“やばいよ やばいよ” あの国から首相が会いに来た、私に

“やばいよ やばいよ” あの国から首相が会いに来た、私に
「やばいよ、やばいよ」

最初に話が来た時の私の気持ちは、リアクション芸人のそれである。

首相が、私に会いに来るというのだ。

それも世界で注目されている国の首相だ。

何で私に?Why me?

でもやるしかない、覚悟を決めた。

(ネットワーク報道部 野田麻里子)

どうする、私?

その国は、小さな国で人口およそ260万人、大きさは九州くらいである。
経済状況もかんばしくない。ヨーロッパの中でも特に厳しいと言われている。

国名を「モルドバ共和国」といい、この小さな国を世界的に有名にしたのは理不尽なできごとからだった。

それがロシアのウクライナ侵攻。

モルドバ共和国はウクライナの、西隣に位置している。
それ故に侵攻の影響をすぐ受け、ウクライナから避難する人が一時、30万人近くになった。人口の10分の1以上だ。

比較するのはとても変だが、日本に1200万以上の人たちが避難してきたような計算だ。

そうした人たちをモルドバは、国をあげて受け入れ世界的なニュースになった。

その関連で私は、2回記事を書いた。

自国に余裕がない中で、他国を助けるモルドバに心を動かされ、SNSで知り合った日本の人たちが支援のサイトを立ち上げたこと。
その流れでおこなった駐日モルドバ大使へのインタビューだ。
そのモルドバの大使館から私のスマホに、ある日突然メールが届いたのだ。
69の英単語で書かれたメールは、

“安倍元総理の国葬に出席するためモルドバの首相が来日します”
“会うのなら、時間を作りますよ”

簡単に言えばそういう内容だった。私は思わず、メールの画面を閉じた。

“やばい”と思い、深呼吸を1回。

「どうする、私?」と、自分に問うてみた。

私でいいのか?

15年以上記者をしているが首相と話した経験は、1回もない。

子育てとか介護とかジェンダーとか、わりと生活に身近な問題の取材をずっと続けてきた。

言動が国際的に注目される人から、何を聞き何を引き出せばいいのか。

そもそもだが…国際取材素人の私でいいのか?

あれやこれや悩んだが、当事者から指名された記者なら飛び込んででも何か伝えなきゃだめだろう、という思いに至った。

いろんな部署に相談して、首相からもらった1時間を、国際部の記者が30分、私が30分、インタビューすることになった。

素人の私も同じ時間、話が聞けることになりそれはそれでうれしかったが、それはそれでプレッシャーだった。

勝負ということばが適切かどうかはわからないが、30分間で国際的に意味のある話を引き出すという、首相との勝負をするしかなくなった。

国際部の記者は自分で英語でインタビューするとのことだった。

私は通訳を探した。

ブルーのスーツ

インタビュー場所は東京・新宿区の駐日モルドバ大使館になった。

首相はナタリア・ガブリリツァ、45歳の女性だ。

教育省の事務長官や財務大臣などを歴任して、去年8月、首相に就任した。

様々な派閥があるモルドバ議会の中で、首相への就任を否決されるということも経験している。

華やかな経歴と政治的な紆余曲折。

それを知って、一層、緊張した。

インタビューの当日、大使館の一室に入り、テーブルやいすをガタガタと動かし準備をしていると、鮮やかなブルーのスーツが私の目に飛び込んできた。

ガブリリツァ?
えっ、ちょっと、まだカメラの準備はおろか、心の準備もできていない。

すると手が差し出され、気がついたらしっかり握手して、不慣れな英語であいさつしてしまった。

「、、、ハロー」

初対面の首相に、この挨拶はよかったのか。

よくわからないが、バリバリのキャリアウーマンを想像していたが、物腰の柔らかそうな人でにこやかに笑ってくれた。

真っ白なノート

彼女は分刻みのスケジュールなので、すぐに国際部の記者がインタビューを始めた。

「ウクライナをめぐる問題への見解」
「ロシア系住民が多く暮らす地域の問題」
「避難した人の受け入れ状況」

国際的な視点で次々と聞いていく。
やり取りをメモに取ろうとしたが、言っていることは「なんとなく」分かる程度で、悔しいことにノートはほぼ真っ白だ。
そして、私の番になった。

最初のにこやかな表情から、鋭い目つきに変わっている気がする。

私は決めていたことが2つあって、ひとつは嫌だと思われるかもしれない質問も、必要ならきちんとすること。

もうひとつは、首相が直接見たことや聞いたことを語ってもらうことだ。

自分の心に約束して、通訳を隣にして、インタビューが始まった。

聞けてないかも…

「ウクライナから避難する人たちの受け入れを始めて7か月です。首相、直接、見たこと、聞いたことを話してほしいんです。いちばん心を動かされたできごと、それは何ですか?」

彼女は「首相として、そして8歳の息子を持つ母親として」と話しだした。
ナタリア・ガブリリツァ首相
「特に心を動かされたのは、地下室で寝泊まりしながら爆撃音を聞いて過ごさなければならなかった子どもたちの話です」

「そしてその子どもの父親、つまり夫と離れなければならなかった母親がいます。人生をめちゃくちゃにされた人々がいる現実です」
通訳してもらう言葉にうなずきながら、

“大事だがウクライナでよく伝えられてきた話だ”
“まだ生身の言葉にたどりついていない”

そう、思う。

聞けていないかも、大丈夫か、私。
すると「だからこそ、特に心を動かされた話があります」と、話はあるウクライナ人家庭を訪問した時に及んだ。
「その時、母親から“今、必要なものは生活のための仕事、そして子どもが学び続けるためのインターネットだけです”と聞きました」
彼女が直接、見聞きした話が出てきた。

インターネットが必要というのは、どうもウクライナの教師の中に、バラバラの避難先にいる子どもたちをネットで結んで授業を続けている人が何人もいるようだった。そのためのインターネットのことだ。
ガブリリツァ首相
「子どもたちから(ネット上の)クラスにいる友だちの話を聞きました。避難先はあちこちで、さまざまな国から参加しているようでした」

「教師もウクライナにいたり、国外に避難したりしています。子どもたちが平常心を保てるようにと教室を開き続けているんです。これは並大抵のことではないと思いました」
おそらく、学力を身につけることが、いまいちばんの目的ではない。

離れ離れになっても、クラスの仲間と顔を合わせられるようにすることで、子どもの心を守ろうとする教師が何人もいることが、とりあえずは聞けた。

すごい教師たちだと思う。

嫌な質問

嫌な質問の番になった。

「避難して来た人たちの受け入れを続けることで、モルドバの人たちの生活に影響は及んでいませんか?避難して来た人たちに対して、不満を訴える声はないのでしょうか」

モルドバの経済状況は非常に厳しい。たくさんの人を受け入れる中、財政は少なからず圧迫されていると聞いていた。

置き換えれば、自分の生活が苦しい中で、他人を受け入れるって率直に言って大丈夫なのですか、という嫌な質問だ。

首相はすぐに答えた。
「モルドバの人々は戦争による経済的な影響に苦しんでいます。それは避難した人の問題ではないんです。戦争によってエネルギーや食料の価格が上がる、その影響のほうが大きいのです」

「モルドバは連帯感をもってウクライナの人たちを受け入れてきました。自宅に受け入れ、一緒に暮らしている家庭もあります。当初から何千人ものボランティアが集まり、政府よりも早く反応してくれた人たちもいました」

「皆が連帯してこの戦争を一刻も早く止め、子どもたちのために国を発展させる必要があるのです」
ここまでで、残り時間は5分を切った。

質問を英語に訳してもらい、首相の答えを今度は日本語に訳してもらい、それから質問を考える私は、やはり時間がかかる。

最後に聞きたいことがあった、焦る。

正面にいる首相の目を見て、必死さだけでも伝われ!と、日本語で思い切り聞いた。

私は、平和な安全な暮らしの中にいます

「私は日本という、いまは戦争のない国にいます。平和な安全な暮らしの中にいます。そんな中でウクライナで、モルドバで、あるいはロシアで起きているつらいことを見たり聞いたりしています」

「同じ人間なのに、今いる場所が違うだけで、向き合わなければならない現実がなんでこんなに違うのでしょうか。ウクライナの隣国の首相として、侵攻の続く渦中にあって、どう考えますか?」

あー、もうこれは質問というより、自分の中に抱えているやりきれない思いを訴える相談に近い。

ただ、ガブリリツァ首相はすぐに話し出した。
ナタリア・ガブリリツァ首相
「私たちは、生まれる家族を選ぶことはできないし、生まれてくる国も選べません。でも、自分の周りに対してポジティブな影響を与えられるような人生を選ぶことはできます
残り5分をどんどん切り、通訳をしてもらう余裕すらもうなかった。

ただ、この話は理解でき「選ぶことはできる」は、私にはとても刺さった。
「この戦争は、文明的な選択の違いを浮き彫りにしました。私たちが望むのは、人的なコストを顧みずに併合を目的に戦争が始まった今の状況ではなくすべての子どもがいつ、どこに生まれようとも自分の可能性を発揮できるような世界を目指すことではないでしょうか」

「今、私たち全員が自分たちの行動、態度、ふるまいが、自分自身だけでなく社会全体、世界全体に与える影響を認識する時だと思うのです」
私はこのインタビュー直前まで、何を聞くかまとまっていなかった。ただ最後の質問は、自分が、遠く離れた平和な場所からウクライナ侵攻の報道に接するたびに、考えていたことだった。

他の取材でも悲しみや憤りを抱える人たちに相対した時、そうでないいわば安全安心な立場から、取材するときに感じていた複雑な思いだった。

そんな私のもやもやに対して、彼女の答えはある意味で明快だった。

インタビューは30分を少しすぎて終わった。

何ができるのかは、今もわからないけれど

ウクライナへの侵攻は終わりが見えない。

悲劇ばかりを生み出す状況を止めるために自分に何ができるのか、私にはまだわからない。

でも少なくとも、平和に向けて前向きになれるような行動をしていくこと、そのきっかけになるかもしれない記事を書き続けること、それをする道を選ぶことはできる。

思いが次に伝わって、さらに伝わって、またさらに伝わって広がるかもしれない。

いま、この瞬間も、理不尽なできごとで命をなくすことに、おびえなければならない人たちがいる。

ならばふんばって、自分の道を選んでいくことに意味があるのだとこの30分間で思った。

インタビューを終え、首相はその日のうちに日本をたっていった。

きっともう、私と会うことはない。

彼女は今この瞬間も、インタビューで語っていたようなウクライナ侵攻の現実と、国内の問題に向き合っているのだろう。

その人の、首相という立場におじけづき、声を聞くことを一瞬ちゅうちょした自分を、いま少し恥ずかしく思っている。
10月24日の時点で、ウクライナからモルドバの国境を越えて避難した人の数は60万585人。別の国に向かう人も多いが、今でも8万4694人がとどまり避難生活を続けている。

そのうちの半数以上は、子どもである。

モルドバ政府が開設した人道支援専用の口座には、世界の中でも特に、日本からたくさんの寄付が寄せられ、避難した人たちの生活を支えているという。

「政府や組織からの寄付も多いのですが、一般の方々からの寄付がいちばん多いのは日本でした。私は国民を代表して、その心遣いに感謝の意を表したいと思います(ナタリア・ガブリリツァ)」