追跡 記者のノートから何を変え、何を守っていくべきか ~検事総長が語る検察のあるべき姿

2021年6月1日司法 事件

検察トップの林眞琴(はやし・まこと)検事総長がNHKの単独インタビューに応じ、刑事手続きのデジタル化に向けてリモート方式での取り調べの導入を検討していることなどを明らかにしました。

激変する時代の中で、検察トップは、組織の何を変え、何を守っていくべきだと考えているのか。インタビューの詳細です。
(取材:橋本佳名美)

刑事手続きのデジタル化

コロナ禍で浮き彫りになった日本のデジタル化の遅れ。

政府は行政サービスなどのデジタル化の推進に力を入れていますが、捜査や裁判などの刑事手続きは法令上、紙ベースでのやりとりが前提となっているため特に遅れていると指摘されています。

刑事手続きのデジタル化をめぐっては法務省がことし3月、検討会議を設置し、議論が始まっています。

法務省の検討会(3月31日)

デジタル化についての考え方を林氏に問いました。

林検事総長
社会全体が急激にデジタル化する中、司法の分野だけが旧態依然として紙に頼って、分厚い書類を持ち込んで仕事をしていることは考えられないことだと思います。
 
刑事手続きだけが取り残されてしまうという事態は回避すべきで、この機会を最後のチャンスだと捉え、できる限りの検討・整備を進めたい。

林氏は、その上で、現在、対面で行っている捜査段階での取り調べの一部に「リモート方式」の導入を検討していることを明らかにしました。

林眞琴検事総長

『リモート方式』や『ビデオリンク方式』の取り調べも必要性に応じて選択肢の1つになると考えています。
 
一例としては、新型コロナウイルス対策として遠隔地に居住している参考人から事情を聴く場合などが考えられます。
 
具体的な実施場面、実施方法に関する検討を進めるとともに、設備などを含めた環境整備も必要になると思います。

サイバー犯罪への対応は

社会全体のデジタル化が進んでいくことで、サイバー犯罪の被害がさらに深刻化することも懸念されます。

サイバー犯罪への対応はどのように考えているのか。

林検事総長
検察庁の組織としてのサイバー犯罪への対応は必ずしも十分ではありませんでした。
 
デジタル技術の発展はめざましく、犯罪者と取り締まり当局とのいわば“いたちごっこ”が続く中、どのようにキャッチアップしていくかが喫緊の課題となっていたのでことし4月1日、最高検察庁に『先端犯罪検察ユニット』という専従班を設置しました。

専従班は、最新のサイバー犯罪に関する情報を国内外の関係機関や全国の地方検察庁などと共有するとともに各庁への応援態勢の構築にも協力します。
 
また、サイバー犯罪の捜査や公判に関する研修や教育も企画・立案し、組織全体としての対応力の底上げを図り、刑事司法の真相解明機能の強化に取り組んでいきたいと考えています。

「司法取引」導入から3年

容疑者などが共犯者や他人の犯罪について捜査に協力すれば見返りに起訴が見送られるなどする「司法取引」。

厚生労働省の局長だった村木厚子さんが無罪になったえん罪事件をきっかけに捜査当局が取り調べに過度に頼らず、証拠を集める手段として3年前に導入されました。

組織犯罪や企業犯罪で上層部の関与の解明に役立つ制度として期待され、日産自動車ゴーン元会長の事件など導入から3年間で3つの事件で適用されています。

日産自動車ゴーン元会長(2020年1月)

林氏は運用状況をどう評価しているのか。

林検事総長
我々はこの制度を、新しい供述を得るための手段だけではなく、供述内容を裏付け、事件の核心に及ぶような客観証拠を得るための制度と位置づけています。
 
また合意に向けた協議は弁護側から申し入れることも可能で、検察・弁護側の双方が対等に活用できる制度です。
 
制度設計の当初から(検察が)利益を与えた協力者のうその供述で、無実の人が巻き込まれる危険性が指摘されているため、極めて慎重かつ限定的に制度を運用した結果、適用された事件が3件にとどまったのだと思います。
 
従来の捜査手法では成果を得ることが困難だった組織犯罪の首謀者の関与の解明に資することが期待されていましたが実際に運用してみてそのような有効性があったと考えています。

今後の運用方針については次のように述べました。

制度の適用に当たっては協力者の供述に裏付け証拠が十分にあるかなどを吟味した上で運用を慎重に行っていく必要があります。
 
この制度を使って証拠を集めることに国民が見ても『なるほど』と理解が得られるような事件でなければいけない。いずれにしても新しい制度なので1つ1つ運用実績を積み重ねながら慎重かつ着実に制度を定着させたい。

「取り調べの録音・録画」 成果と課題は

村木厚子さんのえん罪事件をきっかけにした刑事司法制度改革で柱の1つとなったのが取り調べの録音・録画の義務化です。

録音・録画設備のある取調室

検察改革や法制化の議論の中では捜査機関の関係者から「録音・録画を意識する容疑者から十分に供述を得ることが難しくなり捜査の支障が大きい」と反対意見も出ていました。

林氏は現状をどう受け止めているのか。

林検事総長
取り調べの録音・録画は、容疑者を逮捕した事件の9割以上で実施されるなど検察の現場に幅広く定着し、その結果、裁判で容疑者の供述の任意性が深刻に争われるような機会は減っていると思われます。
 
常に見られているという意識が検察官に浸透することでこれまで以上に取り調べの適正に配慮するようになったと考えています。
 
若手の検察官は任官した当初から録音・録画が実施されていたので、おそらく大きな抵抗感もなく、取り調べを行っていると思います。

一方、課題は取り調べの能力向上が課題だと指摘します。

検察官は録音・録画された取り調べでも正しい発問をして真実の供述を得る必要がありますし、不合理な供述をした場合には追及することが求められます。
 
録音・録画によって決裁官(上司)は個々の検察官の取り調べの状況を視聴し、そのあり方を具体的に指導することが可能になりました。
 
このような指導を通じて検察官の取り調べ能力を向上させていくことが今後の課題だと考えています。

国民の信頼が基盤 できる限り丁寧な説明必要

検察を取り巻く環境が激変する中、トップとして目指すべき検察の姿は。

林検事総長
検察は常に公正・誠実に、フェアネスを保って、適正な検察権の行使に務める『公益の代表者』でなければならない。
 
その一方で、さまざまな分野の新しい制度を積極的に吸収し、熱意を持って捜査や公判で成果を上げる『当事者』でもあり、その両方の立場をまっとうするのは容易なことではありません。
 
検察の不祥事は検察官の意識が『当事者』の方に過剰に偏り過ぎて起こったと言えます。
 
『公益の代表者』の立場をまっとうし、仮に不祥事を起こさない検察を実現しても、熱意を持って重大で複雑な犯罪に切り込まなければ国民の信頼は得られない。
 
私の言葉で言えば、しなやかで強く、頼りがいのある検察を作っていかなければならないと考えています。

その上で検察は国民からの信頼を得るためにできるかぎり丁寧な説明に努める必要があると指摘しました。

検察の活動は国民の信頼という基盤に支えられる必要があります。
そのためには国民に検察の活動を正しく理解してもらい、無用の誤解を与えないようにするために検察としても適切な説明が重要になってきます。
 
事件の捜査・処分はことがらの性質上、明らかにできない部分もありますがそういった制限の中でもできる限り丁寧な説明に努める検察でならなくてはと考えています。

取材後記

1時間近くに渡ったインタビューでは、デジタル化や新たな司法制度への対応にとどまらず、激変する時代の中で検察という組織が何を目指すのか、トップの本音に迫ることができました。巨大な権力を持つ検察のあり方を、今後も取材し、検証していきたいと思います。

  • 社会部 橋本佳名美 平成22年入局
    大津局、神戸局を経て社会部遊軍

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