追跡 記者のノートから1万人の遺体を見つめた警察官が語ったこと

2022年4月15日事件 事故

「みんなが嫌がる仕事かもしれないけれど、私たちの後ろには誰もいないんです」

被害者が事件に巻き込まれた形跡を見つけ出すために、毎日、多くのご遺体と向き合ってきた警察の検視官がみずからの仕事について語ったことばです。

「犯人を有罪にすることで、亡くなった人の無念をはらしたい。それが、どのご遺体を視ても考えていることです」

事件を眠らせない。”人の死”と向き合い続ける「検視官」の仕事とは。

(千葉放送局記者 福田和郎)

私の仕事はご遺体を視ること

「警察官」と一口でいっても、事件・事故の捜査、防犯、警備、パトロール、交番勤務・・・その仕事は様々です。

その中でも、もっぱら「遺体を視る」ことを仕事とする検視官の仕事は特殊で、光のあたりにくいものだといえます。

検視官はいったいどんな仕事をしているのでしょうか。

検視とは
「検視」は刑事訴訟法の規則に従って犯罪性があるかどうかを調べることで「遺体を視る」ことから検視という

人が亡くなると、多くは病院や自宅で医師が死亡診断をします。しかし、発見場所や状況によっては犯罪に巻き込まれている可能性もあります。そんなとき、ご遺体の状況から事件性があるかどうかを判断する、それが検視官の仕事です。

赤い文字の部分が検視官の仕事です。

検視官が異変を見落とせば、「病死」などとして扱われます。つまり捜査はされず、事件は“なかったこと”になるのです。

判断ミスが許されない重い責任の伴う検視。若手からベテランまで幅広い警察官が担当しますが、そのなかでもエキスパートといえる「検視官」という職名を持つのは全国で370人に限られます。

検視官の条件

・原則、刑事としての捜査経験が10年以上または捜査幹部として4年以上の強行犯(殺人・強盗など)捜査などを経験

・さらに警察大学校で一定の教養を受けた「警視」(副署長や署長・本部の課長等と同じ階級)

検視官の世界とは

「どのような気持ちでご遺体と向き合っているのか」
「仕事をしていて精神的にきつくはないのか?」
「仕事のあと食事をとることはできるのか?」
「そして、検視という仕事の意義とは」

話を聞いたのは千葉県警の捜査一課検視官・濱田昌也警視(55)。

去年、全国初の「広域技能指導官」に指定され、育成を託された“検視のプロ”です。

検視官 濱田昌也警視
福田記者

検視官の業務については知らないことも多く、疑問を率直にうかがえればと思います。よろしくお願いします

こちらこそよろしくお願いします

検視官
濱田警視

ご遺体を毎日のように視る検視の仕事はなかなか想像がつきません。なぜ、検視官になろうと思ったのですか?

実は私もこの仕事があるとは、警察官になるまで知りませんでしたし、警察官になっても刑事がどのようにご遺体を扱っているのか知りませんでした。刑事にはなりたいと思っていましたけど、漠然としたもので、気がついたら今に至るというのが本音ですね

きっかけと言えば、捜査一課に来る前に、警察署で多数の検視を行って表彰を受けたんです。そのあたりから「検視の濱田」っていう印象がついて、捜査一課に引き上げられて、「この道もありかな」と思ったんですよね

検視官の1日

福田記者

検視官の方はどのような1日を過ごしているのですか?

ほぼ1日中、ご遺体と向き合ってますね

濱田警視

県警本部に出勤したあと、1日だいたい5つの警察署を回り、7、8人の検視をします。多いときには7署で12人という日もありました

1人の検視にかかる時間は平均すると20分から1時間ほどです

検視はどのような流れで進めるのですか?

まず、朝、県警本部に出勤します。そこで前日に発見されたご遺体について報告を受けます。捜査一課の検視チームの誰がどの署に向かうのか、私が割り振ったうえで、みずからも車に乗り込み所轄の警察署に向かいます

取材をもとにした濱田警視の1日

ご遺体に手を合わせて

警察署に着いて、まず向かうのがご遺体が安置されている霊安室。部屋に入る前には必ず一礼

濱田警視

霊安室の検視台に横たわっているご遺体に「これから視させていただきます」と手を合わせます。その後、まずは現場の状況や見つかったときの姿勢などを確認します

検視の所見を捜査員に説明する濱田さん(右側)

ご遺体は頭から順に視ていきます。まず、髪をかき分けて傷がないか確認。
そして顔、目、まぶたの裏側、鼻、唇の裏、口の中の粘膜、舌。
首が絞められると折れてしまう舌骨、首の骨が折れていないか確認します。
その後、胸、腹、背中、両手、両足と全身を視ます

さらに硬直や色、腐敗の有無、発見時の状況などをあわせて死亡推定時刻を絞っていきます

事件か、事故か、病死か・・

福田記者

そのあとは何をするのでしょうか?

結果は国の様式に従ってまとめます。1人のご遺体につき20枚くらいです。事件性がなければ遺族に引き渡し、事件性が疑われれば、解剖の手続きをします

濱田警視
検視の結果を記録する書類

精神的な負担は…

福田記者

1日に7人、しかも事件を見逃せない「最後の砦」、精神的にきつくはないですか?

刑事ドラマでもそれほどクローズアップされないし、ほとんど表に出ることがない日陰の仕事です。でも、誰かがやらないといけない。お医者さん、お坊さんよりも先にご遺体を視ているんです。なので、その死者に対して真摯に向き合って、間違いのない判断をする。そして、できるだけ早くご遺族のもとに帰ってもらって眠ってもらいたい。それが日々、考えていることです

濱田警視

私がもしご遺体を前にしたら、頭からしばらく離れないと思います。1日に何度も繰り返すことができるか考えてみると自信がありません

よくそういわれるんですけれども、気にしないように、意識的に全く違うことを考えているので、ほとんどないですね。目の前のご遺体に集中しているので、一つ前に視たご遺体のことも忘れるようにしています

それより「間違った判断をしなかったか」という方が気になってしまいます。事件性はないと判断したものの、あとになって実は事件だったっていう誤った検視を通称“お化けが出る”っていうんです。これが一番気になりますが、いままで実際にお化けが出たことはありません

子どもが被害者の事件、痛ましい事件も多いですが、感情が揺さぶられるのではないですか?

確かに、ぐっとつばを飲み込んで検視にあたることもあります。ただ、そこで悲しんでいると、見えるものが見えなくなるんです。だから、すごく感情をドライにさせるよう普段から心がけているかもしれません。そこはプロの意識の一環だと思っています

最初から目指したわけではなかった

中学時代の濱田さん 子どものころは寿司職人を目指していたという

これまで1万人以上のご遺体と向き合ってきた濱田さん。しかし、決して最初からこの道を志したわけではありませんでした。

子どものころの夢は「寿司職人」だったという濱田さん。

その後、刑事になりたいと思い、警察官になったあとは、交番や機動隊など様々な仕事を経験しました。

そして、殺人事件などを捜査する部署、捜査一課に配属されたのは35歳のときでした。

一課に配属されて2年目に、検視の道を本格的に歩んでいくきっかけともなる、忘れられない出来事がありました

濱田警視

上司と所轄の署で検視を行ったときのことです。亡くなった人にはトラブルがなく、事件性はないとみて病死と判断する方針でしたが、違和感があったんです。死後に体の血液が沈下してあざのように皮膚に現れる「死斑」がなかったのです

詳しく調べてみると、おなかの中に血がたまって皮膚に出てこなかったために、死斑が出ていなかったことがわかりました。その後の捜査で、同居する家族がおなかを蹴っていたことがわかり、傷害致死事件となりました

「よく気づいた」とほめられて、検視の仕事のおそろしさが胸をよぎる一方、やりがいを感じるようになりました

福田記者

その後、長い間、検視に携わり、時代の変化などは感じますか?

これまで1万人ほどのご遺体を視てきました。年々判断が難しいご遺体が増えていると思います。ご遺体の数だけ、亡くなり方が増えている。想定外だったのは、新型コロナ。2021年の夏、自宅療養中に亡くなった方の検視の報告を受けたとき、医療崩壊が始まったと思いました。基本的なことは変わらないけど、時代の変化に応じて日々、いろんなことを考えていますね

去年全国初の広域技能指導官に指定された

東日本大震災での検視

濱田さんがこれまでで特に印象に残っていると話したのが東日本大震災の被災地での検視です。発生1週間後から岩手県の大船渡市や陸前高田市に応援に入ったときのことです。

検視をしていた場所は、電気も水道も止まった状態の廃校になったばかりの小学校でした。次々と運び込まれてくるご遺体は、見たことのない数で、朝から晩までフル稼働でも数は減るどころか増えていきました

濱田警視
小学校にあった長机を検視台にした

その後も千葉と岩手を行き来をしながら、半年間でおよそ150人の検視を行ったといいます。

1人の検視が終わっても、ご遺体は次々に運ばれてきます。目の前のご遺体をひたすら冷静に視ていました

津波でお亡くなりになったのか、いつ亡くなったのか、事件に巻き込まれてはいないか。今は誰だかわからなくても、あとあとわかるように所持品や身体的な特徴を必死で記録したのを覚えています

当時は、本当にご家族のもとに帰れるのかなという思いもありましたが、多くの方が戻れたと聞いています

濱田さんは当時の記憶が詰まった品として帽子を手に取りました。プリントは剥がれ、ほとんど読み取ることはできませんが、書かれていたのは「Stand Up Together for Kesen」=「気仙のため ともに立ち上がる」

当時、岩手県の大船渡警察署の署員に作ってもらった帽子を、今も検視のときなどにかぶり続けているといいます。

11年間大切にかぶり続けている

若手に伝えたいこと

濱田さんが日々の検視とともに担うのが人材の育成です。

この日、若手警察官などを対象に講義を行った濱田さん。

岩手県の被災地でのあるエピソードを紹介しました。

千葉県警 市川警察署で行われた

濱田警視
「小学校で検視を進める中、岩手県警の1年目の警察官が亡くなった人が着ていた服をプールの水を使って手で洗っていたんですよ。手伝いに来てくれていたんだけど、まだ検視はできない。先輩に言われたわけでもないのに、着ている物はきれいにした方がいいだろうと思ったんでしょう。冷たい水を使って一生懸命洗ってくれたんですよ。着ている物がわかれば身元の確認にもつながるので、本当にありがたかった。自分に何ができるか考えたんでしょう」

当時のことを思い出しながら語る

講義を終えた濱田さんは若い警察官のエピソードを紹介した理由についてこう話しました。

濱田警視
「岩手で活動する中で『こちらで検視をしたご遺体はきれいだ』と言われたことがありました。批判されることもあります。それでも、きちんとした仕事をしていれば誰かが見てくれている。そのことを伝えたかったんです」

みんなが嫌がる仕事かもしれない 

濱田さんにとって検視官とはどのような仕事なのか。最後に改めて聞きました。

検視官 濱田昌也警視
みんなが嫌がる仕事かもしれないけれど、私たちの後ろには誰もいません。腹をくくってやる覚悟がないとできない仕事だと思っています。

最終的に裁判で犯人を有罪することで、亡くなった人の無念をはらしたい。それが、どのご遺体を視ても考えていることです」

柔和な笑顔の一方、鋭い視線が印象的な警察官。定年まであと5年。みずからを超える検視官を育てるため、後輩の指導に力を注ぎます。

  • 千葉放送局 福田和郎 2006年入局。
    これまでに大阪、警視庁などで殺人事件や事故などを10年取材。現在は千葉県警担当。
    趣味は猫。