「緑の党」、市場経済を重視する「自由民主党」と、目指す理念や政策に隔たりのある3党による連立政権です。

新政権が早速打ちだしたメッセージは男女平等です。

外相や国防相などの重要ポストに女性が就任し、閣僚は男女がほぼ同数です。

気候変動対策では、石炭火力発電所の廃止時期の前倒しを目指すほか、2030年の電力に占める再生可能エネルギーの割合を、現行の目標の65%から80%に高めるなど、これまでのメルケル政権よりも踏み込んでいます。

また、移民がドイツの市民権を取得するのを容易にしたり、最低賃金を時給12ユーロ(1500円あまり)に引き上げたりする方針です。

2022年、初めて開かれる核兵器禁止条約の締約国会議に、オブザーバー参加を目指すとして、条約に反対する姿勢を示してきたNATO=北大西洋条約機構の加盟国や日本などでも波紋を呼んでいます。

外交面では、中国の人権侵害を取り上げ、台湾の国際機関への参加を支持するなど、厳しい姿勢を示しています。

外相に就任した緑の党のベアボック党首は中国やロシアに対して批判的な立場をとってきた人物。

新政権のもとでのドイツ外交は、中国との経済的な結びつきを重視してきたメルケル政権とは一線を画すと見られています。

グローバル公共政策研究所 トルステン・ベナー所長

ベナー所長
「メルケル氏がこれまで追求してきた中国政策とは異なる非常に新しいトーンだ。ショルツ氏はメルケル政治を引き継ぐとされ、多くの継続性はあるものの、外交ではいくつか力点が変わってくるだろう」

ドイツは2022年、G7=主要7か国の議長国です。

国際社会でドイツの存在感を押し上げたメルケル氏。

その後任を務めるのは、誰にとっても簡単なことではないでしょう。

ショルツ新首相のもと、ドイツが世界でどんな役割を果たしていくのか、その手腕に注目していきたいと思います。

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