「絶対に“無縁仏”にしてはいけない」その時、友人たちは…

「絶対に“無縁仏”にしてはいけない」その時、友人たちは…
去年6月、都心の自宅マンションで亡くなった女性です。

社交的で、いつも多くの友人に囲まれていました。

しかし両親はすでに亡く、独身で身寄りがいなかったため、部屋や遺品を相続する人はいません。さらに。

「身元の特定ができず、無縁仏として火葬されてしまうかもしれない」

それを知った友人たちは…

(※この内容は12月22日朝7時~の「おはよう日本」でお伝えしました。)
画像をクリックすると見逃し配信が見られます(12月29日(金) 午前7:45 まで)

都心マンションの1室で

女性は、田中グレースみすずさん(享年56)です。

去年6月、東京・港区のマンションで亡くなりました。

私たちがグレースさんのことを知ったのは、都心の“遺品部屋”をめぐる取材の過程でした。

住んでいた人が亡くなったあと、相続されずに部屋と遺品が放置される“遺品部屋”。

こうした部屋は、全国にどのくらいあるのか。

その一端に迫るため、国が毎日発行する「官報」のデータを調べていたのです。

東京都心で“遺品部屋”多発 なぜ?

調査の結果、“遺品部屋”の数はこの10年間で少なくともおよそ1万件以上に上ることが分かりました。
(※詳しい調査手法は記事の最後に掲載)
その数を自治体ごとに「人口比」で並べてみると、2つの発見がありました。

ひとつは、新潟県湯沢町や静岡県熱海市といった“地方の観光地”で多くなっていることです。
こうした地域ではバブル期に建てられたリゾートマンションの資産価値が落ち、“相続放棄”されるケースが相次いでいることが見えてきました。(※その内容は先月、以下の記事でお伝えしました)

千代田区、港区、中央区で特に多く

もうひとつの発見は、千代田区、港区、中央区など、東京都心での割合も高いことです。
湯沢町などの地方と比べ、都心のマンションは資産になりやすく、相続放棄も起きにくいはずなのに、いったいなぜなのか。住んでいた人の人生から答えに迫ることにしました。

グレースさんの名前は、調べていた官報のデータの中にあり、関係者をたどる取材を始めたのです。

「いっぱいの人に囲まれていた」

「グレースは、いつもいっぱいの人に囲まれていました」

そう教えてくれたのは、グレースさんの小学校以来の友人の中村彩さんです。彼女の生きた証を残したいと、取材に応じてくれました。
ニューヨーク生まれのグレースさんは、小学5年生の時に東京・港区のインターナショナルスクールに転校してきました。

中村さんとは同じ「一人っ子」だったこともあり、当時からとても気が合ったといいます。
中村彩さん
本当に友達が多くて、誰とでもすぐに仲良くなれる子でした。とてもにぎやかな子でおしゃべりが大好きで、クラスのみんなが注目するような存在でした。
高校卒業後は、アメリカの大学へ進学。
そこでも多くの友人に囲まれ、招かれた結婚式では歌やスピーチを披露。

中村さんも自分の式で詩の朗読を頼んだということで、その時の映像が今も残っています。

「たった1人の家族」が…

グレースさんは通訳などの仕事をしながら長く海外で暮らしましたが、10年ほど前に父を亡くしたのを機に、母親のそばで暮らすため東京に戻ります。
中村彩さん
お父様を亡くされてからは家族2人きりになってしまったので、すごくお母様のことを心配していました。グレースを本当の家族のように思ってくれる友達はたくさんいましたが、やっぱり血のつながっている家族はお母様しかいませんでしたから。
その母も、高齢で体調を崩し、入退院を繰り返すようになります。

コロナ禍とも重なり、思うように面会もできない日々が続きました。

そのころの思いを、SNSに書き残していました。
2022年1月25日

もう2週間も会えていません…オミクロンが本当に怖い…ママの誕生日は2月11日。

この日を迎えられることを祈っているけれど…心が痛みます。
2月3日

これがママについての最後の投稿になるかもしれません。

胸が張り裂けそうです。

ママの誕生日まであと少し。

でも、いつまでママが生きていられるか、分かりません……

私はママを、とても愛しています。
2月28日

退院する予定でしたが、病院から電話があり、コロナに感染した看護師と接触したとの知らせ…心配で、不安で、疲れた…
そして去年4月。

友人に付き添われながら、グレースさんは母をみとりました。

悲しみの中でも、中村さんたちには前向きな言葉を口にしていたといいます。
「ひとりぼっちになってしまったけれど、これから生活を立て直していこうと思う。私、頑張るからね。長生きするから、これからもよろしくね」
しかし、思いに反して、このころグレースさん自身も体調を崩していました。

もともと体は強くなく、母のことで心休まらない日々の中、1人では外を出歩けなくなっていたといいます。

港区の自宅のベッドで亡くなっているのが見つかったのは、母の死から2か月後のことでした。
遺言書もなく、病気による予期せぬ最期だったとみられています。

「無縁仏として火葬」

ーグレースが亡くなった

そう聞いた時、中村さんは言葉を失いました。

しかし、知らせはそれだけではありませんでした。
警察で身元の特定ができず、このままだと無縁仏として火葬されてしまうかもしれない
見つかるまでに時間がたっていたことに加え、独身だったグレースさんに家族や近しい親族がいないことも特定を妨げていました。
今の日本の法律では、亡くなったあと身元が特定されなかった場合は自治体が火葬。その後、無縁仏として墓に納められることになっています。
家族のことをあれだけ思っていたグレースさんが、両親と離れ離れの「無縁仏」として葬られてしまう。

そんなことは、絶対にあってはならない。
もう本当に絶対にグレースはお母様とお父様と一緒にお墓に入れてあげなきゃと。身元不明ということはグレースが亡くなったということも定かでなくなってしまうわけで、それだけは阻止しなければとみんなで頑張ることにしました
遠い親戚を探したり、主治医に協力を仰いだりと、友人たちで手分けして関係各所をあたりました。

身元の特定には「歯の治療記録」が必要だとわかり、通っていた歯科医を国内外で探すことにしましたが、診察券も見つからず、割り出しは難航しました。

そんな中、ある友人から「日本の歯医者に通っている」とグレースさんが話していたという貴重な情報が入りました。

考えられる交友関係をすべてあたり、ようやく通っていた歯科医を見つけ出したのは、3週間後でした。
中村彩さん
本当に、心からほっとしました。奇跡的に、いろいろな偶然が重なってたどりつけたという感じでした。たまたま私たちが、警察に連絡したから状況を把握できましたが、そうでなければ身元不明のご遺体として火葬されていたのではないでしょうか。
最終的にグレースさんは友人たちの手で火葬され、遺骨は両親と一緒の墓に収められました。

亡くなってから、およそ1か月がたっていました。
中村彩さん
グレースには子どもがいなかったので、覚えていてあげる人が誰もいなくなっちゃうので、私たちはずっと覚えていてあげなくちゃと思います。私たちは忘れないから心配しないでねと、伝えたいです。

行き来する親族がいても…

グレースさんが住んでいた東京・港区では、“遺品部屋”が年々増えています。

去年までの10年間で83件で、年によって増減はあるものの、その数は倍にまで増えていました。

取材を進めると、親しく行き来してきた親族がいても“遺品部屋”となってしまうケースもあることがわかってきました。

東京タワーに程近いマンションの2LDKの1室は、所有者が亡くなった後、1年以上そのままになっています。
住んでいたのは尾花雄一さん(享年60)です。

去年の11月23日、冬場の浴室で亡くなっているのが見つかりました。入浴中に何らかの発作が起きたとみられています。

雄一さんは大学生の時、「骨肉腫」という骨のがんを発症し、手術で右足を切断、義足とつえを使って生活していました。
大学卒業後は、大手メーカーに就職。10年以上にわたって埼玉から電車通勤をした末、30代後半で通勤が便利な会社近くにあるこのマンションを購入したのです。
キッチンの引き出しには、コンビニなどで渡される割りばしやスプーンがきれいにそろえられていて、倹約して堅実に生活してきた様子がそのまま残されています。

「何かあったらお願いね」

雄一さんは独身で1人暮らしでしたが、部屋を訪れる人は絶えませんでした。

いとこの小川陽造さん(68)も、よくお弁当を持って訪れ、一緒に食事をして過ごしていました。
彼のことは“雄ちゃん”って呼んでいたんですよ。ちっちゃい頃からよく遊んでいて、今でも付き合いがあって。一人っ子だったけど私の方が6歳上なので、兄貴みたいな感じだったのかなと思います。
小川さんのもとに、警察から連絡があったのは亡くなった翌日でした。

当日の夜に警察署で雄一さんに対面、すぐに葬儀会社に連絡して親族のみで葬儀を行いました。

雄一さんは両親は亡くなり一人っ子だったので、「親族」といっても8人で、全員がいとこです。
「雄一に何かあったらお願いね」
10年あまり前に亡くなった雄一さんの母親はそう言って、自分がいなくなったあとの息子のことを、小川さんに託していたといいます。
小川陽造さん
任されていたからには自分が雄ちゃんを最後まで面倒みなければいけないと、最初の1か月間はもういろいろなものを“止める”のに必死でした。区役所や年金事務所に行って介護ヘルパーや年金をはじめ、ガス、水道、電気、電話などの停止の手続きも行いました。

立ちはだかる“壁” いとこの限界

小川さんは今、雄一さんの「生きた証を残してあげたい」と、遺品の整理を進めようとしていますが、ある問題に直面しています。

形見の品を持ち帰ることができないのです。
法律上、残された遺産の相続権があるのは「親」「兄弟」「子ども」などです。

しかし亡くなった雄一さんには兄弟も、子どももいません。両親は亡くなっています。

さらに遺言書もなく、相続人が誰もいないのです。
このため雄一さんの携帯電話を解約しようとした時もなかなか進まず、詳しい財産調査などにも応じない銀行が多かったと言います。
雄一さんが25年近く暮らしたこの部屋も、今後、制度にのっとって売却され、預金なども含めて国の収入になります。
小川陽造さん
せっかくこれだけ雄ちゃんが築いてきたものが、このまま国に持って行かれてしまう。それは本人が希望していたことなのかなって。

雄一さんの“遺志”は

親交があった人たちはいま、雄一さんの遺志に思いをめぐらせています。

40年前、雄一さんと同じ病院に入院し、共にがんと闘病していたのが縁で知り合った岡本和子さん(70)は、退院後も長くお互いに励まし合う関係が続いていました。
亡くなる2か月前にも雄一さんの部屋を訪れていましたが、年が明けて毎年やりとりしてきた年賀状が来ないことで異変に気づいたということです。

その後、小川さんから受け取ったハガキで、雄一さんの死を知りました。
岡本和子さん
同じ病気で親しくなった方がことごとく亡くなっていて、尾花くん(雄一さん)が元気でいてくれることは私にとって頼みの綱で励みだったんです。やっぱりそういう仲間たちが亡くなるって、とても寂しいことなんですよね。
今月上旬、岡本さんは小川さんと一緒に、雄一さんの遺品が残る部屋を訪れました。

岡本さんは、かつて部屋を訪れた時に雄一さんが話していたことばを振り返りました。
大学生の時に病気になって、60歳になって、あれから40年。(自分は)よく生きたと思いますよ (尾花雄一さん)
いつもはひょうひょうとしてあまり感情を表に出さない雄一さんが、ちょっと苦笑いのような表情をしながらつぶやいたひと言は、病気と闘ってきた“同士”としての岡本さんの心深くに今も残っています。
やっぱり声には出さなくても、自分にとっては大変だったんだろうと思います。最後は「また来るわね」って言って別れてその後は会えなくて、ご本人にもこの部屋にもお別れを言えずにブツっと切れてしまったのは寂しいなって思っていたので、今日は伺えて本当によかったです。
まだ60歳で予期せず世を去ることになり、遺言書は残していなかった雄一さん。

“遺品部屋”からはその遺志はわからず、売却の手続きが進められています。
岡本さん
がんセンターに長いことお世話になってたから、がん研究のためにという思いはあったかもしれないですけれども、いかんせんこんなすぐにというのは。本当に急だったと思うんですね。
小川さん
本人にはあれだけ苦しんだがんの関係や、世話になった医療機関や施設などに財産を使ってほしいという希望があったかもしれない。だけど、それはもう分からない。突然亡くなったので、本人としても悔やまれると思いますが、これだけ両親や家族に愛され、仕事でも活躍して、悼んでくれる友人もいるんだから幸せな人生だったと思います。だから、我々も頑張ってるぞって。あなたの意思は継ぐよって伝えてあげたいです。

終わりに(取材後記)

“遺品部屋”をめぐっては、残された部屋の処分代を、同じマンションに住むほかの住民たちや、自治体が負担せざるを得なくなる現実や、地方の観光地でその数が急増していることなどをこれまでお伝えしてきました。
ただ、取材を始めた当初から“遺品部屋”となった部屋で暮らしてきた人たちの素顔と向き合い、伝えていくことが必要だと感じ続けていました。

誰も望んで“遺品部屋”を残すわけではなく、さまざまな事情を抱える中で、結果として“遺品部屋”が生まれている、という取材を通じた実感があったからです。
今回取材した東京・港区は都内でも遺品部屋が多く、区の担当者は「兄弟や子どもがいても縁が絶たれていて、相続されないケースも増えている」と指摘していました。

一方、取材したグレースさんや雄一さんは、生前は友人や親族に囲まれ、およそ「無縁」などといったイメージとは縁遠い人たちでした。

共通していたのは、ともに独身で両親はすでに世を去り、子どもや兄弟もいなかったことです。
単身・未婚化が進む今の日本では、「わがこと」として切実に感じる方も少なくないと思います。

雄一さんの“闘病仲間”だった岡本和子さんも「人はあすどうなるかわからない。私も遺言書を書かないといけないと思います」と話していたほか、雄一さんのいとこの小川さんも今回のことを経て、自分の預金の記録などを子どもたちに伝えたということです。

今、起きていることを受け止めた上で、何が必要なのかということを考え続けていきたいと思います。

“遺品部屋”の調査手法について

NHKでは、以下の方法で“遺品部屋”の実態を調査しました。

使用したのは、国が毎日発行している「官報」のデータです。
官報には、「相続財産清算人※」の選任に関する情報が掲載されます。

相続財産清算人は、ある人が亡くなった後、相続放棄されたり、身寄りがない場合など“相続人がいない人”の財産整理のために裁判所が選任するもので、選任された場合、清算人の情報とともに、故人の「氏名」や「死亡年月日」、「最後の住所」なども一緒に掲載されます。

NHKでは今回、2013年から2022年までの10年間に掲載された「相続財産清算人」の選任ケース、45820件を調査。

故人の「最後の住所」がマンションなどの集合住宅になっている事例を、部屋や遺品が放置された可能性が高い“遺品部屋”として集計しました。

結果の詳細などについては、以下の記事でも紹介しています。
※「相続財産清算人」は2023年3月末まで「相続財産管理人」という名称でしたが、「相続財産清算人」に統一しています。
社会部記者
飯田耕太
2009年入局
千葉局・秋田局・ネットワーク報道部などを経て現所属
「取材する部屋は多様で、故人の人生そのもの。敬う気持ちを忘れずにいたい」
ネットワーク報道部 記者
内山裕幾
2011年入局
インフラ老朽化やマンションの課題について継続取材
「故人をしのびながら取材させていただきました」
おはよう日本ディレクター
丸岡裕幸
広島局、社会番組部、大型企画開発センターなどを経て現所属
「無縁社会といわれる一方、死後もつながる人と人との縁に心温まりました」
(分析)
メディアイノベーションセンター所属
渡辺聡史
エンジニア
データ処理を担当