医師が来ない?診療体制縮小?“改革”開始、医療の行く末は

「なんとかしのいで行くしかない」
「現場に押しつけられた課題だ」

4月1日。きょうから患者の診療にあたる勤務医に、法律に基づく労働時間の上限規制が適用されます。

この「医師の働き方改革」に伴って診療体制を縮小するなど、私たちが受ける医療にも影響が出始めています。

一方で、“改革の抜け穴だ”という指摘も現場からは上がっています。

日本の医療の何が変わるのでしょうか?

「帰って、帰って、帰って」

朝6時。

北海道南部の救急医療を担う函館市の市立函館病院に出勤してきたのは、消化器外科の科長を務める笠島浩行さん(54)です。

出勤はいつも、朝日が昇る頃。

早朝出勤の理由は部下10人ほどの医師の勤務状況をつぶさに確認するためです。

手術の予定表に「帰って」の文字

手術の予定表に書かれた「帰って」の文字は、夜間に緊急手術を行った医師に、帰宅を促すサインです。

市立函館病院 笠島浩行 消化器外科長
「寝てない人間が定期手術、本来予定の手術やるってなると患者さんに対して本来の力を発揮できない。夜中働いた人たちは帰ってくださいと」。

一方、笠島さん自身は、週末もハードな日々を送っています。

早朝業務を終えた金曜日の午前10時。

ここから2泊3日、別の病院に応援に向かいます。

向かうのは、車とフェリーで4時間以上かかる奥尻島です。

到着後すぐ、外来診療に入ります。

最大の目的は、常勤医1人で島を守ってきた医師に休んでもらうことです。

週末は奥尻島を含め、月に複数回、地方病院の支援に入っています。

笠島浩行 消化器外科長
「少人数で町を守っている医師たちに、ちょっとした家族サービスをする時間だとか休息の時間を作ってあげる。そっちなんです。そっちの使命のほうが大事なんです」

しかし、ことしに入り、この派遣が縮小されることになりました。

奥尻島には笠島さんを含め毎月3人ほど派遣されていましたが、整形外科医の派遣を打ち切り、月に2人程度に縮小されることになったのです。

背景に「医師の働き方改革」が

決断の背景にあるのが、救急医療への対応の増加と、医師の働き方改革です。

去年1年間に市立函館病院が対応した救急搬送は6600件あまりで、過去最多となりました。

しかも、医師の9割が函館市に集中する道南地域では、遠くまで応援に出る必要があり、移動や滞在の時間が負担となってしまうのです。

市立函館病院 森下清文院長
「道南というのは面積でいうと東京の3倍くらいあるんですけど、そこから診療応援に行くと、かなりの距離のハンデになります。(働き方改革の結果として)どれほどよそに応援に出せる余力が出てくるのか、正直つかみかねているところはあるので」

医師派遣の打ち切りも

こうした中、奥尻島のほかにも医師の派遣打ち切りとなった地域があります。

北海道松前町では週に1度の小児科医の派遣が打ち切りになりました。

このため、町内では小児科医の診察を受けることが出来なくなりました。

母親
「診察を受けさせていただくことが結構ありましたので、週に1度でもいいので小児科医の方が来ていただけると、親としては安心です」。

町は、「総合診療医」による診察などで当面は何とかしのいでいくしかないとしています。

北海道松前町 石山英雄町長
「大変残念に思うが、現医師体制でなんとか乗り切りたい。なかなか簡単に医師が来ていただける環境作りは難しい行政課題だと思う」

市立函館病院 森下清文院長
「働き方改革によって供給能力が落ちてきて(医療ニーズとの)ギャップが出ますよね。そこをどういうふうに埋めていけるのかなという所は危惧している。今後どういうふうにギャップを埋めていくかは、現場に押しつけられた課題だと思う」

「医師の働き方改革」とは?

こうした影響が出始めている背景にあるのが、医師の働き方改革です。

4月1日から、労働基準法に基づいて休日や時間外労働時間の上限規制が適用されました。

多くの職種では5年前から法律に基づいた働き方改革が始まり、上限規制が行われていますが、これまで勤務医については地域医療への影響などから猶予されていたため、上限規制はありませんでした。

設けられる上限は、いわゆる「過労死ライン」にあたる原則「年間960時間」

1か月あたりの平均に換算すると「80時間」で、一般の労働者とほぼ同じ規制になります。

一方、例外として、一部の救急病院など地域の医療体制を確保するためにやむをえず長時間労働をせざるをない場合を想定して「暫定で年間1860時間」の特例水準も設定されます。

このほか、健康確保のための措置として連続勤務時間の制限や休息時間の確保なども始まります。

そもそも勤務医の労働時間の実態は?

一方、現場では長時間労働による問題が指摘され続けきました。

厚生労働省がおととし(R4)に行った医師の勤務実態に関する調査では、年間の労働時間がいわゆる「過労死ライン」にあたる960時間の上限を超える医師の割合は全体の21.2%で、依然高い数字となっています。

見直しに取り組む医療現場では?

働き方改革を進める医療機関では、患者のニーズへの対応とどう両立させていくか、難しさにも直面しています。

東京・中央区にある聖路加国際病院は8年前、労働基準監督署から医師の長時間労働などについて「是正勧告」を受けたことをきっかけに、働き方の見直しを進めてきました。

医師の時間外労働時間を減らすため、以下のような体制見直しを進めました。

▼土曜日の外来診療を大幅に縮小
▼夜間の診療にあたる医師を減らす

その結果、1か月あたりの医師の時間外労働時間は病院全体で平均100時間近くから40時間以下にまで減少したといいます。

一方で、この病院の救急外来は、救急患者の受け入れ件数が都内でもトップクラスです。

夜間から早朝にかけて勤務する医師が半減したために一時は救急患者の受け入れを断らざるを得ないケースも増えたといい、葛藤を抱えながら取り組みを進めているといいます。

聖路加国際病院 石松伸一院長
「一番難しかったのは医師自身の意識を変えることです。救急の患者を断らざるをない状況が出てきたことはかなりの衝撃でしたが、以前の働き方ではいつまでも続かないという思いもありました。いまもこの働き方で完全にいいというよりは、難しさを感じながら取り組みを進めています」

労働基準法の“特例”申請が急増

こうした中、全国の医療機関が進めてきたのが「宿日直許可」の取得です。

これは労働基準監督署が認可するもので、夜間や休日に勤務する際、ふだんの業務と比べて軽度で十分な睡眠が取れる場合に、一定の手当てを支払えば、その時間内の労働時間を計算上、除外できるという制度です。

例えば、午後7時から翌朝午前7時まで当直勤務に入ったとすると、通常の夜間の勤務であれば「12時間」の時間外労働になりますが、「宿日直許可」を取得すると、これが「ゼロ」とみなされます。

また、勤務間の「休息」時間と扱われる場合もあります。

厚生労働省によりますと、全国の医療機関で「宿日直許可」を認めた件数は、4年前の2020年が144件、翌年は233件だったのに対し、おととし(2022年)は前の年のおよそ6倍の1369件と、労働時間の上限規制導入を前に急増しています。

「労働時間がブラックボックス化」指摘も

「宿日直許可」は、医師の労災申請にも影響を与えています。

6年前、都内の大学病院に勤めていた40代の男性医師が勤務中に倒れ、くも膜下出血を発症したケースでは、審査にあたり当直勤務の扱いが焦点の一つとなりました。

当初、審査にあたった労働基準監督署は、仮眠時間を除いて当直の時間帯を労働時間に算入しました。

しかし、より上位の審査を行う国の審査会は、ことし1月、「宿日直許可」を取得していることを根拠に、当直の時間帯を“原則として労働時間に含めない”とする決定を出しました。

結局、労災の申請は認められず、男性医師の妻は今後、裁判で争っていく意向だということです。

労災申請に関わった蟹江鬼太郎弁護士
「夜中の医師の行動が労働時間にあたるかどうか一つ一つ立証するにはカルテの記録をひとつひとつ見ていかないといけないなど極めて難しいです。

宿日直許可が出ていたら認めないというのであれば、労災申請や裁判といった争いを起こさない限り、医師の労働時間はますます“ブラックボックス”になりかねません」

「今手を付けなければもっと悪くなる」

「医師の負担軽減」と「地域医療体制の維持」の両方を、どうやって実現していけばいいのか。

医師の働き方や地域医療の問題に詳しい専門家に聞きました。

自治医科大学 小池創一教授
「上限の時間を守ることはもちろん大切だが、持続可能な医療提供体制を維持するために医師の働き方をどう考え変えていくのかが1番大切なことではないか。今手をつけなければたまりにたまった無理が一気に吹き出して、5年後、10年後には状況がもっと悪くなっている危険性もある。限られた医療資源をどのように使っていくか、患者さんや社会全体で考えていく必要がある」

「国は新しい制度について、どのような課題や好事例があるのか情報を丁寧に収集・分析して現場にフィードバックするとともに、課題を解決するために必要な制度面や財政面での支援についても検討を進めてほしい」

(医師の働き方改革取材班 杉本志織 大西咲 杉本宙矢 高橋遼平)

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