G7広島サミットは何を残した? ウクライナの人 そして被爆者は

G7広島サミットが21日に閉幕しました。

岸田総理大臣は、ウクライナのゼレンスキー大統領の出席も得て国際秩序を守り抜く決意やG7の連帯を示すことができたとしています。

今回のサミットを被爆者の人たち、そしてウクライナの人たちはどのように見ていたのか。

そして、サミットは何を残したのか。

7つの被爆者団体が広島市で署名活動

広島県内の7つの被爆者団体は22日、核兵器禁止条約に批准するよう求める署名活動を広島市で行いました。

広島市中区の平和公園で行われた署名活動には、県内の7つの被爆者団体のメンバー合わせて12人が参加し、公園を訪れた人たちに署名を呼びかけました。

団体によりますと午後0時半からの30分ほどで56人分の署名が集まり、年末にまとめて政府に提出する予定だということです。
7つの団体のうち、広島県被団協=広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦 理事長は、21日閉幕したG7広島サミットについて「核兵器禁止条約を議論してほしいと要望していたが実現せず残念だった。一日でも早く核兵器がなくなる日が来るように頑張っていきたい」と話していました。

原爆資料館の「芳名録」公開 8か国首脳らが記帳

ウクライナのゼレンスキー大統領が21日に広島市の原爆資料館を訪問した際に記帳した「芳名録」が広島市役所で公開されました。

また、G7広島サミットの招待8か国の首脳とその配偶者、それに国連などの国際機関の代表らが記帳した「芳名録」も公開されました。

いずれの芳名録もA4サイズで平和公園に届けられた折り鶴を再生した紙で作られています。

ウクライナからの避難者「G7に出席した決断 評価したい」

21日に閉幕したG7広島サミットにウクライナのゼレンスキー大統領が参加したことについて、都内にいるウクライナの避難者からは、サミットでの一連の外交が戦争の終結につながることを期待する声などが聞かれました。

去年4月にウクライナから日本に避難し、「日本ウクライナ友好協会」が運営する都内の料理店で働くヴィクトリア・ステブリュクさんは、21日、G7広島サミットに出席したゼレンスキー大統領の様子をテレビで見守ったということです。
22日、NHKの取材に応じたヴィクトリアさんは「ゼレンスキー大統領が日本に来てくれたことはとてもうれしかったですし、G7という大きな国際会議に出席した決断を評価したいです」と話していました。

そのうえで「戦争によって多くの人が亡くなっているウクライナの現状をほかの国々のリーダーに直接伝え、さらなる支援やロシアへの制裁の継続を呼びかけることができたのは重要な機会だったと思います」と述べ、サミットでの一連の外交が戦争の終結につながってほしいと期待を寄せていました。

平和公園のフェンス撤去 市民や観光客らでにぎわう

広島市の平和公園はG7広島サミットの警備に伴って開幕の前日の18日から公園を囲むようにフェンスが設けられ、立ち入りが制限されていました。

この制限は21日夜に解除されフェンスを撤去する作業も始まったことから22日は市民や観光客らが公園を訪れていました。

訪れた人たちはG7の首脳らが献花した慰霊碑の前まで足を運んだり、サミットのモニュメントの前で写真を撮ったりしていました。

2歳の子どもと一緒に訪れた市内に住む夫婦は「首脳が訪れたことで被爆地のことが世界に伝わったらいいなと思います。子どもが大きくなったら今回のことを伝えたいです」と話していました。

また、インドネシア出身の女性は「きのうは入れなかったのできょう来ました。首脳が訪れた場所に来ることができてうれしいです」と話していました。

広島サミット県民会議によりますと、フェンスの撤去は出入り口の周辺から優先的に行い、1週間から2週間ほどかけて作業を進めるということです。

ゼレンスキー大統領の記帳内容公表

ウクライナのゼレンスキー大統領が、21日、広島市の原爆資料館を訪問した際に「芳名録」に記帳した内容が公表されました。
それによりますと「資料館の訪問に深く感銘を受けた。世界中のどの国も、このような苦痛と破壊を経験することがあってはいけない。現代の世界に核による脅しの居場所はない」と記しています。
ロシアのプーチン大統領が核戦力の使用も辞さない構えを見せる中、被爆地・広島で核の脅しに屈しない姿勢を示しています。

小倉桂子さん「大統領は泣くのをこらえていたのだと思う」

21日、原爆資料館を訪れたウクライナのゼレンスキー大統領に英語でみずからの被爆体験を伝えた広島市在住で被爆者の小倉桂子さん(85)が一夜明けて、思いを語りました。
22日、広島市の国際メディアセンターで報道陣の取材に応じた小倉さんは、原爆資料館を訪れたゼレンスキー大統領と面会したときの様子について「私の被爆体験を話すと、ゼレンスキー大統領は何もおっしゃらず、厳しい顔をして、声も出ないという感じでした。おそらく、自分の国と重ね合わせて、泣くのをこらえていたのだと思います。街はどんなに壊されても再建することができますが、いちばん大切なのは人の命です。子どもたちの命を守ってくださいとお伝えしました」と話しました。

また、小倉さんは、原爆資料館を訪れたすべての首脳たちに証言をしたということで「知ることが戦争をやめさせる一番最初の平和運動で、それが今回だと思う。彼らのやり方で、戦争を終わらせてほしい。核兵器の事実を少なくとも私はお話できたし、皆さんは感じられたと、自信を持って言えます」と話し各国の首脳が核兵器の廃絶に向けて動き出すことに期待を示しました。

広島市長「首脳たちに広島の思い受け止めてもらえたと思う」

湯崎知事は22日、G7広島サミットを支援してきた広島サミット県民会議の会長として記者会見しました。
この中で湯崎知事は「交通規制などで県民の皆様にはさまざまな不便をかけたが協力のおかげで、円滑な開催ができたことにお礼を申し上げる」と述べました。

そのうえで「サミットを通じて広島のすばらしさを感じてもらえたと思うので、このチャンスを活用して、今後も平和発信や、産業と観光の振興につなげていきたい」と述べました。
また、県民会議の副会長を務める広島市の松井市長は「平和公園や原爆資料館を訪問した首脳たちには広島の思いをしっかり受け止めてもらえたと思う」と述べました。

そして、ウクライナのぜレンスキー大統領が急きょサミットに参加したことに触れ「ウクライナ政府側からも今の美しい広島を見て復興支援をお願いしたいという話もあった。今後も世界の為政者や若い世代への平和の発信に取り組みたい」と述べました。

キーウの市民 今後の軍事支援に期待する声

ウクライナのゼレンスキー大統領がG7広島サミットに対面で参加したことについて、首都キーウの市民からは21日、歓迎する声や今後の軍事支援に期待する声が相次ぎました。
このうち、30代の男性は「ゼレンスキー大統領が世界を飛び回ってくれてうれしいです。ウクライナには支援が必要で大統領はそれを各国に伝えてくれています」と話していました。

また、アメリカが同盟国などとともにウクライナの兵士へのF16戦闘機の訓練を開始するなど新たな軍事支援を表明したことについては「長い間、待っていました。F16戦闘機ならキーウに飛んでくるミサイルを撃ち落とし、防空能力を高めてくれます」と歓迎していました。
20代の女性は「サミットはウクライナで何が起きたのかを伝えるすばらしい機会だと思います」と話し大統領の対面でのサミット参加を評価していました。

子連れの30代の女性はF16戦闘機について「本当にすばらしい。私たちには保護が必要ですし、領土を取り戻す必要があります」と歓迎したうえで、今月に入ってロシア軍による攻撃が増えていることに触れ戦闘機の供与が早期に実現することに期待を示していました。

原爆資料館 4日ぶりに開館 オープン前には行列も

G7広島サミットの開催に伴って今月18日の正午から21日まで休館していた原爆資料館が22日から再開し、多くの外国人などが訪れています。

4日ぶりに開館することから、オープン前には外国人を中心に多くの人が列をつくって開館を待ちました。
そして、午前8時半にオープンすると並んでいた人たちは続々と中に入り、展示に見入っていました。

また、サミットの開催にあわせて資料館の窓ガラスに貼られていた目張りが剥がされる様子も見られました。

並んでいたカナダ人の男性は「もともとはもっと早く訪れる予定でしたがサミットの影響で予定を後ろ倒ししました。サミットの開催と同じ時期に展示を見ることで、広島に起こったことをより学ぶことができると思います」と話していました。

また、アメリカから資料館を訪れた女性は「きのう訪れる予定でしたが、閉まっていることに気付き、きょう来ることにしました。原爆によって広島に何が起こったか知りたいと思います」と話していました。
原爆資料館はサミットをきっかけに来館者が増加することが予想されることから7月末までは通常よりも1時間長い午後7時まで開館することにしています。

メイン会場 宇品島の人たちが警備を終えた警察官を見送る

21日まで3日間にわたって開催されたG7広島サミットでは、全国から派遣された警察官など最大2万4000人の態勢で警備が行われました。

メイン会場となったホテルがある広島市南区の宇品島では、サミット開催の4日前から立ち入りが制限され21日に解除されました。
規制の解除で島で警備にあたった警察官が所属に戻ることから、22日は地元の子どもなど多くの人たちが沿道に集まって警察官を見送りました。

子どもたちは「ありがとう」や「感謝」と書かれた紙を掲げて沿道に立ち、警察官を乗せた車両に向かって手を振って見送っていました。
警察車両に乗った警察官も敬礼して住民にあいさつし「ご協力ありがとうございました」などと呼かけていました。

見送りに来た小学校6年生の児童は「ありがとうという気持ちで見送りました。『お疲れさまでした』という思いが伝わっていたらいいです」と話していました。

また、見送りを企画した元宇品町の門隆興町内会長は「何事もなく終わりほっとしています。警備にあたってくれた警察官のおかげなので感謝しています」と話していました。

避難者「世界が侵略に立ち向かい平和訪れるのでは 希望わいた」

21日夜、G7広島サミットに参加したウクライナのゼレンスキー大統領が、ロシアを改めて非難したうえで、将来的にウクライナを復興させる決意を示したことについて、埼玉県内の避難者からは、サミットを契機に各国の対応に変化が起きて侵攻が終わってほしいという希望の声が聞かれました。
ステファニヤ・シトニツカさん(75)は、埼玉県内で暮らす娘を頼って、去年5月、キーウ州から埼玉県川口市に避難しました。

21日夜、同じく避難してきたイリーナ・スヴィドランさん(65)とゼレンスキー大統領の会見をパソコンで見守り、ステファニヤさんは、「大統領の話が心に響きました。ウクライナで起きていることをサミットの場から世界に伝えられてよかったと思います」と話していました。

そのうえで、「すべての国々が大統領の話に耳を傾け、ウクライナを支援してほしいです。今回のサミットによって各国の対応に変化が起きてウクライナ人の安全確保やロシアへの制裁などにつながるのではないかと期待しています。終わりのない戦争はないはずです」と話していました。

また、イリーナさんは、「来日したことで、オンラインでは話せないことまで協議できたのではないでしょうか。世界が侵略に立ち向かい、平和が訪れるのではないかと希望がわきました」と話していました。