私は妻を壊した者です

私は妻を壊した者です
仕事場のロッカーを開けると差出人が書かれてない茶色い封筒が入っていた。

中にはパソコンで打たれた2枚つづりの手紙があった。

この数日前、私は、子育ての力になれず妻も子どもも傷つけた体験記事をこのサイトに載せたばかりだった。

手紙は私の記事を読んだ男性からで「妻を壊してしまった者です」と書かれていた。

(ネットワーク報道部 鈴木有)

孤育てしていた妻を壊してしまった

手紙が届いたのは去年の10月16日。

その2日前に私はこのサイトNews Upに『消せないメール』という記事を掲載したばかりだった。

私が育児に向き合わないため、妻を子育てできなくなるほど追い詰め、それを目にした子どもから仕事中の私に

「パパかえってきておねがいします」
「パパみんなないてるぞだかはやくかえってきて」

と助けを求めるメールが何十通も届いたという体験を書いたものだ。
この体験は私が短時間勤務に切り替えるきっかけにもなった。
「事の重大さを受け止めているか疑問」

「脳天気すぎる」

「美談のように書かないで」
覚悟はしていたが、厳しい意見をたくさんもらった。手紙はそうした中、出勤した時にロッカーに届けられていた。

「NHK報道局ネットワーク報道部 鈴木有様」

私宛てだが、差出人は記されていない。封筒を開けると、2枚つづりの手紙が丁寧に折り畳まれて入っていた。
(手紙より)
「消せないメール」を読みました。
私は孤育てをしていた妻を壊してしまった者です。
現在はほどほどに仕事をしながら、妻の看護、子どもの世話を何とかやっています。

私のところにも、SOSは届いていました。
まだ子どもは小さかったので、鈴木さんのお子さんのように何か言うことはありませんでしたが、妻からは「虐待をしてしまいそう」という言葉がぽつりぽつりと出てくることがありました。(続く)
ひとつひとつの言葉に胸が苦しくなる。子育てと仕事の間で何かがあり、よくない状態になっていることは推測できた。

メールアドレスも書かれていた。しばらく悩んだ後、思い切って連絡をとると会ってくれることになった。

そんなことは気休めでした

彼は東日本に住んでいて、仕事の合間を縫って会う時間を作ってくれた。

私は待ち合わせの場所の建物の中に行き、ベンチで待つ。

するとスーツ姿の男性に「鈴木さんですか?」と声をかけられた。手紙をくれた彼だった。

案内してくれたのは建物の中の閑散とした場所で、私がきょろきょろしていると「この時間、人がいないんですよ」と言った。

机とイスがいくつか置いてあり、私たちはそのうちの一組に座る。彼は私と同じ30代だった。
「鈴木さんの記事をなんで知ったかは覚えていないんです。ツイッターだったかと思いますが。それで、結構な数の厳しい意見があって、そうじゃない人もちゃんと読んでいますよって、思いを伝えたいなと思って、手紙を書いたんです」
そして、自身の状況を話してくれた。

彼は子どもが産まれたあとも、私と同じように平日は夜遅くまで働き、帰宅が深夜に及ぶ生活を変えなかったという。

一日中、育児と向き合っていなければならなくなった妻の姿がとても大変そうに見えた。

ただ、仕事にやりがいを感じていて、将来やりたいことも明確でそれに向かって突き進んでいた。

そのため主に休日に子どもの面倒をみることにしていた。
(手紙より)
私は休日は子どもを連れ出したり、妻が1人で休める日を作ったりとできる限りのことはしていたつもりでした。
休日の仕事に子どもを一緒に連れていったこともありました。

しかし、そんなことは気休めでした。
妻の体調は今は少し持ち直してきましたが、かつてのような明るい笑顔はあまり見られなくなりました。(続く)
休日には妻が一人で休める時間を作るために家事を自分がやり、子どもを近くの公園に連れて行って、2人で食事も済ませていたという。休日に仕事が入った場合には職場に子どもを連れていったこともあった。

ただ、休日にいくら休んでもらったとしても、結局、月曜日が来てしまう。

それから金曜日までの平日は、妻のワンオペ状態が続いてしまっていた。妻は「疲れた」ともらすようになっていった。

突然でした。動けないんです。

そうした中、妻に異変が起きた。それは突然で、決定的だった。
「突然でした。もう、朝、妻が急に布団から動けなくなって。本当に動けないんですよ。なんにもできなくて、ぼろぼろ泣いていたんです」
床に敷いた布団からどうにかこうにか体を起こしたものの、近くのソファーにすぐ倒れ込んで、また動けなくなってしまった。

発した声は、ひと言だけだった。
「もう、限界」

大丈夫じゃない「大丈夫」

すぐに病院に連れて行くと、精神疾患を患っていたことがわかった。
これまでの生活を振り返れば、妻からのSOSは幾度となく発せられていたという。
「思い返せば妻から『何か疲れた』と連絡がありました。『疲れた』『疲れた』と日常的にメッセージがきていました」

「『きょう遅くなるの?』も早く帰って来てとは言ってないけど、早く帰って来てほしいって意味でした」

「そして『虐待しちゃいそう』っていう言葉もありました。これは私が気付かないといけない、SOSでした」
妻は家事や育児に手がつかないことが増えていた。そのたびに気に掛けて声をかけるのだが、妻は「大丈夫」と答える。

でもそれは字面通りの意味ではなかった。

倒れるギリギリの体調と心の状態の中での「大丈夫」は、自身にムチを打つ言葉だったのかもしれない、「助けて」と伝えていたのかもしれない。

そこに思いが至らなかった。
「申し訳ないです、妻にも子どもにも。親や社会資源を含めて頼ればよかった。自分も努力すればよかった。結局、家庭の状況を軽視していたんです。重い状況ではないと思い込んでいたんです」

そこに、妻がいない

いまは、仕事の量をセーブしながら平日に働き、子育てと妻の看病をしながら目まぐるしく1日が過ぎていく。

ただ、かつてあった何気ない日常が、いまはない。
「何が変わってしまったのかというと、単純に、妻の笑う回数が減りました。おもしろいテレビ番組を見ていてもあんまり、笑わなくなっているんです」
子どもへの気持ちも手紙につづられていた。
(手紙より)
子どもも時々、不安定になることがあります。
無条件に甘えることができるはずの親の一人を、我が子から奪ってしまった影響は大きいと感じています。(続く)
彼は「『奪ってしまった』というのは書き過ぎました」としながらも、子どもへの思いを聞かせてくれた。
「子どもが母親といられない時間が多いんです。最近も天気がいい日に子どもを連れて公園に遊びにいきました。でもその場にママはいないんです」

「子どももあんまり言わないんですよ。ママなんでいないの?とか。はっきり言わないのがまた申し訳ないというか、、、我慢させているのかなって、、、それが、、、つらいです」

そんな自分が嫌なのです

手紙には仕事への向き合い方についての話も出てくる。
(手紙より)
鈴木さんの記事には、今後のキャリアに関する記述がありませんでした。
覚悟を決めて働いていらっしゃるのかな、でも不安もあるんじゃないのかな、などといろいろ想像しました。

私にはまだ、そういう覚悟はありません。
同世代の仲間は困難な仕事も(時には長時間勤務をしながら)こなし、順調にステップアップしていきます。
それを見ていると、焦燥感や虚無感に襲われます。

そしてイライラを募らせ、妻や子どもに接する態度が悪くなります。
それは自覚していますし、そんな自分が嫌なのですが、社内にも社外にも同じような立場の人は身近におらず、結局は抱え込んでいます。
妻と子には申し訳ない思いを抱いています。(続く)
働く時間に制約がある中、遅くまで働く周囲と比べてやりきれなくなってしまう。家族に申し訳ないと思いながら、思い描いていた仕事に挑戦したかったと、ふと考えてしまう。そうした抱え込んだ思いを吐き出す場がなく、矛先が家族に向かってしまうという悪循環だった。

「妻と子に申し訳ない」と、口を引き締め、床に目を落としながら絞り出すようにつぶやいた。

私にではなく、家族に向けた言葉だと思った。
(手紙より)
そんな時に今回の記事を偶然目にしました。
ともすれば男はとにかく働くべきという意識がまだまだ残る中にあって、同じような人がいることに、少し救われた思いです。

ご自分のこと、ご家族のことを記事にするには勇気が要ったのではないでしょうか。
SNSでは厳しいコメントも付いていますが、共感を抱いている人もたくさんいるはずです。

長文を大変失礼しました。
急に冷え込んできました。
鈴木さんもご家族も、どうぞご自愛ください。
同じような悩みを持つ父親が、彼の周りにはいなかった。悩みを打ち明けるのも怖かったようだ。
「父親たちがどんな思いで、育児や仕事に向き合っているのかよくわからなかったんです。それを知ることができただけでもありがたかった」

「自分が打ち明けても、『自分の責任でしょ』とか『心が弱いんでしょ』とか言われるかもしれないですし、そんな時に同じような状況の人の言葉を読めたので、ありがたかったです」

最初の人

父親どうしが子育てと仕事を語り合う、父親の言葉が別の父親の救いとなる、そうした場は少ない。

私も去年2月に偶然そうした場を見つけ、救われた部分が多かった。
「働けば働くほど、仕事のやりがいが高まるけど、その分家族に負担がかかるという感覚はずっと変わらない」

「“夫は育児のいいとこ取りしかしていない”の意味が、育休をとってやっとわかった」

「どう子どもを育てたいのか、夫婦で話し合い価値観を合わせていくことが大事だ」
経験を正直に語ったり、思いをストレートに出し合ったりして、自分の子育てや生き方を見つめ直す指針になっている。

共有するのは、主に“失敗”だ。

私がやってしまったどうしようもない失敗も、続く人の失敗をなくすためになるのではないかと思い正直に語っている。
子育ての大変さは人それぞれだ。環境や状況によって働き方も子どもへの向き合い方も異なる。

ただ、子どもが生まれる前と変わらない道を進む父親が多く、違う道に変えようとする人は少ない。

だから彼が話していたように実情を打ち明けた時に「自分の責任でしょ」「心が弱いだけでしょ」といったことを言われたり、心の中では思われたりすることがあるかもしれない。

でも、子育ての悩みを正直に話す最初の人が出てくれば、同じ悩みを持つ別の人が気付くことができる。それが相談につながるかもしれないし、悩みの先にある家族を救うことにつながるかもしれない。

そうした連鎖が、社会を動かしていくことになるのかもしれないと、私は思っている。


返事、遅くなりました

手紙にはキャリアについての質問がありました。

でも私はすぐに答えられませんでしたが、いまなら少し整理できます。この場を借りて、返事をしたいと思います。

キャリアが“経歴”という意味であれば、私は私自身のキャリア、私なりのキャリアを歩んでいると思っています。

私と同じような道を進んでいる人は、私の周りにはまだいません。当初、進もうとしていた道とも違います。
でもこの道のほうが今の自分らしく、家族と一緒に歩けそうだと思ったので自分で「納得」をして「選択」したのです。

道はとてもでこぼこしていて、歩きにくいこともあります。そのたびにならしたり、障害があればどかしたりしながら歩いています。
次の人には少し、道を見つけやすく、歩きやすくなっていると思っています。

私たち(とあえて言わせていただくと)と同じ失敗を、これから来る人たちがしないように、家族を置いたまま道を進んで行くようなことがないように、みんなが納得して前に進んでいけるように、大声を出し合っていきたいです。

こうした失敗やその後の生き方について、道案内の標識はあまりなかったように思います。でも、こういう道もあるのか、こうした道の先にはどんなことが待ち受けているのか、それを示すことはできます。

返事が大変遅くなり失礼しました。そして丁寧な手紙をありがとうございました。思いをまとめるのに時間がかかったのです。どうかご家族を大事にしてください。

歩きやすい道では決してないとは思いますし、歩く人も少ない道だと思いますが、なんとか、なんとか前に進んでください。

私も声をかけあえるくらい近くの道を必死に歩いています。