小学生が心療内科に…
取材のきっかけは、都内の公立小学校で聞いた、ある教員のひと言でした。
「中学受験で子どもたちは疲弊している。心療内科に通院する子どももいるぐらいだから」
今どきの小学生は多忙です。
学校では新たに増えた英語やプログラミングなど。放課後も塾や習い事の数々。
なかでも大変なのが東京の小学生だと思います。
ここに中学受験が加わるからです。
それでも、心療内科に通うまで追い詰められるとは…。
私も、あの少年から話を聞くまでは半信半疑でした。
軽い気持ちで中学受験に挑戦
少年と出会ったのは先月。まだ幼い雰囲気を残す礼儀正しい13歳の少年。
ただ、どこかおびえているような印象を受けました。
「いったいこの子に何が…」
少年が中学受験を決めたのは、小学3年生の時。
父親から「いい経験になるよ」と言われ、軽い気持ちで挑戦することにしたといいます。
しかし、なかなか成績は上がりませんでした。
エスカレートしていく父親
「その頃から、お父さんが変わっていった」
少年はこう話します。
父親は時間を管理して、少年に勉強を強いるようになります。
平日は4時間、休日はその倍の8時間。食事はわずか30分。
リビングで遅くまで親子で勉強する毎日でしたが、会話はどんどん減っていきました。
父親の指導は、さらにエスカレートします。答えを間違えると、どなったり、たたいたり。少年は、父親が採点する時の“ペンの音”にさえおびえるようになったといいます。
「静かなリビングにお父さんのペンの音だけが鳴るんです。シュッ、シュッと2回なると『ああバツだ。怒られる』って怖くなって、体が固まるんです」
父親の怒りは、母親にも向かいました。
深夜、少年がベッドに入ると、父親が「成績があがらないのはお前のせいだ」と、母親をどなる声が聞こえたといいます。
少年は布団を頭までかぶって、犬のぬいぐるみを抱きながら寝るようになりました。
そんな時、思い浮かべていたのは受験勉強を始める前、父親がよく連れて行ってくれたディズニーランドでの楽しい思い出でした。
僕が頑張らないと…
「どうしてそんなつらい思いに耐えていたの?」と尋ねました。
長い沈黙の後、少年はこうつぶやきました。
「受験を始める前のお父さんは大好きだったので、なんとか認めてほしいなって。お父さんの理想通りにできない僕がダメなんだって、思うようになりました。でも、どなられると頭が真っ白になって、解いてる問題のこととか何も考えられなくて。それに僕が頑張らないとお母さんも怒られちゃうし」
「お父さん、僕もう無理だよ」
小学5年生のある日、塾のテストで、ずっと苦手だった算数の計算問題がとけました。
「やっとお父さんにほめてもらえる」
そう思い喜び勇んで駆け寄った少年に、父親はこう言い放ったといいます。
「こんな問題、できて当たり前だ。他は間違えているじゃないか」
少年の中で、何かが壊れていきました。
身体がふらついたり、おなかが痛くなったり。
ある朝、学校に行く時間になっても、ベッドから起き上がれなくなりました。
寝室に入ってきた父親に、少年は精いっぱいの勇気を振り絞ってこう告げました。
「お父さん、僕もう無理だよ」
少年は、そのまま不登校になりました。小学5年生の秋でした。
“子どものために…”があだに
かつては優しかったという父親。なぜ息子を追い詰めてしまったのか。
父親からも話を聞くことができました。
会ってみると、物腰も柔らかく、正直どこにでもいるような父親にみえました。
さきほどの疑問を率直にぶつけると、こんな答えが返ってきました。
「問題がとけないと、これぐらいのことができなくて将来どうするんだと。人生は競争です。私も学校、会社など激しい競争社会で歯を食いしばって頑張ってきた。すべては子どもの将来のためにとやっていました」
名門大学を出て、大手金融機関に勤めた経験がある父親。本人も、かつて中学受験を経験し、難関中学校に合格した経歴の持ち主でした。
激しい競争にさらされる金融業界。本人にすれば、中学受験はそうした競争社会を生き抜くすべを身につける第一歩と信じていたといいます。
さらに、インタビューの中で、はっとさせられたのが、次の父親のことばでした。
「子どもは、自分の分身だと思っていた」
子育てをしている皆さん、このことば、どう受け止めますか。
首都圏では“第2次中学受験ブーム”到来
そもそも、なぜ今「中学受験」なのか。
中学受験そのものは、リーマンショックまでがピークでした。
しかも、少子化はどんどん進んでいるのに…。
しかし、首都圏、特に東京は全く様相が違いました。
東京23区の小学生が私立中学校に進学した割合です。
最も高い文京区が42%、千代田区が39%、中央区が38%と続き、23区全体でも22%と、5人に1人に上りました。
「中学受験に詳しい専門家に、背景をうかがいました。
最も多いのは、自分も中学受験を経験した30代から40代の親たちが、子どもに勧めるケースとのことです。
いわば親子2代にわたる中学受験です。
同級生やご近所の親子に影響を受けて「うちも受験を」と考える親子も少なくないといいます。
そこに公立中学校への不信感。
さらに新しく始まる大学入試への対応なども相まって私立中学の人気は再び過熱。
しかも、少子化にあっても東京だけは子どもの数がまだ増加し続けています。
今後も過熱傾向は続くと見られています。
心の傷を吐き出す
息子が不登校になって、父親はようやく、みずからの過ちに気付きました。
一家が頼ったのは、横浜市で長年、虐待やDVの相談にのっているNPOでした。
カウンセリングをした栗原加代美理事長は、当時の状況をこう話します。
「お父さんは『子どもと妻に大変なことをしてしまった』と、後悔してやってきました。男の子は初めは警戒心が強くて、何も話さなかった。友達にも学校の先生にも言えず、1人で抱え込んで、心の傷にふたをしている感じでした」
栗原理事長が間に入って話をしているうちに、少年は、次第にたまっていた思いをはき出すようになりました。
「何を言っても怒られない、と安心したのでしょう。一気に父親への怒りがあふれ出てきました。『お父さんは僕の生きる意欲を奪った』って。父親がちょっとでも顔をそむけると『お父さん、聞いてないでしょ!ちゃんと聞いて!』って。心の傷をからっぽにするためにはとても大切な時間でした」
“ありのまま”を大切に
この親子のように、中学受験をきっかけにした教育虐待は、どの家庭にも起こりうると栗原理事長は警鐘をならします。
「教育に対しての親の価値観が初めて形になるのが中学受験というタイミングです。そこで親の考え、もしくは親ができなかったことを子どもに押しつけてはいけません。子どもは自分とは全く違う別人格であり、目の前にいるありのままの子どもを大切にしてあげないといけません」
この親子は、家族で話し合った結果、中学受験をやめて公立中学校へ進学しました。
今は、元気に通っているそうです。
少しほっとした私に、少年が最後に漏らしたひと言が忘れられません。
「お父さんが怒らなくなって、僕の話を聞いてくれるようになったのは、うれしいです。でも本当は、いまでも普通の家族じゃないと思っているんです。崩壊していく家族をつなぎとめながら、何とかやっている感じです」
「子どものために」という思いに駆られるのは、多くの親にとって自然なことでしょう。しかし、行き過ぎてしまうと、こうした“教育虐待”につながってしまいます。
何より、それは、子どもに想像を超えた深い心の傷を残し、生涯、苦しめるものになりかねません。
- 社会部
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森並慶三郎