追跡 記者のノートから11月27日 同じ日に2つの家族が死んだ(後編)

2021年3月5日事件

東京・町田市で夫婦が亡くなった、去年11月27日。

その同じ日、東京から遠く離れた九州・大分県でも、家族の心中が起きていた。
亡くなったのは、仲の良かったシングルファーザーと高校3年生の1人娘。
父親が娘を殺害した後、自らも命を絶ったとみられている。

いま、全国各地で相次いでいる心中について、
「はっきりとは分からないが、何かが起きている」。
そう思いながら、取材を続けている。

※亡くなった方は仮名とさせていただきました。

(社会部・警視庁担当 安藤文音/大分放送局記者 宮本陸也/社会番組部ディレクター 秋岡良寛)

仲のいい親子だった

大分県別府市。温泉客でにぎわう、日本でも有数の観光地である。
温泉街から少し離れた住宅街が現場だった。

11月27日の午後、2階建ての1軒家で親子の遺体が見つかった。

亡くなっていたのは、父親の孝治さん(55)と、1人娘で高校3年生の加奈子さん(18)。

自宅に到着してまず気づいたのは、 家の敷地内の物がきれいに片づけられ、整理整頓されていたことだ。

また、玄関先には青い軽乗用車が止まっていて、一見すると、親子はまだここに住んでいるような雰囲気だった。

近所の人に話を聞くと、2人はよくこの車に乗って出かけていたという。
そして、親子については、「仲がよかった」と皆が口をそろえて言った。

近所の人
「お父さんは、ほんとに娘をかわいがっていましたね。ある日、娘さんがかっこいい服を着ていたから、『かっこいいね』と褒めたら、お父さんが『ありがとうございます』って笑顔で答えてくれました」

「親子一緒に出かけていくの、何回も見ましたよ。ケンカだとかトラブルなんて、一切聞いたことありませんでした」

あの親子が、なぜ・・・。 

2人を知る人の中には、あまりにショックが大きく、いまだに信じられないと話す人もいた。

心中の背景に何が

2人が亡くなった背景を知ることで、いまの社会全体に通じる何かが分かるかもしれない。私たちは、どんな親子だったのかを知るために、関係者を訪ね歩いて取材を進めることにした。

しばらく近所での聞き込みを続けると、加奈子さんの小学校や中学校時代の同級生に会うことができた。

加奈子さんの同級生
「加奈子は、小学生の時は明るかったですよ。アニメやマンガが好きでマンガ研究会に入っていましたね。
ただ、中学に入学すると、原因はわからないけれど、学校を休みがちになっていました」

「私が転校してきた時、加奈子が声をかけてくれて話すようになりました。よく、TVゲームや漫画の話をしていましたね」

加奈子さんが小学校を卒業する時に作った文集を見せてもらった。
そこには将来の夢として、「本屋の店員」になりたいと記されていた。

卒業文集の記述
「作家にもなってみたいし、いろんな作家さんの作品をサポートできる出版社として働きたいです。自分の夢がかなうように一歩ずつ努力していきたいです」

加奈子さんは、中学校に入学したあと、卓球部に所属した。
おとなしいタイプだったが、勉強もクラブ活動も、真面目に取り組む生徒だったという。

一方、父親の孝治さんは、県内のメーカーに、電子機器の設計を行うエンジニアとして勤務していた。
娘の加奈子さんが幼いころに離婚し、男手一つで懸命に育ててきたという。

その加奈子さんは、中学校に入学したあと学校を休みがちになった時期があった。

当時の教員は、家庭訪問をした時に、父・孝治さんが加奈子さんを懸命にサポートする姿が印象に残っているという。

親子をよく知る中学校の教員

中学校の教員
「加奈子さんが、朝なかなか学校に行けなかった時、お父さんは加奈子さんが大好きなお味噌汁を作って、『できたよ~』と言って呼んでいたようですね。
そうやって呼ぶと、2階の部屋から降りてきたみたいですよ。
2人で寄り添ってというか、支え合いながら生活しているという印象を受けましたね」

毎日、働きながら、思春期の娘と向き合うのは大変だっただろう。教員によると、父親と話をするたびに、苦悩が感じられたという。

中学校の教員
「お父さんからは、『娘が生理になった時に何をどうしていいのか、どう話をしていいのか分からない』といった相談を受けました。
 また、『十分な話し相手になることができず、気持ちを理解してあげたりすることができない』というようなことも言われていました。

ただ、それだけ加奈子さんに一生懸命向き合おうとしていたと感じましたね」

孝治さんはPTAの役員も、率先して引き受けていたという。

同級生の保護者
「お父さんが自己紹介で、『自分のところは父親と娘の2人きりで、男親で至らない点もたくさんありますが、他のお母さん方の力を借りながら、娘を育てていきたい』とおっしゃっていたのが印象に残っています。
お仕事をうまくやりくりして、運動会や参観日など、さまざまな行事にも必ず参加していました。本当にいいお父さんでしたね」

加奈子さんは、中学校を卒業後、通信制の高校に入学した。
自宅でこつこつと勉強して計画的に単位を取得し、大学への進学を目指していたという。

緊急事態宣言で生活に変化が

しかし、加奈子さんが高校3年生になった去年4月。
全国に緊急事態宣言が出されたことで、親子の生活が大きく変わることになる。

孝治さんが勤務する会社でも在宅勤務が始まり、親子は一日中、同じ家の中で過ごすようになったのだ。

近所の人
「これまでは、いつも車で朝出かけて、夜帰ってくるような規則正しい生活をされていたけれど、春頃からお父さんは全然見かけなくなったね」

「久しぶりにお父さんを見かけたときに話を聞いたら、『いまは在宅で仕事をしているんです』と話していたんだけどね・・・」

新型コロナの感染が広がる前、職場では、「仕事ぶりは真面目だが、笑顔を絶やさない人」という評判だった孝治さん。

しかし、久しぶりに出社した時には、別人のような様子だったという。
中には、「表情がおかしく、目の焦点が合っていない」と、当時の様子を語る人もいた。

一つ屋根の下で、2人がどのように過ごし、具体的にどういった会話をしていたのかは、はっきりと分かっていない。

ただ、知人の1人は「会社に毎日通勤しているころであれば、愚痴を同僚に話したり、子育てについての悩みを打ち明けたりすることができたかもしれない」と振り返っている。

在宅勤務が始まってから、孝治さんがうつ病を発症し、医療機関に通院していたことも分かった。

実はこのころ、孝治さんは知人にある悩みを打ち明けていた。
それは、「経済的な理由で、娘を大学に進学させられないかもしれない」というものだった。

孝治さんの知人の証言
「大学に行かせてあげられないということを、娘に伝えないといけなかったことが、思い悩む原因だったのではないだろうか」

一方の加奈子さん。去年11月から、コンビニでアルバイトを始めていたことが分かった。
採用の際の面接では、次のように話していたという。

加奈子さんの面接での言葉
「父は在宅勤務で気分の浮き沈みが激しくなりました。
大学に行きたいけれど、ことしの受験は資金面で無理だから、1年間アルバイトしてお金を貯めたいのです。だから目いっぱい、バイトのシフトを入れてください」

加奈子さんにとっては、初めてのアルバイトだった。
熱心にメモを取りながら仕事を覚え、最初は緊張しながらも、一生懸命レジの操作方法を覚えていたという。

孝治さんもまた、体の調子がすぐれない中で、娘のためにギリギリまで奔走していたことが、知人などへの取材で明らかになった。

2人が亡くなる1週間前、孝治さんは、何年も連絡を取っていなかった親戚に電話していたことが分かった。
その際、「娘が大学に進学するのに必要な奨学金の保証人になってくれないか」と相談を持ちかけていたという。

しかし数日後。
体調が悪くなったとして親戚との会う約束をキャンセルしていた。

そして、11月27日・・・。

いつも、在宅勤務の時は、必ず勤務を開始するという連絡を会社にしていた孝治さん。この日は、昼を過ぎても、その連絡がなかったという。

心配した同僚が家に駆けつけると、2人は同じ部屋で亡くなっていた。
警察によると、孝治さんが加奈子さんを殺害し、自らも命を絶ったとみられている。
遺書は残されていなかった。衝動的なものだったという見方もあるが、はっきりとは分かっていない。

加奈子さんは、亡くなる数時間前までコンビニで働いていた。
翌月の勤務希望も出していたという。ロッカーには、制服が残されたままだった。

なぜこのような結末になってしまったのか。
私たちが話を聞いた孝治さんや加奈子さんの周囲の人たちは、まだ十分にこの状況を理解できず、どこか戸惑っているようだった。

ただ、親しかった人は、自分にもっと何かできたのではないかと自問自答していた。
孝治さんの知人が、メールで心境を送ってくれた。

孝治さんの知人の言葉
「誰かが彼の領域に入り込んで、その悩みを聞いて、その時打てる最善の策を考えてあげていたらと、考えることがあります。
おせっかい焼きは嫌われる、もしくは控えるべきだという考え方もあるでしょうが、もしかしたら彼はそんな人を求めていたのかもしれないと感じています」

※文中の記述は知人や捜査関係者への取材に基づく

取材後記

コロナ禍で起きている心中。
取材を進めたところ、去年1年間に少なくとも46件の心中が確認され、
101人が亡くなっていたことが分かりました。
その半数以上は、新型コロナの感染が再び拡大した、
去年10月以降に集中していました。

ことしに入ってからも、すでに10件以上の心中が起きています。

いま、新型コロナによって、誰もがさまざまな環境の変化に直面しています。
知らず知らずのうちに精神的な負担を抱えている人もいるかもしれません。

全国で心中が相次いでいる原因は、まだ十分分析できておらず、詳しいことは分かっていません。ただ、新型コロナの感染拡大でいろいろなことが変わりました。また、これまで抱えてきた悩みなどについて、先が見えにくくなったり、解決の見通しがたたなくなったりしている部分もあると思います。

さまざまな相談を受け付ける行政や支援団体の窓口も取材すると、
「コロナによって収入が減り、これから子どもと生きていくのが不安だ」という声や「親が失業して精神的に落ち込んでしまった」という声が寄せられ、中には「もう死んでしまいたい」という訴えもありました。

ただ、今回話を聞かせていただいた、
亡くなった人の遺族や親しかった人の多くは、
「なぜもっと相談に乗ってあげられなかったのか」
「もっと悩みを話してほしかった」と強く訴えていました。

どうしようもなく悩んでいる人に一番伝えたいのは、
「あなたは、決して1人じゃない」ということです。

          

  • 社会部 記者 安藤文音 2013年入局 大津局・大阪局を経て2020年から警視庁担当

  • 大分放送局 記者 宮本陸也 2018年入局
    主に事件を担当

  • 社会番組部 ディレクター 秋岡良寛 民放テレビ局勤務を経て、2019年から現職。