「とにかく外に出ろ」と言えばよかった…妻亡くし今なお苦しみ

地震で亡くなった、竹園波津枝さん(59)です。

最初の揺れの直後は、まだ携帯電話でやりとりができていました。

夫の親義さん(58)は今もその時のことを思い出すと言います。

「最初の電話で『外に出て』って言えば、出ていたと思うんです。『とにかく外に出ろ』って言えば」

携帯電話を鳴らしても

輪島市河井町の僧侶、竹園親義さんは、地震があった元日、ちょうど外出先から帰宅したところでした。

激しい揺れが来たのは、まだ車の中にいる時でした。

車内から自宅を兼ねた寺を見ると、お堂が大きな音を立てて崩れました。

崩れたお堂

妻の波津枝さんは建物の中にいるはずでした。

その少し前、最初の揺れがあった直後、波津枝さんの携帯電話にかけると、少しやり取りができていました。

激しい揺れが収まったあと、波津枝さんのふだんよくいる場所に向かって何度も何度も声をかけ続けました。

「呼んでるうちに返事があるかなと思って、ずっと呼んでいました」

しかし、返事はありませんでした。

波津枝さんの携帯電話を鳴らしても、もう出ることはありませんでした。

自宅を兼ねたお寺

自宅を兼ねたお寺は大規模な火災が起きた「朝市通り」に近く、火の手も迫っていました。

夜には避難せざるを得なくなり、翌日帰ってきてまた波津枝さんを呼び続けました。

それでもやはり、返事はありませんでした。

波津枝さんは数日後、亡くなった状態で見つかりました。

甘い物を一緒に食べる時間が

親義さんと波津枝さんは5年前に結婚しました。

2人とも甘い物が大好きで、一緒に食べる時間が幸せだったといいます。

寺の仕事は忙しかったということですが、波津枝さんは法要の時には何十人もの食事の用意などを手伝ってくれたということです。

「無理をかけてた。こっちがわがままばかり言って。あまり感謝のことばを伝えてこなかったと思う」

親義さんは今は離れた場所に避難し、週に1回、寺の様子を確認するために戻っています。

2月28日も、残されている食器や衣類などを片づけに戻りました。

この日は、建物から波津枝さんが着ていたどてらが見つかりました。

しかし、見ているだけでつらい思いになり、処分することにしました。

片付けをする親義さん

大規模な火災で焼けてしまった「朝市通り」など、2か月が過ぎても周囲の様子は地震が起きた当時とほとんど変わっていません。

親義さんはそうした変わらない景色を目にすると、地震当時のことが夢に出てきて苦しいということです。

まだことばにできない思い

周囲には家族を亡くした人もいます。

僧侶として、そうした人たちのつらい思いを聞く必要があると考えていますが、今はまだ自分の心に余裕がないと感じています。

「妻には、最初の電話で『外に出て』って言えば、出ていたと思うんです。『とにかく外に出ろ』と言えばよかったかもしれない。家も家族も街も失って、本当にその尊さがわかる。本当に、無くなって尊さがわかりますね」

それでも波津枝さんへの思いは、今もまだうまくことばにできないと言います。

「ことばにうまくできないですね。ことばに置き換えても、それがうそっぽい気がする。難しいな。一緒にいられたことは、価値のあったことだと言えるように、かな。これからも、感謝していきたいと思います」