日本航空 機体炎上“全員脱出” 海保機の5人死亡 乗客14人けが

2日午後6時前、東京 大田区の羽田空港で、新千歳空港から向かっていた日本航空516便が、着陸した直後に海上保安庁の航空機と衝突しました。

この事故で海上保安庁の機体に乗っていた6人のうち、5人の死亡が確認されたほか、日本航空516便の乗員・乗客のうち14人がけがをしていることが確認されたということです。

また、この事故について、警視庁は業務上過失致死傷の疑いで詳しい経緯を捜査する方針です。

日本航空やNHKが羽田空港に設置したカメラの映像によりますと、2日午後5時47分ごろ、新千歳空港から向かっていた日本航空516便が、羽田空港のC滑走路に着陸した直後に機体から炎が上がりました。

516便は2日午後4時に新千歳空港を出発し、午後5時40分に羽田空港に着陸する予定だったということです。

旅客機の火 消し止められる 事故の発生から8時間余

炎上した日本航空の旅客機の消火活動にあたった東京消防庁によりますと、事故の発生から8時間あまりたった3日午前2時15分ごろ、火は消し止められたということです。

警視庁 業務上過失致死傷の疑いで詳しい経緯 捜査する方針

2日、東京・羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突した事故について、警視庁は業務上過失致死傷の疑いで詳しい経緯を捜査する方針を明らかにしました。3日、東京空港警察署に捜査本部を設置することにしていて、今後、現場検証や関係者から聴取などを行い、当時の詳しい状況を調べることにしています。

乗客乗員全員脱出 14人けが 命に別状はなし

日本航空によりますと、516便には子ども8人を含む乗客367人、乗員12人の合わせて379人が搭乗していましたが、全員、機体から脱出したとしています。

東京消防庁によりますと、日本航空516便の乗員・乗客のうち14人がけがをしたということです。

このうち、10歳未満から30代までの男女4人が救急搬送され、このうち2人は煙を吸い込んで手当てを受けていますが、命に別状はなく、残りの2人もけがの程度は軽いということです。このほかの10人のけがの程度は軽いとみられ、それぞれ自力で医療機関に向かうということです。

海保機には6人搭乗 5人死亡

一方、警視庁によりますと、海上保安庁の固定翼機に乗っていた6人のうち、5人の死亡が確認されたということです。このほか機長が重傷だということです。

海上保安庁によりますと、日本航空の機体と衝突した海上保安庁の機体は2009年3月に就役し、これまで事故を起こしたことはないということです。

機体を操縦していた宮本元気機長(39)は2017年2月から同型機の機長を務めていて、2019年4月から羽田航空基地に所属し、機長として4年11か月の経験があるということです。

海上保安庁の航空機事故で死者が出たのは、2010年8月に広島航空基地所属のヘリコプターが香川県沖の瀬戸内海で墜落し5人が死亡した事故以来です。

海保機 地震で新潟航空基地に物資輸送する途中

海上保安庁などによりますと、日本航空の機体と衝突したのは、ボンバルディアDHC8型機で、羽田航空基地に所属する固定翼機だということです。全長が25.68メートル、幅が27.43メートル、高さが7.49メートルです。

今回の地震で新潟航空基地に物資を輸送する途中でした。

フライトプランでは、午後4時45分に羽田航空基地を出て、午後5時55分に新潟航空基地に到着予定でした。

日本航空が会見 “滑走路に通常どおり進入 着陸操作を開始”

日本航空は2日夜、国土交通省で記者会見し、今回の事故について、旅客機は滑走路に通常どおり進入し、通常どおりの着陸操作を開始したという認識を示した上で事故に至った詳しい状況については調査中だとしています。

記者会見で青木紀将常務執行役員は「お客様、関係の皆さまに多大なご迷惑とご心配をおかけしたことをおわび申し上げます。海上保安庁の機材に乗られた方お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆さまにお悔やみを申し上げます」と述べました。

事故が起きた場所について青木常務執行役員は「滑走路上という認識で今現在ではいる。ただ、着陸許可が出ていたか管制との通信については事故原因の根幹に関わることなので今のところ申し上げられず、確認中だ」と述べました。その上で「通常であれば着陸許可が出ていたと考えるが、原因追及は運輸安全委員会で客観的にしていただく必要があり、ここで断定的な話ができない」と述べました。

また、旅客機の乗客と乗員の状況については、「367人の乗客と乗員が12人、あわせて379人は事故直後から全員機材から脱出し、18時5分にランプ内の安全な場所に避難した。現在1人1人のけがの状況を確認している最中だ」と述べました。

一方、会見に同席した日本航空の堤正行取締役は、乗員から聞き取った事故の状況について、「今、鋭意聞き取り調査中だ。滑走路に通常どおり進入し、通常どおりの着陸操作を開始したところ衝撃があって事故に至ったことは確認しているが、それ以上の詳しいことは調査中だ」と述べました。

また、海上保安庁の航空機を認識できていたか問われたのに対し、「調査中だが、私の認識では認識できていない」と述べました。

乗務員聞き取り “管制からの着陸許可を認識 復唱後に進入着陸”

日本航空は2日夜の会見に続き、3日未明、改めて事故の概要を発表しました。
この中では、新千歳空港を出発した際や運航中に機体に異常はなかったとしています。
また、乗務員への聞き取りによると、管制からの着陸許可を認識し、復唱したあと、進入・着陸操作を実施したとしています。
さらに乗客と乗員は、3か所の非常脱出口から脱出したということです。
会社では「詳細な状況や事故原因は調査中であり、調査に全面的に協力していきます」としています。

国交省と海保の会見 衝突の詳細 まだ確認できず

事故を受けて、国土交通省航空局と海上保安庁が午後9時15分過ぎから会見を開きました。

この中で、平岡航空局長は「C滑走路に南側からJAL機が着陸しようとしていた。着陸をしている際に滑走路上に海上保安庁の機体があり、そのまま衝突をしたということだ。どういう形で衝突をしたかという点について詳細はまだ確認できていない。その後、JALの機体についてはC滑走路のさらに北のところまでいって停止をしたということで、停止後炎上したということまでは確認はできている。横からなのか後ろからなのかまだ確認できていない」と話していました。

また平岡局長は、日本航空側の運航スケジュールに問題がなかったどうか問われたのに対し「スケジュール管理は管制機関が行っていて、安全な間隔とって、離発着を行っている。私どもとして現時点で問題があったとは理解していない」と述べました。

また、国土交通省航空局管制課の課長は海上保安庁の機体に離陸許可や進入許可は出ていたのかという質問に対して「そのあたりは現在調査中で、現段階では申し上げられない」と述べました。

災害派遣医療チーム「DMAT」派遣

東京消防庁によりますと、現場では100台以上の消防車両が消火や救助活動にあたっていて、医師や看護師で作る災害派遣医療チーム「DMAT」も派遣されているということです。

《516便 乗客の証言は》

乗客の女性「逃げろという明確なアナウンスはなかった」

事故があった航空機に家族3人で乗っていた女性は「ドンという衝撃があり、着陸にしては荒い操縦だと思っていたが、まさか事故を起こしたとは考えもしなかった。そのうち煙くさいと思っていたところ、機内アナウンスで姿勢を低くするよう指示されたが、混乱していたのか、逃げろという明確なアナウンスはなかった。前の乗客が移動したのでついて行って脱出することができた」と話していました。

乗客の男性「煙はどんどん充満した」

帰省先から自宅に戻る際に炎があがった航空機に搭乗していた男性は「着陸した瞬間はふだんと変わらない様子でしたが、ドーンという音がしたあと、外がオレンジ色にぱっと光って、燃えているのが見えました。機内では、『落ち着いてください』、『荷物を取らないで、立ち上がらないで』というアナウンスがありました。煙はすぐに消えると思いましたが、どんどん充満したのでシートベルトを外して煙を吸わないようにした。とりあえず子どもだけは守らなければと思った。このようなことが起きて本当に驚いたが、無事で良かった」と話していました。

20代女性「窓を見たら燃えていた」

帰省先の実家から帰るために娘と一緒に事故のあった航空機に乗っていたさいたま市の20代の女性は「普通に着陸したと思っていましたが、気がついたら煙くさくて窓を見たら燃えていました。逃げる時は、娘だけは守らなければと思って姿勢を低くして、とにかく煙を吸わないことだけを考えていました。機内は子ども連れが多く、子どもが泣き叫んでいました」と話していました。

男子中学生「着地と同時に爆発音が聞こえた」

家族旅行から帰ってくるために事故があった航空機に乗っていた15歳の男子中学生は「みんなパニックで『扉を開けてくれ』と言ったり、状況がわからないのか、荷物を取り出そうという人もいた。着地と同時に爆発音が聞こえて、みんなパニック状態になっていた。正直、すごく怖かった」と話していました。

30代男性「航空会社から的確な指示があったとは思わない」

事故があった航空機の後方の座席に搭乗していたという30代の神奈川県の男性は「帰省していた実家から戻るために搭乗していた。通常の着陸とは違う何かとぶつかったような強い衝撃音を感じて窓を見たら火花や炎上している様子が見えて、異常を感じました。心臓がばくばくして死ぬかもしれないと思った」と話していました。

そのうえで、避難の様子については、「すぐに体勢を低くという指示があったので、皆さんいったん安全な体勢をとったうえで避難した。航空会社からパニック状態の乗客を安心させるような的確な指示があったとは思わない。乗っていたお客さんが冷静に対応して無事に避難できた。降りてからも数十分待機を命じられていたが、炎が強くなってきて爆発の恐れもあり早く移動したかったが指示がなかった。非常に危険だと思った。まず離れたかったというのが乗客の本心だと思う。たまに大きな音がしたので爆発につながるんじゃないかと走り出す人もいた」と当時の緊迫した状況を話していました。

40代女性「死んでしまうかもしれないと思った」

帰省先から帰宅するためこの飛行機に乗っていた千葉県内に住む40代の女性は「飛行機の前方の右側に座っていました。着陸した瞬間、いつもより大きな音がして、窓から翼を見たら大きな炎があがっていて、だんだん熱くなってきた。その瞬間は、死んでしまうかもしれないと思いました。パニックになって大きな声を出している人もいましたが、客室乗務員の指示もあり自分の周りは皆、冷静でした。順番に脱出用のシューターを降りて、機体のほど近くで10人1組になって手をつないで輪になるよう指示をうけ、けががないか客室乗務員が確認していました。その際にも近くで機体が燃える音が大きくなったりしていました」と話していました。

男子大学生「機内も焦げ臭い臭いが立ちこめた」

この飛行機に乗っていた22歳の男子大学生は「主翼のすぐ後ろの席に座っていた。着陸する前は特に異変はなかったが、着陸した瞬間にものすごい衝撃を感じた。しばらくして外に炎があがるのが見えて機内も焦げ臭い臭いが立ちこめた。機内では『キャー』という叫び声が聞こえ、客室乗務員が『落ち着くように』とか『立たないでください』などと案内していた。煙が充満してきたので、口と鼻を押さえて身を低くして避難するように言われ、出口から案内されて避難した。その後、家族に無事を伝えた」と話していました。

59歳男性「近くの女性 過呼吸のような状態に」

北海道の実家に帰省し埼玉県川口市の自宅に戻るために事故のあった機体に乗っていた59歳の会社員の男性は、羽田空港で待っていた妻と合流すると、ほっとした表情を見せていました。

男性は「着陸したなと思ったらボンという変な音がした。窓の外を見ると燃えていてエンジンの故障だと思った。CAの方から『落ち着いてください』という機内放送があり、ほとんどの人は、落ち着いていたが、近くに座っていた女性は過呼吸のような状態になっていました。荷物は後日送ってくれるということだったが、どうなるかきちんと説明してほしかった」と話していました。

60代男性「化学薬品が燃えるような煙のにおい」

事故のあった日本航空の旅客機に搭乗していたという神奈川県在住の60代の男性は、「私は機体の真ん中近く、翼のすぐ近くに座っていました。座席のスクリーンで機体の前方カメラが着陸状況を写し出しているのを見ていたら、着陸のタイミングまでは非常に順調だと思ったのですが、着陸した直後に衝突音のような激しい音がしてすぐに左側の翼から出火しました。化学薬品が燃えるような煙のにおいがしました」と話していました。

また、機内での様子については、「乗客はみんな混乱した様子で、特に小さい子どもが多く泣き声がして、親がなだめている様子でした。出火が続いて煙が機内に入ってくるので、みんな不安でした」と話していました。

その後の避難については「脱出するまでに何分かかったか正確には覚えていませんが、機体が止まって5分くらいだと思います。前かがみに徹して滑走路脇の芝生のあたりに降り立つと、そのうち徐々に機体の胴体にも火が回っていました。みんな無我夢中だったので、とにかくその場から離れることしかなかったのですが、機体から離れると無事が実感できました」と安堵した様子を見せました。

乗客のロシア人男性「全員が無事で何よりです」

北海道旅行から戻るため事故があった航空機に搭乗していた日本在住のロシア人男性は「機内では女性と子どもが泣いている声が聞こえた。もし飛行機が爆発したら死んでしまうので、どうやって飛行機から逃げ出すかということを考えていた」と当時の状況を振り返りました。その上で「私は日本に5年ほど住んでいて、日本人は安全安心を第一にしていると思っていたので、こうした事故が起きたことは正直すごく意外でした。航空会社の係員が焦らずに案内してくれてよかったです。全員が無事で何よりです」と話していました。

羽田空港 C滑走路のぞき閉鎖解除

国土交通省によりますと、事故のあと午後6時から閉鎖されていた羽田空港の滑走路は、事故のあったC滑走路をのぞいて午後9時半に閉鎖が解除されたということです。

日本航空と全日空 羽田発着の国内便すべて欠航

日本航空によりますと、事故のあと羽田を発着する便はすべて欠航が決まったということです。

また、全日空も羽田空港を発着する国内線合わせて110便の欠航を決めました。このうち、羽田空港に到着予定だった9便は出発地の空港へ戻ったということです。このほか、成田空港や中部国際空港など別の空港に到着先を変更した便が9便あるということです。
一方、国際線の運行は今後の滑走路の状況をみて可否を判断するとしています。

羽田到着便 成田空港で順次受け入れ

成田空港会社によりますと、羽田空港で火災が発生した影響で、羽田空港への着陸を予定していた国内線と国際線あわせて23の便から、目的地を成田空港に変更したいという連絡が寄せられ、順次、着陸を受け入れているということです。

岸田首相 状況把握を指示

羽田空港の滑走路で航空機が炎上していることを受けて、岸田総理大臣は午後6時5分、▽関係省庁や関係機関と緊密に連携し、被災者の救出・救助活動に全力を尽くすこと、▽早急に被害状況を把握し、国民への適切な情報提供に努めることを指示しました。また政府は総理大臣官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置し、情報収集にあたっています。

岸田総理大臣は、総理大臣官邸を出る際、記者団に「斉藤国土交通大臣から報告を受けた。日本航空の職員、空港の職員、乗客の冷静な対応で、乗客・乗員379人は全員脱出できたということで、感謝を申し上げる」と述べました。

一方、海上保安庁の固定翼機に乗っていた6人については、「能登半島地震の対応のために搭乗していた海上保安庁の職員6人のうち、5人が死亡したと報告を受けた。この方々は被災地、被災者のために高い使命感、責任感を持って職務にあたっていた職員で、大変残念なことで、その使命感に敬意と感謝を表し 哀悼の誠をささげる」と述べました。

当時の気象状況は

羽田空港に設置されている気象台、「東京航空地方気象台」によりますと、事故が起きた直後、午後5時54分に観測された気象状況は、晴れで目で見える距離を示す「視程」が30キロだったということです。

また、▽風向きは、ほぼ北寄りで風速3.6メートル、▽およそ600メートル上空にわずかに雲が確認されたものの、航空機の運航に特に支障がある状況ではなかったということです。

フライトレーダーの情報は

航空機が発信する位置や高度の情報をもとに飛行コースを公開している民間のホームページ、「フライトレーダー24」によりますと、この日航機は午後4時27分に新千歳空港を出発して順調に飛行した後、午後5時47分に羽田空港に着陸しています。

このホームページでは通常は、着陸後、誘導路を走った際のルートも反映されますが、今回の日航機については、C滑走路に着陸したあたりで途絶えています。

全日空の元機長「通常はありえないこと」

今回の事故について全日空の元機長で航空評論家の樋口文男さんは「飛行機から火が噴き出していたので、飛行機にあたったのか、車に当たったのかどちらかと思ったが、通常はありえないことで率直に言ってびっくりした」と話していました。

事故の原因として考えられることについて、樋口さんは「管制官が指示を間違えたのか、指示を聞き逃したのかはわからないが、海上保安庁の飛行機がまだ入ってはいけないのに入ってしまったか、天候がよかったので可能性は低いが、着陸しようとした飛行機が滑走路から逸脱して滑走路の近くにいる機体にぶつかったかのいずれかではないか」と分析します。

その上で今後の事故原因の検証のポイントとして、管制官と機体側のやりとりの録音を挙げた上で、「管制官が許可したからといって大丈夫なのではなく、滑走路に機体がいないか確認することや、管制官の指示を復唱するなどの基本が忠実に行われていたのか『セーフティーファースト』が守られていたのか検証する必要がある」と指摘しました。

海外メディアも速報

今回の日本航空の機体の炎上について、海外メディアも速報で伝えています。このうち、イギリスの公共放送BBCは、日本時間の午後6時15分すぎ、アプリを通じて「日本航空の機体が羽田空港で燃えている。消火活動が行われている」と通知しました。

そして、午後6時半前、羽田空港で炎上する機体の中継映像とともに、速報で火災の様子を伝えました。この中でアナウンサーは「詳細は分かっていないものの、燃えている機体は北海道から羽田空港に向かっていたものだ。海上保安庁の機体と接触したという情報もある」などと伝えていました。

《各地の空港にも影響》

新千歳空港 200人が空港内にとどまる

羽田空港で、新千歳空港から向かっていた日本航空の旅客機が海上保安庁の航空機と衝突した事故の影響で、新千歳空港では羽田空港とを結ぶ合わせて36便が欠航し、多くの人が泊まる場所を確保できませんでした。

空港を運営する北海道エアポートは、国内線ターミナルの4階を開放して利用者を受け入れ、2日午後11時の時点でおよそ200人が空港内にとどまっているということです。

利用者たちは、用意されたマットを床に敷いたり、ソファーで横になったりして体を休めていました。

東京から北海道北見市に帰省していた20代の女性は「羽田便は座席が取れなかったので、3日の夜の仙台行きの便を取りました。仙台からは陸路でなんとかして、仕事が始まる4日までに東京に帰りたいです」と話していました。

また、観光で北海道を訪れていた神奈川の50代の男性は「空港で休んだあと、苫小牧から大洗まではフェリーで行って、そこから鉄道で帰ります。この場所で寝られるか心配です」と話していました。

家族3人で北海道旅行に来ていた東京の40代の女性は「どこのホテルもいっぱいで、羽田までの振り替えの便もなかなか取ることができず焦りました。早く無事に自宅に帰りたいです」と話していました。

宮崎空港でも

宮崎空港では、最終便が出発したあとの2日午後9時をすぎても、航空会社のカウンターの前に50人以上が長い列を作り、窓口で今後の運航の見通しを聞いたり、欠航になった便の振り替えの手続きを行ったりしていました。

東京から友人と2人で旅行に訪れていた20代の女性は「便の振り替えに時間がかかり、もう5時間近く空港にいます。まさかこういった事故が起こるとは思っていなかったのでとても驚いています」と話していました。

神奈川県から宮崎県日向市の実家に帰省していた50代の男性は「このあと近くのホテルに泊まり、もう1度、朝から来て、便の振り替えをお願いしようと思います。地震や飛行機の事故で、大変な年明けになってしまったと感じています」と話していました。

事故があった羽田空港のC滑走路以外の閉鎖は、午後9時半に解除されましたが、航空会社では、3日も欠航や遅れが生じるおそれがあるとして、最新の運航状況を確認するよう呼びかけています。