※この記事は2021年11月22日に公開したものです
裁判所から被告たちが護送される車両に向かって多くの若者らがかけより、スマホのライトをかざして「がんばれ!」「仲間よ耐えて!」などと声援を送る。その1人1人は多くの場合が被告の知り合いではない。知らない誰かを応援するために、連日裁判所に通っているのだ。
「ぼくの奥さん、愛しているよ!」
私が裁判所に通い始めてまず、傍聴に訪れる人たちの数の多さに驚いた。
民主活動家らの裁判では一番大きな法廷を使っても入りきらないので隣の部屋やロビーに、モニターによる傍聴席が設けられる。
しかしモニターでは被告席の様子はほとんど見えないから、被告たちがいる法廷では次々に傍聴席を入れ代わる人たちがいる。限られた傍聴券を融通しあって数分ずつ順番に傍聴席に座って、被告たちの姿を確認するとまた席を立って、別の部屋で待機する次の人に券を手渡す。
開廷前の法廷では、被告たちが廷内に入場すると傍聴席から一斉に被告たちの名前や、「体に気をつけて!」「頑張れ!」などと声があがる。
これに被告たちも手をあげて「民主は死なない!」「正義を求めよう!」といったスローガンでこたえる。まるでコンサート会場のようだ。
時には「お誕生日おめでとう!」「ぼくの奥さん、愛しているよ!」といったことばも飛び交い、厳粛な法廷が笑いに包まれることもある。
裁判長が着席するまでの、このわずか数分間の短いやりとりが、民主派の活動家たちが直に発信できるわずかな機会になっているのだ。
【今の香港の「音」】多くの人が集まる裁判所前で(2021年10月録音)
「傍聴師」と「送車師」
裁判の傍聴に駆けつける人たちは「傍聴師」と呼ばれている。また被告たちが乗る護送車を見に駆け寄り、伴走しながらスマートフォンの灯りを照らして声をかける人たちもいて、こうした人たちは「送車師」と呼ばれている。
私は最初、この「~師」と呼びあっているのが不思議に思えたが、すぐに納得した。彼らはかなり「プロフェッショナル」で、とても真剣なのだ。
数万人が参加するSNSで常に裁判の日程を共有しあい、地元記者も顔負けのフットワークで、新聞に載らないような裁判にかけつける。傍聴した内容や車の出入りはリアルタイムで報告しあう。その1人1人は多くの場合が被告の知り合いでもない。知らない誰かを応援するために、連日裁判所に通っているのだ。
もともと一連の抗議活動は当初からそれぞれが自分にできることは何かを考えて、行動してきた。自然に生まれた「傍聴師」と「送車師」には、その精神がまだ生きていた。
「走車師」の男子大学生(20)
「傍聴席に誰もいなかったら寂しいでしょう。彼らはみんな一緒に闘う『仲間』です。同じ気持ちの仲間がいるということを伝えたいのです」
違法な集会に参加した罪で起訴され、その後無罪となった元被告の男性のことばが9月、地元の新聞に掲載されていた。
「毎回、見知らぬ人たちが傍聴に来てくれ、こんなにも自分を応援してくれているとは思いもよらなかった」
「傍聴師」や「走車師」の声は届いているのだ。理不尽でやるせない思いを共有する人たちが支え合うのもまた、裁判所が舞台となっている。