私はこう考える
シンプルな生活に戻ってみる
作家 多和田葉子さん

おととし全米図書賞を受賞し、ノーベル文学賞の候補と目されるようにもなった作家の多和田葉子さん。30年以上にわたってドイツで暮らしながら、日本語とドイツ語でことばの壁を越えた物語を紡ぎ、世界で高い評価を受けています。その多和田さんは、新型コロナウイルスによって大きく変わりつつある今の世界を、どんなことばで語るのでしょうか。ベルリンの自宅で過ごす多和田さんにテレビ会議システムを使って話をうかがいました。(2020年5月13日)

「お母さんっぽい」首相の演説

ドイツではいまどういう状況なのでしょうか

多和田さん
今は過渡期ですね。これまで外出制限があって、お店全部閉まっていた状態から少しずつお店も開きだし、すごく大きい店以外は開いていいことになりました。3月と比べるとかなり普通な感じになってきました。

ドイツに暮らす人たちの様子はいかがですか

多和田さん
ストレスで我慢できないところにきている人や、仕事を失うかもしれないという人もいて、決して楽観視はできませんが、日本とはちょっと雰囲気が違う感じがするんですよね。ドイツの場合、「自粛」ということはありえなくて、規則を決めて破ったら罰則と、非常にからっとしています。

ドイツでは、メルケル首相が感染拡大防止に向けて国民に呼びかけたテレビ演説が話題となりました。多和田さんはその演説をどのように受け止めたのでしょうか

多和田さん
あのスピーチはちょっとお母さんっぽいとこがあるなと思いました。すごくしっかりもののお母さんが「こういう風にすれば大丈夫だから」と言っている様子でした。

ドイツはカリスマ性みたいなものに対して、非常に懐疑的なんですよね。当然ながらヒトラーとかナチスの歴史があるので。特にコロナ危機みたいなときに、戦時中みたいなことばを使って話す政治家というのに対してはもう誰も信用しない。全然信用できないお父さんが威張って変なことを演説しているような大統領も多い世の中で、お母さんはいいなと思ったんですけどね。

ただ心温かいだけのお母さんじゃなくて、メルケルさんは科学者、物理学者ですからね。(※メルケル首相は物理学者から政治家に転身)科学に基づいてこれはこうなんだよとちゃんと説明してくれて。そこに(国民は)信用するんでしょうね。

「自粛」と「透明感」

緊急事態宣言が延長された日本と、出口を模索し始めているドイツ。それぞれの国の状況を多和田さんはどう見ていますか

多和田さん
日本は「自粛」っていうじゃないですか。うつむいて自分で自分を縛って非常に暗く生きなきゃいけないみたいな語感が「自粛」にはある。

でもドイツの場合は、自粛ということはありえなくて、規則を決めて、規則を破ったら罰金と。非常にカラッとしている。何か規則が決まる時にもわーっと議論が起こるわけですね。その結果として規則が決まると。

そうするとみんなしばらく従って、そのあとどうなるかまた決めるみたいな、透明感があるというか、先が見えている感じというのかな。そういう意味でストレスがたまらないですよね。

日本とドイツのいちばんの違いは何でしょうか

多和田さん
いちばん違うところは、やっぱり文化の果たす役割みたいなものですね。(ドイツでは)人が物事を考えるうえで大きな役割を果たしているというか、大変な問題が起こった時でもアイロニーをもってそれを語るというか。

一方、日本は、自粛だけで決まりがなくてもみんながみんなのためにすぐやってしまうのはすごいなと思いますけど、その真面目さを離れて、もっと批判する人とか、笑う人とか、アイロニーをぶつける人とか、別の未来を思い描く人とか、いわゆるアーティストタイプみたいな意見が政治に生かされていない気がします。

日本の「鎖国的雰囲気」

「全米図書賞」の翻訳文学部門を受賞した『献灯使』は大災害によって「分断」され、鎖国状態となった日本が舞台となりました。今、作品で描かれた「鎖国状態」に世界各国がなっていますが、こういう未来は予測できたのでしょうか

多和田さん
全然予見していませんでした。まさかヨーロッパが鎖国するとは思いも寄らず、私が生きている間、絶対ありえないと思っていたことが起こっているので、私のほうがむしろ驚いています。

一方で日本に関しては、以前から鎖国的雰囲気を感じて、それを『献灯使』で書いたんですよ。なんか日本はすごく鎖国しているなってことは、いろんな条件下で思いますね。どういう政策しているかよくわかんないみたいな感じがあるし、周りと孤立して違うことをやっている。それはいい面もあるんですよ、でも鎖国している日本って何だろうなということはいつも感じますね。

「献灯使」

「フェイクではなくフィクションを作る」

新型コロナを経験し、今後の作品にどういった影響が出てくるのでしょうか

多和田さん
それは書いてみないと分からないですね。でも物語は必要なんです、人間は物語なしには生きていけないので。いろんな小さな事実をまとめて語る、フェイクではないフィクションというのを作っていく。その力は文学にしかない。

もし文学=よいフィクションがなければ、人は、変なフィクションとも言えないような変な物語にみんな踊らされてしまう、またはそれにだまされてしまう。フェイクではなくてフィクションを作る、これは文学の得意とするところだと思います。

今は「シンプルライフの豊かさを味わう」

人々の行動や生活が大きく制限される中、前向きに生きていくにはどうすればいいのでしょうか

多和田さん
この機会にシンプルな生活に戻ってみることですね。私自身はそれ以外にやることがないので本を読んでいるのですが、これが限りなく楽しい。非常に豊かな現代という社会で、こういうプリミティブな単純な本なんていうものを満喫できるチャンスというのはめったにない。そのあと必ずぜいたくは戻ってくるんだから、すごい単純なことを楽しんでね、シンプルライフの豊かさみたいなものを味わう時期として。それから、今こういうことができたらいいのにと思うことがあるとしたら、それは思い描いて楽しむ。そういうことをしてほしいですね。

【プロフィール】

多和田 葉子(たわだ・ようこ)

芥川賞作家。東京生まれ。現在ドイツ在住。2016年にドイツで最も権威のある文学賞「クライスト賞」を受賞。2018年には小説「献灯使」がアメリカで最も権威がある文学賞「全米図書賞」の翻訳文学部門を受賞。ノーベル文学賞の有力候補と目されるように。