農業ができなくなる?隠れた“食料ショック”肥料争奪戦の行方

農業ができなくなる?隠れた“食料ショック”肥料争奪戦の行方
「このままだと農業ができなくなるかもしれない…」
去年の秋以降、何人もの生産者から衝撃的な言葉を聞きました。
肥料の価格高騰と、調達ができなくなるかもしれないことへの言い知れない不安からでした。
農産物そのものではなく、肥料という地中から襲いかかる「食料ショック」の現実。日本だけでなく、世界にもショックは拡散し、人々の食を揺さぶろうとしています。
(経済部 川瀬直子記者/サンパウロ支局 木村隆介支局長)

農家を悩ます肥料高騰

「このまま農業を続けていけるのか不安を感じている」

そう打ち明けてくれたのは、茨城県水戸市の温室でパプリカを生産している林俊秀さんです。
温室をたずねると、今まさに収穫期をむかえていました。

この温室では、パプリカの根本に液体の肥料を与える「養液栽培」を行っていて、パプリカの成長のためには、肥料を毎日欠かすことはできません。

しかし、この肥料の価格が段階的に上昇しているのです。

ことし1月までは1キロ200円だったある肥料が3月には325円に。

さらに5月には355円に値上がりし、半年で70%以上もの値上がりとなりました。

価格上昇だけではありません。

肥料の調達が難しくなるおそれもあるといいます。

林さんの元に届いた仕入れ先からのメールを見せてもらいました。
そこには「(肥料が)この先入手困難になる気配がある」と書かれていました。
林さん
「肥料が調達できないと、栽培ができない、農業ができない、切実な話だ。
生産に見合う、当たり前の値段で肥料が確保できればと思う」

海外依存の実態

肥料の価格上昇はなぜ起きているのでしょうか?

そこには、肥料の原料を輸入に頼る日本農業の構造があります。

植物の成長に欠かせない3要素として、窒素、リン酸、カリウムの3つがあります。

それぞれ、茎を成長させたり、実を付けたり、根をのばしたりするのに必要だとされていて、土壌中にある成分で足りない分は「肥料」として与える必要があります。

肥料のうち、鉱物などを原料としているのが「化学肥料」。
必要な栄養素を効率的に与えられるとして、日本のほとんどの生産者が利用しています。

しかし、日本は原料の資源に乏しく、ほとんどを輸入に頼っているのが現状です。

こちらは3要素の原料となる、尿素、リン酸アンモニウム、塩化カリウムの入手先です。
尿素の37%、リン酸アンモニウムにいたっては90%が中国からの輸入。

また、塩化カリウムはロシアから16%、ロシアの同盟国ベラルーシから10%を輸入していました。

くずれ始めた肥料の世界秩序

輸入に頼り切る肥料原料。

大きな転換点となったのは2021年10月、中国の動きでした。
当時、中国では、新型コロナウイルスの感染拡大が小康状態となり、経済が正常化する過程で穀物需要が拡大する一方、電力不足や環境問題への配慮から化学肥料の生産が抑えられており、国内での肥料価格が上昇する傾向にありました。

こうした中で、中国政府は化学肥料を輸出する際に検査を義務づけると発表したのです。

肥料の輸出においてこうした検査をするのは異例のこと。

国内への肥料供給を優先させるために、事実上の輸出規制をとったのではないかと見られています。

発表後、しばらく肥料原料の輸出はストップ。

日本の商社は、代替先探しに追われました。

さらに2月。ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めます。
ロシアも世界有数の肥料原料大国。

日本政府は肥料原料を経済制裁の対象にはしていませんが、輸入を担当する商社はロシアからの塩化カリウムの輸入を自主的にストップ。

別の理由でアメリカなどから経済制裁が課せられ、輸入ができなくなっていたベラルーシ分とあわせて26%分の肥料原料の代替調達先を探さなければならなくなったのです。

価格も高騰。

塩化カリウムを見ると、去年1月の5倍近くになっています。

商社は代替先探しに追われ…

日本の肥料原料の5割の輸入を担うJA全農=全国農業協同組合連合会も対応に追われました。
中国から肥料原料の検査義務づけの通達が出ると、すぐに長年取り引きのあったアフリカのモロッコの企業にリン酸アンモニウムを調達したいと依頼。

また、ロシアから輸入していた塩化カリウムはカナダからの輸入を増やすことで当面の必要量を確保しました。

しかし、各国とも同様の動きをしたため、運搬のための船や積み込みをする港もフル稼働状態になりました。

他の商社と船を共同利用するなどして、なんとか日本へ運搬するというギリギリの調整が続いたといいます。

さらに、今後の安定確保にむけてこれまでつきあいの薄かった中東の国などとの交渉も始めていますが、どこも需給が厳しくなっていて、交渉は一筋縄ではいかないということです。
JA全農 耕種資材部 日比部長
「これまでも肥料の価格高騰はあったが、今回調達に対する不安が出てきたというのは初めてのケースだ。
資源を持ってる国、肥料の輸出ができる国と接触をして、肥料原料を欠かさないように調達に努力していきたいと思っている」

ブラジルでも影響広がる

こうした肥料価格高騰や調達への不安は世界に広がっています。

農業大国ブラジル。

多くの農産物を世界各国に輸出しています。

日本にはトウモロコシ(輸入全体の35%)や大豆(輸入全体の15%)などを輸出しています。

一方で肥料の原料は85%を輸入に依存していおり、国際的な肥料原料の価格上昇のあおりを受けています。
ブラジル南東部・サンパウロ州で農業を営む、日系2世の岡村健司さん、1600ヘクタールに及ぶ広大な農地で、大豆やトウモロコシ、小麦を栽培しています。
岡村さんも肥料原料の価格上昇に頭を痛めています。

去年、1トンあたり2800レアル(日本円で約7万3000円)だった肥料が、ことし5月にはおよそ倍の5800レアル(約15万3000円)に値上がりしました。

岡村さんは年に2回の収穫をする二毛作を行っているため、肥料代の負担は特に大きいといいます。
岡村さん
「肥料の価格上昇と来年の肥料の確保がどうなるか心配だ」
ブラジルは輸入する肥料原料のうちおよそ4割をロシアとベラルーシの2か国に依存しています。

ボルソナロ大統領は、軍事侵攻が始まる1週間前のことし2月16日にロシアを訪問し、プーチン大統領と会談。

肥料の調達が大きな議題となりました。
ブラジルは、軍事侵攻が始まって以降もロシアへの経済制裁には中立の立場をとり続けています。
ブラジル ボルソナロ大統領
「(ロシアに行ったのは)ブラジルの国益のためだ。
軍事侵攻には中立を保つが肥料はなければ生き残れない」

日本政府も肥料調達支援へ

日本政府も肥料調達に動いています。

農林水産副大臣をモロッコやアメリカ、カナダに派遣。

外交ルートでの肥料の安定確保を後押ししています。
さらに、JAや商社が調達先を切り替えたことで増えた輸送費などを肥料会社に補助。

農家の費用負担を抑える新たな制度の検討も始まっています。

今後肥料はどうなっていくのか。

専門家は国際的な肥料不足は一時的なものではないと指摘しています。
日本総研 三輪エクスパート
「これまでも災害や需要が増えることで肥料価格が高騰することはあったが、今回は中国やロシア、ベラルーシの輸出の制限や、自主的なものも含めた貿易の制限が発端となっていて、極めて政治的な要素も含めて発生している。
広大な国土を持ち、資源が豊富な国が国際的にも発言力を増しており、政治的な摩擦の当事国になってくるケースが多く、日本が必要としている資源が国際情勢で足りなくなるということが頻発する可能性があるので、これから先は抜本的な解決策が求められてくると感じている」

日本の取るべき道は?

では、日本はどうしていくべきなのでしょうか。

日本の農業は化学肥料の使用量がほかの国と比べて多いという指摘もあります。
育てている作物の違いや、土質の違いもありますが、農林水産省は、土壌で肥料成分が過剰蓄積している成分もあると指摘しています。

そこで今、国やJA全農では、肥料を減らす「減肥」を進めようとしています。

カギを握るのは土壌の成分を分析する手法の普及です。

必要最低限の成分だけを肥料として与えることで、肥料削減を目指そうというのです。

さらに、AIなどを使って肥料が必要な場所だけに肥料をまく農業用機械の実用化も進んでいます。

さらに、今改めて注目されているのが家畜のふんや食品の残りなどでできた「堆肥」の活用です。

これまでも有機農業などで活用されてきましたが、まくのに手間がかかることや、品質にばらつきがあること、それに、水分を含むため運搬にコストがかかることなどから、畜産の盛んな地域の周辺で活用されているのにとどまっていました。

しかし、今、堆肥の足りない成分を化学肥料で補って作る肥料のほか、家畜のふんなどを乾燥・粉砕し、ペレット化する技術ができ、商品化されています。
ペレットにすることで、運搬しやすくなるほか、機械での散布もできるようになり、普及が見込めると期待されています。

日本総研の三輪さんは次のように話しています。
日本総研 三輪エクスパート
「経済合理性だけで判断し調達するのは、リスクの多い時代にそぐわなくなっており、肥料リスクに強い農業に変えていくことが求められている。
お金を出せば買えるということではなく、自分たちでうまく確保し市場を作るというように変えて行かなければいけない。
自給できない分にはリスクがあるということを前提に国内農業の振興を進めていかなければいけない」

転換期迎える日本の農業

食料安全保障というと真っ先に思い浮かぶのは小麦やトウモロコシなどの輸入農産物です。

しかし、肥料の調達が滞ることになれば国内で自給できているコメや野菜の生産ですら不安定になりかねない、危うい農業の実態が浮かび上がってきました。

政府も肥料については対策が手薄だったとして、今新たな議論を始めています。
一連の問題で見えてきたのは、経済合理性を追求し、食材、そして生産に必要な資材のほとんどを輸入に頼っている日本の食のいびつな構造です。

とはいえ、対策には新たなコストもかかります。

その分の価格転嫁をどうとらえるか。

肥料という「隠れた食料ショック」は私たち消費者に将来を見据えた食材選びを求めているように感じます。
経済部記者
川瀬 直子
平成23年入局
新潟局、札幌局を経て現所属
農林水産行政を担当
サンパウロ支局長
木村 隆介
平成15年入局
ベルリン支局、経済部などを経て、現在は中南米の取材を担当