「核のごみ」文献調査受け入れ表明 玄海町長 原発立地では初

原子力発電で出るいわゆる「核のごみ」の処分地選定をめぐって、佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長は10日、第1段階となる「文献調査」を受け入れる考えを表明しました。

文献調査の受け入れは全国で3例目で、原発が立地する自治体としては初めてとなります。

高レベル放射性廃棄物いわゆる「核のごみ」は、長期間強い放射線を出し続けることから、地下300メートルより深くに埋めて最終処分することが法律で決まっていて、処分地の選定に向けた調査は3段階で行われます。

玄海町では第1段階にあたる「文献調査」をめぐって4月、調査の受け入れを求める請願が町議会で採択され、今月1日には国が調査の実施を町に申し入れていました。

こうした中、玄海町の脇山町長は先ほど記者会見を開き「町議会での議論や国からの申し入れを受け熟考した結果、文献調査を受け入れる決断をした」と述べ、調査を受け入れる考えを表明しました。

その上で「全国で議論が高まり、取り組みが進む一石となればと思っている。なし崩し的に最終処分場になることはないと考えていて、お金目的で調査を受け入れるものではない」と自らの考えを説明しました。

文献調査の受け入れは北海道の寿都町と神恵内村に続いて全国で3例目です。

玄海町には九州電力の玄海原発が立地していますが、原発が立地する自治体が調査を受け入れるのは初めてとなります。

「文献調査」巡る動き 浮上から1か月弱で大きく進展

玄海町で核のごみの処分地選定に向けた「文献調査」を巡る動きが浮上したのは4月15日でした。

町内の旅館組合、飲食業組合、防災対策協議会が町議会に提出していた、「文献調査」への応募を働きかけるよう求める請願がこの日、町議会の原子力特別委員会に付託され、調査を求める動きが明るみにでました。

2日後の17日には原子力政策を所管する経済産業省の担当者らが特別委員会に出席し、「核のごみ」の処分地選定について説明。

そして25日には特別委員会で採決が行われ、請願を賛成6人、反対3人の賛成多数で可決しました。

この翌日に開かれた本会議の採決でもやはり賛成6人、反対3人となり請願は正式に採択されました。

議会での採択を受けて脇山町長は5月中にも判断を示す考えを明らかにしました。

そして、今月1日には経済産業省の幹部が町役場を訪れ「『文献調査』の実施を求める」とする経済産業大臣からの文書を脇山町長に手渡しました。

その後、大型連休が明けた7日には脇山町長が上京して齋藤経済産業大臣と面会していました。

この間、一部の議員や住民からは住民説明会を求める声も挙がりましたが、町長は開催に否定的な考えを示していました。

「文献調査」を求める動きが明るみになってから町長が判断を示すまで、1か月もたっておらず、短期間で事態が大きく進展した形となりました。

「文献調査」受け入れ表明まで 町長の発言は

玄海町ではこれまでも議会の一般質問などで、「核のごみ」の処分地選定をめぐる「文献調査」の受け入れが、たびたび取り上げられてきました。

ただ、調査対象になる可能性がある地域を示した国の「科学的特性マップ」で玄海町は将来、資源の掘削が行われる可能性があるとして「好ましくない特性があると推定される」地域となっており、脇山町長は「文献調査をするという考えはない」と述べていました。

しかし4月、町内の3つの団体から「文献調査」の受け入れを求める請願が提出され、本会議で賛成多数で採択されたことを受け、町長の発言は変化していきます。

本会議での採択を受けて町長は「町民から請願が出されたことや、議会で採択された6対3というダブルスコアの数字には民意が反映されていて、重く受け止めている」と述べて、検討を進める考えを示していました。

そして、今月1日に経済産業省の幹部が調査の実施を申し入れるため町を訪れた際には「国から申し入れに来ているので大事にしなければならない」と述べていました。

一方、7日に齋藤経済産業大臣と面会した際には「私はこれまで議会で自分から手を上げることはないと発言していて、議会と自分の考え方とで板挟みになり悩んでいる」と心境を打ち明けていました。

「文献調査」今後1か月ほどで始まる見通し

佐賀県玄海町の脇山町長が受け入れを表明したことを受けて、「文献調査」は今後1か月ほどで始まる見通しです。

玄海町には、今月1日、経済産業省が調査の実施を文書で申し入れていて、今後、町側が文書で受け入れる旨を回答することになります。

その後、経済産業省の指示のもと、調査を行うNUMO=原子力発電環境整備機構が、玄海町を対象にした「文献調査」の計画を作成し、経済産業大臣の認可を受けると正式に調査が始まることになります。

玄海町は、政府が2017年に調査対象の有望地を示そうと全国を色分けした「科学的特性マップ」では、そのほとんどが将来、資源の掘削が行われる可能性がある「好ましくない特性があると推定される」地域となっています。

これについて、経済産業省は、地下に資源がある可能性を示すもので、安全性に問題があるわけではなく、マップ自体は地質の状態を確定的に示したものでもないとして、調査を行うことは可能だとしています。

《玄海町での受け止めは》

玄海町議会 上田利治議長 ”ほっとした”

脇山町長が「文献調査」を受け入れる考えを表明したことについて、玄海町議会の上田利治議長は記者団に対して「ほっとしました」と述べ、車に乗り込んで町議会をあとにしました。

請願に賛成した玄海町議 ”重く大変な決断”

受け入れを求める請願の採択に賛成した玄海町議会の松本栄一議員は記者団に対して「重く、大変な決断だったと思います。よく決断されて、日本のエネルギー政策に対して脇山町長がどれだけ向き合っているのかわかりました」と述べました。

請願に反対した玄海町議 ”あまりにも強引なやり方”

受け入れを求める請願の採択に反対した、玄海町議会の前川和民議員は記者団に対して「議論が進んでいないし、あまりにも強引なやり方で、なぜこんなに急に決める必要があったのか、理解できないところがある。十分に審議が尽くされたとは思っていないので、これから住民に広く知ってもらうことも必要ではないかと思っている」と述べました。

原発反対運動続ける町民 ”言葉を失う”

50年以上佐賀県玄海町で原発への反対運動を続けてきた町内に住む元住職の仲秋喜道さん(94)は「単純には言えないが受け入れは嫌だし、けしからんと思う。きちんと真面目に考えて町民の意見も聞くべきだ。私たちは住民投票のことも文書で申し入れているのに、それをしないで町民の意見を聞かないで決めるのは許されないことで言葉を失う」と話していました。

“期間が短かった” “急に持ち上がった話”

脇山町長が文献調査の受け入れを表明したことについて玄海町の大工の70代男性は、賛成でも反対でもないとした上で、「請願から受け入れまでの期間が短かった。もうちょっと調査した方がよかったと思う」と述べて受け入れ表明までの期間が短かったことに懸念を示しました。

そして「地下300メートルに埋めたら絶対放射能が出てこないという保証があるならいいけど、安全面はどうしているのかとかわからないところが多い。未来の子供たちに関係することだからやっぱり心配がある」と話しました。

一方、玄海町の20代女性は、「核のゴミの話は急に持ち上がった話で、町民も知らない感じで詳細はわからないですが、最終的に強行突破してつくると思っていたので、きょうニュースで知りやっぱり受けるんだと思った」と話していました。

佐賀県 山口知事 ”新たな負担受け入れる考えなし”

玄海町の脇山町長が「文献調査」の受け入れを表明したことについて、佐賀県の山口知事は「かねてから一貫して申し上げているとおり、佐賀県として新たな負担を受け入れる考えはありません。最終処分場は国全体として必要ですが、佐賀県はエネルギー政策に十分に貢献していると考えています」とのコメントを発表しました。

岸田首相 ”国として前面に立ち取り組み進めたい”

岸田総理大臣は総理大臣官邸で記者団に対し「玄海町で文献調査受け入れの判断をいただいたことに、政府としては、心から敬意と感謝を表したい」と述べました。

その上で「最終処分地の選定は、半世紀にわたり原子力発電を活用してきたわが国にとって、必ず解決しなければならない課題だ。昨年4月に特定放射性廃棄物の最終処分の基本方針を閣議決定して取り組んでいるところだが、今後とも最終処分に関する理解や議論が全国で深まっていくよう、国として前面に立って取り組みを進めていきたい」と述べました。

齋藤経産相 ”情報提供に取り組みたい”

原子力発電で出るいわゆる「核のごみ」の処分地選定をめぐって、佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長が第1段階となる「文献調査」を受け入れる考えを表明したことについて、齋藤経済産業大臣は記者団に対して、「受け入れの判断をいただいたことに心から敬意と感謝を申し上げたい。最終処分という国家的な課題について社会全体で議論を深めていくうえで、非常に重要な一石を投じるものだ。文献調査の実施地域の拡大は重要で、全国で議論が深まるよう必要な情報提供に取り組みたい」などと述べ、高レベル放射性廃棄物の最終処分への理解が深まるよう、努めていく考えを示しました。

全国初「文献調査」開始の北海道寿都町と神恵内村では

2020年に、全国で初めて「文献調査」が始まった北海道の寿都町と神恵内村について、NUMOは、ことし2月、次の段階の「概要調査」に進めるとする報告書案を示しています。

経済産業省の審議会で、専門家が報告書の内容について議論を続けていて、経済産業省は、今後、最終的な報告書を取りまとめる段階に入りたいとしています。

報告書が取りまとまれば、自治体に提出されたあと住民に周知する期間が1か月以上設けられ、説明会などが行われます。

そのうえで、NUMOが、ボーリングなどを行う第2段階の「概要調査」の計画を作成することになります。

「概要調査」を行うためには対象の2町村の首長と北海道知事に意見を聞いて同意を得る必要があります。

寿都町の片岡春雄町長は、「概要調査」に進むかどうかを住民投票で問うとしていますが、ほかの調査地域が現れるまでは実施しない方針を示していました。

神恵内村の高橋昌幸村長は、何らかの形で住民の意思を確認する機会を設けたいとしています。

一方、鈴木知事は、処分場を受け入れないとする道の条例などを理由に、「概要調査」に進むことに反対する意向を示しています。

寿都町と神恵内村の住民 調査地点の拡大を歓迎する声も

佐賀県玄海町の町長が「文献調査」を受け入れる考えを表明したことについて、北海道の寿都町と神恵内村の住民からは、調査地点の拡大を歓迎する声が聞かれました。

このうち、寿都町の82歳の男性は、「今回の玄海町長の判断は大変喜ばしいことだが、核のごみの処分場についての全国的な関心はまだ低いと思うので、できれば他の自治体でも調査が行われて、みんなで考えることが国民の責任だと思います」と話していました。

神恵内村の86歳の男性は、「核のごみはいずれどこかで処分をしないといけないものだと思う。原子力発電所は全国に立地しているので、文献調査が各地で行われるのはいいことではないか」と話していました。

また神恵内村の39歳の男性は、「核のごみについての議論がいろいろなところで活発に行われ、選択肢が増えると問題の解決が進むと思うので、調査が全国に広がることを歓迎します」と話していました。

一方、寿都町では、現在行われている文献調査の進め方に課題があるという指摘も聞かれました。

このうち、72歳の男性は、「寿都町では文献調査について住民に伝えられる情報が少なくどんな調査が行われているか分からなかった。玄海町で調査を行うのであれば住民により丁寧な説明をしてほしい」と話していました。

北海道 神恵内村長 ”心から敬意と感謝”

佐賀県玄海町の町長が「文献調査」を受け入れる考えを表明したことを受けて、2020年から文献調査が行われている北海道神恵内村の高橋昌幸村長はコメントを発表しました。

この中で、高橋村長は、「文献調査の受け入れを決断されたことに心から敬意と感謝を申し上げたい」と述べた上で、「高レベル放射性廃棄物の最終処分は、原子力発電の賛否にかかわらず日本社会全体で必ず解決しなければならない重要な課題だ。神恵内村はもとより、文献調査が行われている北海道の寿都町や玄海町での議論の輪が全国に広がり、さらに新たな調査地区が出てくることに加え、高レベル放射性廃棄物の最終処分について、全国の皆さまが自分事として捉えていただき、その関心が高まることを期待しております」とコメントしています。

北海道 鈴木知事 ”国民的な議論が必要”

佐賀県玄海町の町長が「文献調査」を受け入れる考えを表明したことについて、北海道の鈴木知事は、記者会見で、「個別の自治体の判断にコメントすることは控えたい」とした上で、「最終処分の問題は、原発の所在に関わらず、国民的な議論が必要な問題だが今の時点では、そのような状況にはなっていない。小さな町や1つの自治体が手を挙げて背負うものではなく国が前面に立って、役割を果たす必要がある」と述べ、核のごみが北海道だけの問題になることを強く懸念しているというこれまでの認識に変化はないと強調しました。

また、文献調査がまとめの段階に入っている北海道の寿都町や神恵内村が、次の「概要調査」に進むことについても、「これまでの考えに変わりはない」と述べ反対する考えを重ねて示しました。

【QAで】「核のごみ」とは? 処分地選定は?

Q.「核のごみ」って何ですか?

青森県六ヶ所村 保管されている「核のごみ」

A.いわゆる「核のごみ」は、政府の資料などでは高レベル放射性廃棄物と呼ばれ原子力発電に伴って発生する放射線を出す廃棄物のうち放射能レベルがもっとも高い部類のものを指します。

原発の使用済み核燃料から再び燃料として使えるウランやプルトニウムを取り出す際に残る廃液を、溶かしたガラスと混ぜ合わせて固めて作られ、「ガラス固化体」とも呼ばれます。

なお、使用済み核燃料を直接処分する国では、使用済み核燃料そのものが「核のごみ」となります。

青森県にある再処理工場で作られる「ガラス固化体」は、直径がおよそ40センチ、高さおよそ1.3メートルの筒型で、重さは500キロほどあります。

ことし3月現在、青森県と茨城県にあわせて2530体が保管されています。

作られた直後は表面の温度が200度以上あり、放射線量は1時間あたり1500シーベルトと、人が防護なしに近づけば10数秒で死に至る極めて高いレベルです。

このため、まず30年から50年ほど地上の施設で貯蔵され、放射線量が減衰するのを待ちます。

放射線量は、50年後には10分の1程度になり、厚さおよそ20センチの金属製の容器で密封すると、容器の表面では1時間あたり2.7ミリシーベルト程度に下がります。

1000年経つと容器の表面で1時間あたり0.15ミリシーベルト程度まで低下し、この段階では、1時間そばにいると医療機関で胸のエックス線検診を2、3回受けたのと同じ程度の被ばく量になります。

最終的な処分では、さらに自然界に存在する天然の「ウラン鉱石」と同じレベルの0.06ミリシーベルト程度に下がるまで人間の生活環境から隔離することにしていて、これには数万年程度の時間がかかります。

Q.「地層処分」って何ですか?安全なのですか?

A.2000年にできた「最終処分法」では、地下300メートルより深くに処分場を設け、「核のごみ」の放射能レベルが自然界のレベルに下がるまで、数万年にわたって閉じ込める処分方法が定められています。

これは「地層処分」と呼ばれ、原子力を利用する世界各国でも最終処分の方法として採用されています。

地下深くに埋める理由としては、人間の活動や自然災害の影響を受けにくいことや、酸素が少なく、物がさびるなどの化学変化が起こりにくいこと、一般的に地下水の動きが年間に数ミリ程度と遅いため、万が一、放射性物質が漏れても影響が広がりにくいことなどが挙げられています。

日本で「地層処分」が可能かどうかについては、法律の制定に先立って、旧「動力炉・核燃料開発事業団」などが、1980年からおよそ20年をかけて行った調査結果をもとに、国の原子力委員会が、技術的に信頼性があることが示されたと評価しています。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の翌年の2012年には、日本学術会議が「最新の科学的知見により成立性を見直すべき」などとした提言を取りまとめましたが、経済産業省が設置した専門家会議は、2014年に「最新の地球科学的知見に基づいても、好ましい地質環境と長期安定性を確保できる場所をわが国において選定できる」とする報告書をまとめています。

ただ、去年10月にも、一部の地質学者などが、「地層処分」は安定した岩盤が多いヨーロッパなどを前提とした考え方であり、プレートの活動が活発で地震や火山活動が多い日本には「適地」はないなどとする声明を発表するなど、依然として日本での実施を疑問視する声もあります。

Q.ほかに処分の方法はないの?

A.「核のごみ」を巡っては、原子力発電が始まった1950年代から、国際機関や世界各国で「地層処分」以外の処分方法も検討されてきました。

検討された主な方法としては、深い海底や海溝部に捨てる「海洋投棄」、南極などの氷の下に処分する「氷床処分」、宇宙にロケットなどで打ち上げる「宇宙処分」があります。

しかし、このうち「氷床処分」については、1961年に発効した南極条約で、「海洋投棄」については1975年に発効したロンドン条約により、それぞれ認められないことになりました。

残る「宇宙処分」は打ち上げの信頼性やコスト面などの課題から、採用している国はありません。

また、廃棄物処分の「発生者責任」や「公平負担」といった考え方が広がる中、2001年に発効し、2003年に日本が締結した放射性廃棄物等安全条約で、「発生した国で処分されるべき」という原則が規定され、海外に処分を委託することも難しくなっています。

このほか、放射性物質に中性子などを当てて性質を変える「核種変換」によって、「核のごみ」に含まれる寿命の長い放射性物質を寿命の短いものに変えることで処分しやすくする方法も検討されていて、基礎的な研究が進められています。

Q.原発の利用を始めた時点で処分方法を決めていなかったの?

A.日本では1966年から商業用の原子力発電が始まりましたが、その4年前から「核のごみ」の処分の検討が始まっていました。

当初は海に捨てる「海洋投棄」が可能と考えられていて、1962年には、国の原子力委員会の専門部会が「国土が狭く、地震のあるわが国では最も可能性のある方式」だとする報告書をまとめています。

しかしその後、国際的に環境保全の機運が高まり、1975年に発効したロンドン条約で「海洋投棄」が禁止されました。

これを受けて原子力委員会の専門部会は海外での対策を調べ、1976年、「地層処分」に重点をおいて調査研究と技術開発を図るとする報告書をまとめました。

この報告書では、2000年ごろまでに実証試験を行うことなどを通して処分方法の見通しを得ることを「努力目標」としました。

しかし、1980年代に入り、試験を行う土地を決めるために各地でボーリング調査などを計画していることが明らかになると、「将来の処分場の立地を想起させる」などとして地域から懸念の声が上がり、十分な調査はできませんでした。

日本で処分地の選定が始まったのは、2000年に「最終処分法」が制定されたあとでした。

一方、海外では、特に北欧のフィンランドやスウェーデンで処分地の選定が先行し、1980年代前半までに地層処分を前提に実施体制を決め、1990年代にかけて処分地の選定を始めていました。

フィンランドでは2001年、スウェーデンは2009年にそれぞれ処分地を決めています。

Q.処分地はどうやって決めるの?

A.2000年に成立した「最終処分法」では、「地層処分」を行う処分地の選定に向けて3段階の調査を行うことが決められました。

調査は国の認可法人・原子力発電環境整備機構=NUMOが行います。

第1段階として、文献をもとに火山や断層の活動状況などを調べる「文献調査」で2年程度、次に、ボーリングなどを行い地質や地下水の状況を調べる「概要調査」で4年程度かかる見通しで、その後、地下に調査用の施設を作って、岩盤や地下水などの特性が処分場に適しているか調べる「精密調査」を14年程度で行う想定です。

対象の自治体には段階に応じた交付金が用意され、初めの「文献調査」では最大20億円、次の「概要調査」では最大70億円が支払われます。

このうち、「文献調査」は、地元の自治体が応募するか国の申し入れを受諾すれば始めることができますが、「概要調査」に進むには、地元の市町村長だけでなく都道府県知事の同意も必要になります。

制度上「地域の意見に反して先へ進まない」と定められていますが、調査の受け入れが議論された自治体では、「実際の処分場の建設につながる」という懸念から、受け入れを拒まれるケースもありました。

Q.処分地の選定は今どうなっているの?

A.2000年に「最終処分法」が作られたあと、処分地の選定に向けた第1段階の文献調査を行う候補地の公募が始まりました。

ただ、調査への応募を巡っては、自治体の議会で勉強会を開くなど検討の動きが表面化するたびに住民や周辺自治体などから反発を招き、断念するケースが相次ぎました。

2007年には、高知県の東洋町が全国で初めて調査に応募しましたが、賛成派と反対派の対立のすえ、選挙で町長が落選し調査が始まる前に応募は撤回されました。

さらに、2011年の東京電力福島第一原発の事故の後は、調査の受け入れが表立って議論される機会はなくなっていきました。

このため政府は2017年に、文献などをもとに火山や活断層の有無などを確認し、調査地点として好ましい、好ましくないといった特性で全国を色分けした「科学的特性マップ」を公表し、各地で説明会を開くなどしてあらためて理解を求めてきました。

こうした中、2020年に北海道の寿都町と神恵内村が調査への応募や受け入れを決め、全国で初めてとなる「文献調査」が行われた結果、ことし2月、次の「概要調査」に進めるとする報告書案がまとめられました。

ただ、地元からは、処分地の選定が「北海道だけの問題」とならないよう、調査地域の拡大を求める声が上がっています。

政府は去年、最終処分の実現に向けた基本方針を8年ぶりに改定し、NUMOや電力会社と合同で、全国の自治体を訪問するなどして働きかけを強めています。

ただ、去年9月には、長崎県対馬市の市議会が調査の受け入れを求める請願を採択したものの、市長が調査を受け入れない意向を表明するなど、調査地域の拡大は具体化してきませんでした。