島根県出雲市出身の三木選手。
子どものころからスポーツが好きで、高校からは部活動で硬式テニスで活躍。将来はテニスに関わる仕事に就くことを夢見て、体育大学への進学を目指していました。
“パリで悲願のメダルを” 車いすテニス 三木拓也
「パリ大会を1つの集大成に」
パラリンピックに3大会連続で出場している車いすテニスの三木拓也選手。34歳にして成長を続け、1月に開かれた全豪オープンでは、一回り以上も年齢が離れた世界ランキング1位の小田凱人選手とのダブルスで準優勝を果たしました。
目指すは4回目となるパリ大会への出場。そして、いまだ手にしていないメダルの獲得です。
(松江放送局 記者 三井蕉子)
車いすテニスとの出会い
しかし、高校3年生のとき、左すねに骨肉腫が見つかり、左ひざに人工関節を入れました。
医師からは「走るのは無理なのでスポーツは諦めてください」と言われたといいます。
「もうテニスはできないのかー」
絶望していた三木選手に医師が見せてくれたのが、車いすテニスの第一人者・国枝慎吾さんの動画でした。
北京パラリンピックで活躍するその姿に希望を見いだし、競技の道に入ったといいます。
三木拓也 選手
「“こうなりたいな”って、“パラリンピアンになりたいんだな”って、心の底から思っている自分がいるということに気づきました」
すぐに頭角をあらわした三木選手は、活躍の舞台を世界へと広げました。
安定したショットと緩急をつけたプレースタイルを武器に躍進し、パラリンピックではロンドン(2012)、リオデジャネイロ(2016)、東京(2021)と3大会連続で出場を果たしました。
三木選手は東京大会後、気になる発言をしていました。
「次のパリ大会は、1つの“集大成”にできるように頑張りたい」
パリ大会が“集大成” その真意は
“集大成”ということばには、どのような意味があるのか。その真意について聞きました。
「正直、毎回使ってしまっていて、リオデジャネイロ大会の時も同じ発言はしています。“これで終わり”という意味ではなく、“1つの区切り・大きな目標として設定している”という意味で“集大成にしたい”という言い方をしました。自分のテニスが向上・成熟しているのを感じているので、その過程でテニスを離れることは正直考えていません。まだまだ勝っていく可能性を感じているし、モチベーションも高いので、そこがやめるかやめないかに関わってくるひとつかと思っています」
体力的に年齢を感じるのか、尋ねました。
「連戦や長時間の試合のあとの回復力に関しては、やはり20代のころに比べると落ちてきていると感じています。ただその分、食事のメニューに気をつけるなどすれば、まだまだカバーしていけます。そういう部分の気づきも大きいですし、ある意味、年を重ねることは自分にとって成長の要因にもなっているのかなと思います」
四大大会ではダブルス準優勝 ペアは小田凱人
三木選手は、この夏開催されるパリ大会で、4回目となるパラリンピック出場を目指しています。
34歳のベテランながら、世界ランキングは11位(2024年3月4日時点)。
日本代表の選考基準のひとつである「世界ランキング32位以上(2024年7月15日時点)」につけています。
原動力のひとつが、世界1位の小田凱人選手(17)の存在です。
去年からダブルスでペアを組み、テニスの四大大会ではウィンブルドン(2023)、全米(2023)、全豪(2024)と3大会連続でダブルスで準優勝を果たしました。
「(小田選手は)いち選手としては悔しい気持ちもありますが、ものすごく新しいテニスをしていて、華もありますし、大きな存在だと率直に感じています。自分たちも刺激を受けて、各選手がどんどんレベルアップしています」
小田選手とダブルスを組んだきっかけは?
「もちろん“勝つため”ということが重要なんですけど、お客さんに楽しんでもらえるようなダブルスができるのではないかと思い、2023年のジャパンオープンの前に、僕のほうから『組んでみないか?』とオファーしました。実際に組んだその大会では、魅せるプレーをしつつ、今までの車いすテニスにはないような動きのあるダブルスができました。そういった意味ですごく刺激を受けています」
三木選手は、1月の全豪オープンを終えたあとも、2月にはアメリカ、3月には韓国など、海外遠征で実践を重ねながら、現在はみずからの強みである“総合力”に磨きをかけているといいます。
「テニスは“これ1つあれば勝てる”という競技ではないので難しいけれど、自分の場合は“総合力”という部分に力を入れています。正直、1発のパワーでは小田選手や上位の海外選手に対して分が悪いと思っていて、いろいろな球種を打てて、得手不得手が無いところが自分の強みです。現状、練習で磨いた個の力は、ダブルスでより発揮されていると思っていて、それをどうシングルスでも出していくかというところだと思います」
地元・島根とのつながり
そして、もうひとつの大きな支えが、ふるさと・島根との交流です。
1年の半分を占める海外遠征の合間を縫って帰省し、2月には地元・出雲市で講演を行いました。
地元ファンとの握手に応じたり、競技用車いすの動きを披露したり、リラックスした様子で交流を楽しんでいました。
「(島根に帰ってくると)生まれ育った場所なので“落ち着く”というのが一番です。テニス関係の人と会ったり、ぶらぶらしたり。宍道湖の夕日を見に行って、あいにくの天気だったので見られなかったですけど(笑)。ほかにも、ちょっと友人とドライブして地元のものを食べに行ったりしました」
島根には、選手としてのキャリアを支える大切な人たちもいます。
それが大田市の義肢装具メーカーです。
人工関節を入れている左ひざを保護したり、骨盤の左右のバランスを保ったりする装具を作ってもらうなど、およそ15年にわたってサポートを受けています。
「いい結果を報告できたときに喜んでもらえるのは選手冥利に尽きるというか、誰にでもできる経験ではないですよね。自分が国枝さんやいろいろな選手から影響を受けたように、自分も少しでも地元に還元できたと感じられるのは、自分の人生にとってすごく意義のあることだと思います」
“ふるさとにメダルを”目指すはパリ
ふるさとへの強い思いを胸に、パリ大会を目指す三木選手。
リオデジャネイロ大会のダブルスでは4位と、メダル獲得まであと一歩のところまで勝ち進みました。
目指すパリ大会では、いまだ手にしていない高みに挑む覚悟です。
「“地元にメダルを持ち帰りたい”という気持ちは強くなっています。シングルスでもダブルスでも、どの試合でもそうですけど、1番上を目指して頑張っているので、金メダルを目標に頑張りたいです。自分のテニス=“総合力”により磨きをかけて、試合でどう使っていくかを極めていきたいと思います。自分が戦う姿を地元に届けて、元気づけることに一役買えたらいいと思っているので、温かく見守ってほしいと思います」
(2024年2月16日「しまねっとNEWS610」で放送)
《基礎情報》三木拓也 選手
▽生年月日:1989年4月30日生まれ
▽出身地:島根県出雲市
▽主な実績:
・パラリンピック 3大会連続出場(2012年 ロンドン大会~)
・2023年 ウィンブルドン 男子ダブルス準優勝
・2023年 全米オープン 男子ダブルス準優勝
・2024年 全豪オープン 男子ダブルス準優勝