大相撲 琴ノ若の大関昇進が確実に 初場所で優勝争い13勝2敗

日本相撲協会は大相撲初場所で13勝2敗の成績を残し、優勝争いに加わった関脇・琴ノ若の大関昇進に向けた臨時の理事会を開催することを決め、琴ノ若の大関昇進が確実になりました。

琴ノ若 大関昇進が確実に

琴ノ若は新関脇として臨んだ去年9月の秋場所では9勝で、11月の九州場所では一時は優勝争いにも加わり、11勝4敗の成績を残しました。

そして、今場所は千秋楽の優勝決定戦で横綱・照ノ富士に敗れて初優勝は逃したものの13勝2敗の成績を残しました。

この結果、琴ノ若は、三役で臨んだ直近3場所の勝ち星の合計が大関昇進の目安とされる「33」に届きました。

日本相撲協会の八角理事長は昇進の議論を預かる審判部の要請を受けて、1月31日に大関昇進に向けた臨時理事会の開催を決め、琴ノ若の大関昇進が確実になりました。

大関昇進が正式に決まれば千葉県出身力士としては69年ぶりとなります。

琴ノ若「まだまだ自分には上がある 稽古を積みたい」

関脇・琴ノ若は横綱・照ノ富士との優勝争いについて「やることは変わらないと思ったので、平常心で臨んだが、まだまだ力不足だった」と悔しそうな表情で振り返りました。そして大関昇進が確実になったことについては「昇進の声をかけていただいたのはうれしいが結果がすべてだ。まだまだ自分には上があるのでそこを目指して稽古を積んでいきたい」と話しました。

佐渡ヶ嶽 審判部長「相撲が安定している」

佐渡ヶ嶽審判部長は関脇・琴ノ若の大関昇進に向けた臨時理事会の招集を要請したことについて「ここ2年、相撲が安定している。内容ですね」と理由を話し、反対については「ありませんでした」と話しました。

師匠であり、父でもある佐渡ヶ嶽親方は「いいところもあったが、攻めが遅いところもあった。今の相撲にもっと磨きをかけることだ。師匠としては横綱まで上がっていってほしい」と期待をかけていました。

優勝した横綱・照ノ富士については「横綱も中日をすぎて調子が戻ってきたなと思う」と話していました。

また、11勝4敗に終わった大関・霧島の綱とりについて白紙となったのかと報道陣に問われると「そうですね」と来場所から出直しになる見通しを示しました。

【解説】琴ノ若“みずからのスタイルを追求”

琴ノ若は3代続く相撲一家に生まれた環境を生かしてみずからのスタイルを追求し、大関昇進を確実にしました。

今場所、琴ノ若が力を発揮したのは身長1メートル89センチ、体重177キロの体格を生かした得意の右四つの相撲だけではありませんでした。初日の阿炎や11日目の王鵬など突き押しを持ち味とする力士に対しては、まわしを取れなくても逆に力強く押し返して勝利。およそ4年前に新入幕を果たしてから、自己最高となる13勝2敗の成績を残しました。

相撲の幅を広げられた背景には3代続く相撲一家で生まれ育ってきたことがあります。もともとは父の元関脇・琴ノ若で師匠の佐渡ヶ嶽親方の指導のもと、父も持ち味としていた四つの相撲を磨いてきました。

しかし、番付を上げるにつれて、四つに組むために相手を崩したり、四つに組めなかったときに決め手にしたりするため「押し相撲もできるのがベスト」と考えるようになりました。

その身近なお手本が祖父の元横綱・琴櫻です。得意としていた押し相撲の映像を見て研究を重ねてきたと言います。さらに5年前に十両に昇進したころからはもろ差しの相撲にも取り組むようなったほか、次の年にけがをした左ひざに負担をかけないよう立ち合いから前に攻める相撲も意識して稽古。

去年からはタブレット端末で撮影した稽古の様子を見て修正点を探るなど、試行錯誤を重ねて「新しい琴ノ若」と話す取り口を追い求めてきました。

琴ノ若には子どものころ、祖父と交わした約束があります。それは大関に昇進すれば、しこ名の「琴櫻」を襲名を許すというものでした。

成績次第では大関昇進の可能性もあるとされていた初場所の前、琴ノ若は「このしこ名で優勝することが師匠への1つの恩返し。そして今度は大関に上がって『琴櫻』を復活させることが、支えてくれた方々への恩返しになると思う」と話した上で「優勝と大関昇進をしっかりと目指して、強い気持ちでやっていきたい」と意気込みを示していました。

横綱の壁に阻まれて初優勝こそ果たせませんでしたが祖父と父に学んだ相撲にみずから研究も重ねる琴ノ若。次こそは賜杯を手にして祖父と並ぶ番付最高位「横綱」の座を目指します。

◇琴ノ若 “祖父から3代続けての幕内力士”

琴ノ若は千葉県松戸市出身の26歳。祖父は元横綱・琴櫻、父は師匠である元関脇・琴ノ若の佐渡ヶ嶽親方と、3代続けての幕内力士です。埼玉栄高校を卒業後、佐渡ヶ嶽部屋に入門し、平成27年の九州場所で初土俵を踏みました。

恵まれた体格を生かした四つ相撲を持ち味に令和元年の名古屋場所で新十両に昇進して師匠の父からしこ名を譲り受け、次の年には新入幕を果たしました。そして、去年の初場所で新三役となる小結に昇進し、名古屋場所では11勝4敗の成績を残して続く秋場所では関脇に番付を上げて、父の最高位に並びました。

三役昇進後は先場所まで6場所連続で勝ち越すなど安定感が増し、初場所では次の大関候補の筆頭として期待が集まっていました。

大関昇進は番付編成会議行い 理事会が決定

大関昇進の議論を預かる日本相撲協会の審判部は、1月31日に春場所の番付編成会議を行い、琴ノ若の大関昇進を臨時の理事会に諮ります。

理事会の決定をもって大関昇進が正式に決まり、協会が使者を派遣して大関昇進を伝達します。伝達式では、新大関がどのような言葉で使者にこたえるか、その口上が注目されます。

◆大関昇進の基準とは

大相撲の大関昇進について明文化された基準はありませんが「3場所連続で三役を務め、あわせて33勝以上」が目安とされています。

琴ノ若は関脇に昇進した去年の秋場所は9勝、続く九州場所で11勝、今場所は13勝を挙げて、三役で臨んだここ3場所の勝ち星の合計を「33」としました。

大関昇進の判断は日本相撲協会の審判部に委ねられていて、直近では去年、大関に昇進した霧島は3場所で34勝を挙げ、豊昇龍は3場所で33勝を挙げた上で昇進直前の名古屋場所で優勝決定戦を制したことが評価されました。

一方で、過去にはこの目安を満たさずに昇進した例や、満たしたのに昇進しなかったケースもあります。

【朝乃山は32勝で昇進】
4年前の春場所後に大関に昇進した朝乃山は目安に1つ足りない32勝でしたが、新三役から3場所続けて2桁勝利を挙げたことや四つ相撲の安定感を評価されて昇進を果たしました。

【正代も32勝で昇進】
同じ年の秋場所後に昇進した正代も直近3場所は32勝で、起点となった春場所は8勝止まりでしたが、その前の初場所で優勝争いに加わったほか、秋場所では初優勝も果たし、安定した勝ち星と相撲内容が高く評価されました。

【稀勢の里・豪栄道も32勝で】
平成23年の九州場所後に大関に昇進した稀勢の里と平成26年の名古屋場所後に昇進した豪栄道も3場所であわせて32勝と目安には白星がひとつ足りませんでしたがそれまでの安定した成績が評価され昇進となりました。

【雅山は34勝でも…】
一方で目安を満たしたのに昇進しなかったケースもあります。大関から陥落したあと、三役で迎えた平成18年の名古屋場所までの3場所で、10勝、14勝、10勝を挙げて、あわせて34勝としましたが、大関復帰はなりませんでした。雅山の昇進を見送った理由について、当時の審判部は「もう1勝ほしかった」と説明するなど、昇進の判断はそれぞれの事例で異なっています。