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いま生まれている「クリエイティブ」をつぶさない
芥川賞作家 平野啓一郎さん

人間関係の機微など人の内面に迫る数々の著作を書いている芥川賞作家の平野啓一郎さん。平野さんは、在宅で過ごす時間の増加など新型コロナウイルスの影響が、私たちの暮らしや考え方にどのような変化を及ぼすのか注視しています。環境の変化にストレスや不安を強める人も少なくない中で、この先の時代にどのようなことが希望となり得るのか、考えを伺いました。

“コロナ禍”の人間関係は、距離の制約から解放された

Q.新型コロナウイルスは暮らしの様式やコミュニケーションの取り方にも大きく影響を及ぼしていますが、どのように受け止めていますか?

平野さん
人間関係が物理的な距離の制約から解き放たれて、自分にとって心情的に本当に近い人との関係がより濃密になる機会だったのではないかなと思います。

今までの社会は対面する方がオンラインのコミュニケーションよりもより重要というか、本当のコミュニケーションなんだという考え方がかなり強かったと思います。

しかし、実際にオンラインのコミュニケーションツールでやりとりしてみると、十分それで済むことも多いし、友達と話すにしても居酒屋に行って遅くまで飲み食いしながら話すのも楽しいけど、案外オンライン飲み会でも楽しいなっていうのはこの間にみんな気づいたと思うんですね。

ですから今まであったようなフィジカルな世界こそが序列的には上で、オンラインはその下なんだという価値観を否応なく1回、解体せざるをえなかったと思います。

平野さんが唱える「分人」という考え方

平野さんは、人間には相手や場所に応じて変化する多様な自分があるとして、「分人(ぶんじん)」という考え方を自身の著作などで唱えています。外出自粛などで多くの人が人間関係の変化によるストレスを感じた今こそ、分人という考え方を知って欲しいといいます。

平野さん
「人間は対人関係ごとにいろいろな自分を生きている」というのが僕自身の基本的な人間観なんですね。妻といる時の自分、子どもといる時の自分、あるいは編集者と一緒の時の自分とか、昔なじみの友達といる時の自分というのは、それぞれちょっとずつ話題も表情も、物の考え方も違ってくるわけです。

平野さん
「分人」という考え方を最初に提示したのが火星探査に行く宇宙飛行士たちをテーマにした「ドーン」という小説でした。

地球から火星に行って帰ってくるまで大体2年半から3年ぐらいかかるとされていますが、小説を書いた当時、NASAは6人ぐらいのクルーで行くと計画していて、そうすると宇宙船が壊れることよりも人間が壊れてしまうのではないかということが非常に懸念されていたんです。

どんなに良いチームワークの6人でも3年間ずっと狭い所にいたら、精神的にちょっともたないのではないかという話を聞いて、なぜそんなに親しい人たちでもずっと一緒にいるともたないんだろうということを考えたんですね。みんな、それは当たり前じゃないかと言うけど、なぜ当たり前かということがよく分からなくて。

その時に、人間はやはり対人関係ごとに色々な自分=「分人」を生きていて、そのバランスが崩れることは非常に苦しいのではないかと思って、「分人」という言葉、概念を考案したんです。

「ドーン」という小説は、閉鎖空間、閉鎖された世界にいることがどうして苦しいのかということを考えた1つのきっかけでした。

Q.「分人」という考え方から今回のコロナ禍を見た時にどのような思いを持たれましたか?

平野さん
自宅待機の辛さというのは、いろんな自分を生きることで保たれている生のバランスが急激に変化させられて、例えば家族といる時の自分しか生きられないということが非常に大きなストレスになったのではないかと思います。

いろいろな対人関係によって満たされていた自分の欲求とか望みが、満たしてもらう相手が家族だけに限定されると、家族に対して無理なことまで過剰に要求することにもなってしまうし、つらい状況になった時にほかの自分を生きることでバランスをとるということが難しくなってしまう。

自宅待機中に認識されたのは自分のアイデンティティーに関する難しい問題だったのではないでしょうか。

困難な時代には、評価されるチャンスがある

Q.混乱や変化の波がぐっと押し寄せていますが、今後の社会状況をどのように予想されますか?

平野さん
僕自身が小説家としてデビューした時に書いた「日蝕」という小説にもつながりますが、かつてヨーロッパ社会では戦争とペストのまん延で非常に疲弊した後、神秘主義などが出てきました。

これは90年代に学生時代を過ごした僕には、社会の閉塞感の中で非常にある種のリアリティーを感じられたんです。

現実の世界に対するある種の失望と、何か違った価値観を形而上学的な世界に求めたいとか、この世界じゃない所に脱出したいとかというのは。

ある意味、今この瞬間に多くの人が感じているのも、やはり1つはそういうことじゃないかなという気がするんです。

新型コロナに限らずとも、この先の将来には少子化と地球温暖化という克服していかなければいけない社会の大問題があります。

景気の悪化も重なり、シビアに見ればこれから相当大変な時代になるので、どういう知恵で克服していくかが問われている。

ものすごくポジティブに考えるなら、困っていることが多いというのは、それだけ解決すれば評価されるチャンスがあるとも言えると思います。

いま生まれている「クリエイティブな発想」をつぶさない

Q.コロナ禍はしばらく続くと予想されていますが、私たち市民にとって大切なことはどういったことだと思われますか?

平野さん
2020年代を舞台にして作品を書こうと思うと、コロナ小説を書こうと思っていなくても、言及しないわけにはいかなくなっています。それは2011年の東日本大震災がその後の2010年代を覆ったような印象と同じだと思います。

平野さん
今回は医療従事者から、宅配の業者さんから、スーパーでレジを打ってる人から、あるいは経済的に苦しい中で追い詰められていく人など、社会の中でかなり多様な物語が生まれつつあり、特につらい状況を経験した方のトラウマを社会的にどう受け止めていくかは10年がかりぐらいのこの社会の大きな1つの仕事だと思います。

平野さん
文学もそれに寄与するようなものでなければなかなか共感を持って読まれないのではないかと思います。

大事なことは、こういう風にしたらいいんじゃないかといういろいろなアイデアがいま、出てきていますが、そういうクリエイティブな発想を、日本によくあるできない理由、やらない理由を100個も200個も挙げてつぶしてしまわないことが重要です。

うまくいかないこともあると思いますけど、その意欲までつぶしてしまうと社会が前に進めなくなってしまいますから。

意欲的な取り組みを行ってうまくいけばみんなで喜ぶし、うまくいかなければ次の手を考えようと切り替えていく発想と行動力がすごく求められていると思います。

この国をどうしていくかは、平時でもそうですし、今回のような非日常的な状況でも、民主主義国家ですから国民が主体的なって考えていかないといけない。

専門家の意見を踏まえて、日本はどうするんだという総合的な判断を行うのは政治ですから、それに対して国民はこうあってほしいとか、こういうことが困ってるという声を素直に上げていくべきだと思います。

【プロフィール】

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)

1975年生まれ。福岡県北九州市で育ち、京都大学法学部を卒業。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した「日蝕」で第120回芥川賞受賞。人間関係の機微など人の内面に迫る数々の作品で知られる。