金沢市の前田洋一さん(44)は、珠洲市三崎町の実家で暮らしていた父親の進さん(74)を能登半島地震で亡くしました。
今も残る父の「冷たい手」の感触 一緒に飲むはずだった花見酒
今も突然思い出すことがある。
地震のあと救出された時の、父の冷たい手の感触を。
どうしても震災前のような心境にはなれない。
桜が花を咲かせているのも、きれいで癒やされる部分はあるけど、ちょっとしんどい部分もある。
時間は進んでいるけど、被災した現状は何も…と。
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3か月前のその時の様子を
進さんは、新年のあいさつで近所に住む友人のもとを訪れていた際に地震が発生。
住宅の倒壊に巻き込まれました。
当時、洋一さんは正月休みで実家に帰省していました。
倒壊した住宅に、大声で呼びかけましたが返事はありません。
なんとか救出しようと思ったその時、津波警報が鳴り、その場を離れざるをえませんでした。
建物倒れ父が…「現実受け入れられない」【被災地の声 20日】
それから3か月。
洋一さんは、今でもその時の様子を思い出すことがあります。
洋一さん
「1人でいる時ですね。突然思い出します。感触がまだ覚えているんですよね。救出された時に触った冷たい手の感触は今でも残っています。(父が)もし生きていればどうしていただろうかということを考えます。生きていたらこの場面をどういうふうに乗り切ったんだろうと」
「優しくて男気があって熱い」
漁師だった進さんは、自分の船に長男の洋一さんと次男の孝さんの名前から「洋孝丸」と名付けたこともあるような、家族思いで頼りがいのある父でした。
洋一さんが成長の過程でつまづいた時にも、いつも親身になって話を聞いてくれたと言います。
「厳しいところもありますけど、人の話をしっかり聞いてくれる、ものすごく優しくて男気があって熱い男でした。
やっぱりいろいろつまづく時ってあるでしょう。そういう場面になったときに親身になって目線を合わせて話してくれました。思い出はたくさんありすぎてひとつでは語れないですね」
実家の庭に父が残した桜の木が
地震のあと洋一さんは、週末のたびに金沢市から珠洲市に帰省しています。
実家に1人残る母が心配だからです。
「もし自分の身に何かあったら(母を)頼むよ」
生前、病気を患っていた父親の進さんはよくそう言っていました。
「(母は)私らよりつらいと思います。一番長く、一緒にいたんですから。今は顔を見て一緒にご飯食べて話すことしかできないですけど、少しでも和らいでもらえたらと思っています」
実家の庭には、河津桜の木があります。
進さんが15年前から大切に育てていたもので、春を迎え今、見頃を迎えています。
この時期になると、洋一さんは進さんと花を眺めながら酒を飲むのを楽しみにしていました。
しかし、それはもうかないません。
桜を見上げる時も、つらい思いが残ります。
「実際きれいなんです。きれいで癒やされる部分はありますけど、やっぱりちょっとしんどい部分はあります。桜が咲いたように時間は進んでいるけど、被災した現状は何も進んでねえよって」
「立ち直ろうとはしていますけど、時折震災の時のことは思い出したりしてしまいますので、震災前のような心境にはなれないですね。まわりはちゃんと時間が進んでいますので、そこに合わせていかなければいけないんですけど、たまにはついていけない部分もあります」
この日、洋一さんは、進さんと一緒に飲むために用意していたという日本酒を口にしました。
「父は聞き上手ですから、話しやすいんですよ。もし一緒に飲むことができたら、写真みたいな笑顔でいろいろと日常的な会話や世間話で盛り上がるんじゃないですかね」
そして、父が残した桜の木については。
「来年も間違いなく咲きますよ。(桜の木は)守り抜きます」
(金沢局記者 原祢秀平)