追跡 記者のノートから大阪クリニック放火事件~被害拡大なぜ “既存不適格”ビルの対策は

2022年1月28日事件 社会

大阪のビルでクリニックが放火された事件では、巻き込まれた26人が亡くなりました。

今回、防火対策によって被害を少しでも軽減することはできなかったのでしょうか。

取材を進めると、現場のビルに法令上の不備はなかった一方で、階段が1か所しか設置されていなかったことで被害が拡大した可能性があることがわかってきました。

(※3月8日追記 この事件に巻き込まれて亡くなった方は26人となりました)

(クリニック放火事件取材班 小栗高太・大室奈津美)

現在の法律では 階段“2つ”必要

放火されたクリニックが4階に入るビルはJR北新地駅からほど近い、ビルや飲食店が建ち並ぶ一角にあります。

昭和45年に建設された8階建てのビルで、階段は出入り口付近にある1か所でした。

建築基準法の施行令では原則、6階以上のビルには地上につながる階段を2つ以上設置することが義務づけられ「2方向避難」を求めていますが、昭和49年以降に着工されたビルが対象です。

現場のビルは昭和45年に建てられたため、その規定が適用されない「既存不適格」の建物だったとみられ、排煙設備もありませんでした。

<“既存不適格” 建築物とは>
建築時点の法令では合法だったものの、その後法令などの改正があり、法令上不適格な部分が生じている建物のこと。規定がさかのぼって適用されないため、そのままの状態でも違法ではない。ただ増改築や建て替えをする場合には原則、その時点の法令に適合させる必要がある。

このビルに対し消防が平成31年に行った立ち入り検査でも、火災報知器や消火器、誘導灯などが備えられていて、設備面で消防法上の不備はありませんでした。

今回の事件で、容疑者はクリニックの出入り口付近で火をつけました。

避難経路となる階段はその出入り口付近にあるため結果的に逃げ場を失い、多くの人が犠牲になったとみられています。

火災や都市防災に詳しい神戸大学都市安全研究センターの北後明彦教授に聞きました。

記者

現場のビルに階段が1つしかなかった点は影響した?

階段が2つあったら必ず助かったとまでは言えないが、被害拡大の要因として一番大きいのは避難できる方向が1方向しかなくて避難できなかったことだと考えられる。

北後教授
記者

法令上の問題はなかったが?

「既存不適格」の建物は、危険性はあるもののそれまでの法律に合っていたというだけで直さなくていいとされている。法改正以前の建物がたくさん残っていることに大きな問題がある。

北後教授

避難器具メーカーに問い合わせ相次ぐ

事件のあと避難器具メーカーには、ビルの所有者などから「器具を新たに取り付けたい」といった問い合わせが相次いでいます。

東京に本社がある避難器具メーカー「オリロー」は、避難はしごやロープを使って地上におりる「緩降機」と呼ばれる器具などの製造や販売を手がけています。

ビルの所有者などから「器具を新たに取り付けたい」とか「使い方を確認したい」といった問い合わせや相談が事件後に相次いだといい、大阪支店だけですでに5件ほど設置が決まりました。(1月中旬時点)

緩降機の実演 ※クリックすると動画が見られます

費用は1台あたり、避難はしごが10万から15万円ほど、緩降機が50万から60万円ほどですが、各フロアに設置しなければならないケースもあります。

法令上設置しなくても問題はないものの、安全性を高めるため追加で設置を検討しているという声もあるということです。

避難器具メーカー「オリロー」 今井正幸社長

今井社長
「ビルのオーナーやテナントさんから通常のおよそ10倍の問い合わせがあり、避難器具に関心が高まっていると感じます。建物の構造によって設置できるものとできないものはありますが、どんな器具を付けたらいいのかアドバイスするように心がけています」

ビル所有者に広がる不安

全国の消防は事件のあと、3階以上に飲食店やクリニックなど不特定多数の人が利用する施設があり、階段が1つしかない建物、およそ3万棟について緊急の立ち入り検査を行っています。

京都市の繁華街にビルを所有する小森一宏さんも立ち入り検査を受けました。

4階に不特定多数の人が利用するクリニックが入っていますが、階段は各テナントの出入り口付近にある1か所だけです。

消防設備に不備はなかったうえ、ビルは5階建てのため法令上、階段も1か所で問題ありませんが、現場のビルと構造がよく似ているため不安を感じているといいます。

小森さん
「階段で火をつけられたら表側の窓かベランダに行かざるをえない。今回の事件は火災というよりテロのようなものだから怖いというよりどうやって防げばいいのか教えてほしいくらいです」

小森さんが所有するビル

小森さんは各フロアのベランダに避難はしごを設置するか検討しています。

ただ負担が増えるためテナント側と協議する必要があり、行政による支援も検討してほしいと話します。

小森さん
「ベランダに避難はしごやロープを設置してもいいが維持管理が負担になる。できればテナント側で維持管理も含めて用意してもらうほうがありがたいので、そのためにも行政の支援があれば進めやすいと思います」

専門家「ビル所有者 後押しする制度を」

現在、火災を想定した非常階段の設置などに補助制度はありません。

専門家はビルの所有者を後押しするような制度設計が必要だと指摘しています。

神戸大学 都市安全研究センター 北後明彦教授

北後教授
「例えば不動産取引では、土砂災害警戒区域にある建物はそのことを示さないといけない。それと同じように“階段が1つしかないビル”についても、所有者がテナント側に示さないといけない仕組みをつくることで安全性を高めていくのも1つの考え方としてはある。

また耐震改修では、公共性がある建物の安全性を確保するために補助金を出しているケースがあるので補助制度も考えられる。こうした行政による指導や援助があればより安全な方向に進むはずで、“既存不適格”の建物にどのように効果が及ぶようにするかが大切だ」

取材後記

現場と同じように階段が1つしかないビルは、敷地面積が狭い場所に建てられているケースが多く、「建て替え」や「大規模な改修」はコスト面などからも難しいのが現状です。

総務省消防庁などは今後、防火対策について有識者による検討会を設けることにしています。

今回は法令上不備のない建物でしたが、規定に合致しているかどうかだけでなく、安全の実効性を高めていくことが求められていると感じました。

  • 取材班(札幌局記者) 小栗高太 全国紙・民放の記者を経て2021年入局
    事件や防災取材を担当

  • 取材班(大分局記者) 大室奈津美 2017年入局
    警察担当を経て県政・別府市政を担当