私はこう考える
選択肢を増やす社会を
作家・コメンテーター 乙武洋匡さん

作家やコメンテーターとして活躍する乙武洋匡さんが、コロナ禍で変わる社会を「喜び」と「悔しさ」という言葉で表現したブログが大きな反響を呼びました。そこに込めた思い、さらにポストコロナの社会に期待することを本人に伺いました。

ブログに込めた思いとは

乙武洋匡さんのブログ

乙武さんはコロナ禍で変わる社会について、みずからのブログにその思いをつづり、4月6日に公開しました。まずはそのブログの一部をご覧ください。

乙武洋匡さんのブログより

Q.ブログへの反響をどのように受け止めましたか?

乙武さん
正直驚きでしたね。あんなに反響が大きくなると思ってなかったので、こんなに多くの人が読んでくれたんだと。

ブログを書いたのは緊急事態宣言が出される直前で、それまでとは違って、ある程度、拘束力を持った形で国民の行動が制限されていくというタイミングでした。ですから、この問題に対して自分ごととして考えてもらえたのだと思います。

寄せられた反応は、はっきり2つに分かれていました。障害者だけでなく、いわゆるマイノリティ側の人々からは「よくぞ言ってくれた」、「その通りだ」っていう賛同の声。マジョリティー側の人々からは「抜け落ちていた視点だった」ということでした。

Q.新型コロナウイルスの自粛生活。乙武さんはどのように過ごされましたか?

乙武さん
午前中に筋トレをして、午後は読書、夜は映画を見てという毎日でした。私自身は、車いす利用者の中ではかなりアクティブな生活をしてきた方だと思うので、外出自粛によってかなり生活は変わったほうだとは思います。

一方で、他の車いす利用者の方は意外と影響を受けていないと言う人も多かったんですよ。ただ、ポジティブな言い方をすれば、影響を受けていないという言い方になるんですが、それは、多くの方が今回のコロナ禍で直面した困難というものに、もともと直面していたという側面があるんですよね。

忘れないで 日常に戻れない人々のことを

さきほどのブログは、さらにこう続きます。

(一部抜粋)

「あんなに進まなかったのにね」

あれだけ熱望したのに、あれだけ声を上げていたのに、ちっとも耳を傾けてもらえなかった。ところが、いざ「自分たち」が同じような困難に直面したら、これだけスピーディーに、これだけダイナミックに世の中は変わっていくんだなって。やっぱり、ちょっと、悔しいんですよ。

この社会は「多数派」のためにできているんだな、って。

いつかは長いトンネルを抜けてこのコロナ禍も収束し、やがてみなさんも「日常」へと戻っていくことでしょう。

でも。

みなさんの「日常」に戻れない人々がいることを忘れずにいてほしいのです。

選択肢を増やして欲しい。それが私の願いです。

Q.「ちょっと、悔しい」という表現。ここに込めた思いは?

乙武さん
正直、これは私だけの気持ちではなく、多くの当事者の中に、悔しさ、マジョリティーが直面しないと変わらないんだねっていう、無力感があるんだと思います。

もちろん、変わり始めた喜びを、本来、真っ先に感じなきゃいけないんですけど、それよりも、「俺らがずっと言ってきたじゃん」っていう、何かやるせなさを多くの人が感じてるんですよ。あくまでも前向きな提案をさせて頂いたつもりなんですけど、でもやっぱり、一言は言わせてよっていう思いで書きました。

元々、私自身のキャッチフレーズとして「選択肢を増やそう」ということを訴えてきたんですが、今回の外出自粛によって、多少なりとも選択肢というのは生まれてきたと思うんですね。

例えば、仕事に通うことができないならばリモートワーク、学校に行くことができないなら、オンライン授業など。これまでなかったり、ほとんど認知されてなかった選択肢というものが、確かにこの2か月間は基盤になりつつあったと思うんですよね。

その増えた選択肢を今後どうするのかとなったときに、おそらく何も声を上げなければ、「日常」に戻っていき、また消えていってしまうと思うんですよね。それだけに、「それ必要とする人いますからね」っていうことを訴えていきたいんです。

疑似体験から学んでほしい

自粛期間中、多くの人たちが、障害者などの日常を「疑似体験」したと指摘する乙武さん。だからこそ期待したいこともあるといいます。

乙武さん
今回、確かに皆さんは、仕事に行けない、学校に行けない、エンターテインメントを楽しめないという困難に直面したという意味では「体験」だと思います。

では、なぜ疑似なのかというと、今回は、ほぼ全員が一斉にそのことをできなくなったわけです。だから、自分だけができないという「疎外感」はないんですよ。

これまで制限を受けてきた人たちは、みんなが出来てるのに、自分たち一部の人だけができないという疎外感が加わるんです。それがない分、あくまでも「疑似体験」でしかなんですよ。

それでも、これまでよりも声は届きやすくなったのかなとは思うんです。

何も自分の中に経験値がないものを想像するって非常に難しい思うんですよ。でもこの2、3か月で、疑似体験とはいえ、多くの方々がやっぱり体験をした。だから想像力を働かせやすいと思うんです。このツールが人々のために必要なんですって言われたときの説得力は非常に皆さんの想像力を働かせやすいのかなと思うんですよね。

「社会モデル」の実現を

れいわ新選組 舩後靖彦議員

さらに、話題はコロナ禍の国会で起きたこの出来事に及びました。新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、れいわ新選組の舩後靖彦議員がみずからの難病(ALS=筋萎縮性側索硬化症)を理由に国会審議を欠席したところ、一部の国会議員から「欠席するなら歳費を返納しないと国民が納得しないのでは」といった声が上がったことについてです。

乙武さん
舩後さんの国会審議の欠席だけではなく、そもそも、彼らの立候補、そして当選に関して、「自分でコミュニケーションを図ることさえ難しいような議員に国会議員が務まるはずがない」という意見がありました。

これに対してはやっぱり看過することができない。そもそも、重度障害者に国会議員が務まるかどうか、という問いの立て方自体が間違っていると思います。

選挙で選ばれた以上、その人が国会議員として務められるよう、税金を投入しても、政治活動がきちんとできる環境を整備すべきだと思う。それは民主主義の最低条件だと思う。民意で選ばれた人間が、そこから排除されるということがあってはならないと思う。

障害というものをどうとらえるかというのは、2つの考え方があります。

1つは「個人モデル」、昔は医学モデルとも言ってたんですけれども、あくまで障害を抱えているのは個人であるから、それを克服することに責任を負うのは個人であるという考え方。

もう1つは「社会モデル」という考え方。障害者と呼ばれる人たちに、困難に直面させているのは社会の側であり、その障害を取り除いていく責任があるのは社会である。

国際的には、この社会モデルが考え方の基盤になっていますが、日本は遅れていて、個人モデルに立って考えてしまう方が多いんですね。舩後さんのケースに当てはめると、これも個人モデルになってしまってるんです。

国会というのはこういうルールになっている、だからそこにあわないお前は排除するっていう論理になってしまうんですけど、そうではなくて、選ばれた以上、国会というものが柔軟に対応していくべきであるかというのが社会モデルなわけですよね。

だからやっぱり、ああいった舩後さんに対する非難の声をみると、まだやっぱり日本が個人モデルなんだなあということを痛感させられます。

ポスト・コロナ時代へのメッセージ

乙武さん
僕自身は、やっぱり重度身体障害者として、肉体を使う仕事はなかなか難しい。ただ、人間の要素というのは肉体だけではなくて、知的な面であったり、精神力であったり、いろいろなものが複合的に合わさって、形成されています。

おかげさまで、強じんなメンタルとか、コミュニケーション能力とか、そういったことは人並み以上に強い部分があったので、そうやって肉体、それから知力、精神力、コミュニケーション能力など、いろいろな要素を「因数分解」した中で、自分の強みを学び、いかしていこうと思って、ここまでやってきたんです。

コロナ前と今の自分を比べて、「もうだめだ」「いままでのことがうまくいかなくなった」と、悲観的になる気持ちはわかります。

ただ、今の自分を形成している要素を因数分解してみると、「あれ、これもうひと勝負できる要素が自分の中にあるぞ」と気が付くことがあると思います。

悲観的になるなとはいいませんが、いったん、悲観的になりおえたら、因数分解した要素の中から、前向きになれる要素を拾い出して組み合わせて、ポスト・コロナで、もう一勝負できる材料をかき集めていただきたいなと思います。

Q.最後に訴えたいことは?

乙武さん
これは、コロナ前と変わらず「選択肢を増やそう」ということです。

やっぱり、本当に世の中いろいろな立場の人がいるんだ、いろんな状況の人がいるんだということが改めて可視化されたと思います。そして、選択肢を増やそうというメッセージはますますコロナ以降、必要になってくるし、多くの方に響くメッセージになってくると信じています。今後も変わらず、選択肢を増やそうということを発信していこうと思います。

Q.「選択肢が多い社会」、実現は近いですか?

乙武さん
近くないと思いますよ(笑)。やっぱり、この日本の国民性として、同質性というものを重んじてここまで秩序を保ってきたので、ある意味真逆の「多様性」というものは、なかなか受け入れ難いと思いますし、むしろ、抵抗感を示す方も多いと思います。

ただ、やっぱり、この社会がよりよく発展していくためには、多様性というものは必要であり、そのためには選択肢を増やすということは必要不可欠だと思っています。1ミリずつ進めて、20年たったら、2センチ進んだね、みたいにやってくしかないかなあと。泥臭くいきます。

(社会部記者 神津全孝)

【プロフィール】

乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)

1976(昭和51)年生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。杉並区立小学校教諭、東京都教育委員も務めた。現在、作家活動やテレビのコメンテーターとしても活躍。