2021年8月26日
新型コロナウイルスの感染拡大で都内の医療体制が危機的な状況となるなか、症状が急激に悪化して救急搬送を要請しても入院先がなかなか決まらなかったという40代の男性がNHKの取材に応じ「強い不安を感じた」と当時の状況を語りました。
都内に住む会社員の45歳の男性は妻と子ども2人、70代の母親の5人で暮らしています。
先月22日、最初に大学生の長男の感染が判明しました。
その2日後の24日、男性にも症状が現れ、38度台の発熱と味覚の異変を感じたといいます。
26日に検査した結果、男性と妻、それに次男がいずれも感染していました。
基礎疾患はなく、野球やゴルフをして体力には自信があったという男性。
自宅で療養していましたが、27日には39度7分まで熱が上昇。
31日の夜には症状が急に悪化して一気に呼吸状態が悪くなり、自宅にあったパルスオキシメーターで測定したところ血液中の酸素飽和度が89まで下がったといいます。
男性は「体力にも自信があり年齢的にも大丈夫だと思っていた。でも急に呼吸が苦しくなり驚いた」と振り返ります。
妻がすぐに救急車を呼びましたが、受け入れてくれる病院はなかなか見つからず救急車は自宅近くに止まったまま。
自宅で当面の処置をした救急隊員が2人がかりで受け入れ要請の電話をかけ続けていたといいます。
およそ3時間後、自宅から30キロほど離れた病院に入院できることになりました。
入院先の病院によりますと、救急隊員は医療機関に受け入れをおよそ100件断られたと話していたということです。
男性は意識がもうろうとする中、隊員が「絶対に病院を見つけますから」と声をかけ続けてくれたことが励みになったといいます。
そして「救急車を呼んでもこのまま病院に行けないのではないかという不安でもうだめだと思ったが、救急隊員が目を充血させながら電話をかけ続けてくれたので頑張る勇気をもらえた」と話していました。
入院した際、男性は人工呼吸器をつける寸前の状態で、高濃度の酸素を送る装置をつけ、看護師が男性をうつ伏せにして酸素を送りやすい体勢にするなどの対応にあたったといいます。
男性は「呼吸しても酸素が入っていかない感じで何回か気を失った。どんどん悪化して戻れるのかというのは感じました」と当時の状況を語りました。
その後、症状は回復し、発熱から19日後、入院から11日後の今月12日、退院することができました。
幸い後遺症とみられる症状は出ていないということですが、体重は7キロ落ち、筋力も低下して歩くのも大変だったといいます。
男性は「ごはんも食べられず酸素を吸入していてもなかなか数値がよくならないのでずっと不安だった。もし自分が亡くなったら家族に迷惑をかけてしまうと思い、生きないといけない気持ちで必死だった。コロナは本当に怖い。入院できていなかったらどうなっていたかと思うとぞっとする」と話しています。
5人のうち4人が感染したこの家族。
それぞれ新型コロナウイルスの症状に苦しみながら、男性の入院先の決定を見守り、症状の回復を願っていました。
男性の妻は1週間ほど高熱が続いたということで「まさか自分たちが感染するとは思っていなかった。救急車が来ても病院が決まらないので本当に不安で、そばでただ祈ることしかできなかった」と話していました。
また19歳の次男は「父の入院が長くなると重症なのかと思い、死んでしまったらどうしようと不安だった。自分も若いから大したことないと思っていたが、感染してみると外出もできず大変だった。今は、自分が大丈夫ということではなく周りに感染させないように気をつけることも大事だと思った」と話していました。