天皇皇后両陛下 石川 穴水町と能登町を訪れ 被災者をお見舞い

天皇皇后両陛下は、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の穴水町と能登町を訪れ、被災した人たちを見舞われました。

能登半島地震の被災地訪問は、3月22日に石川県の輪島市と珠洲市で被災した人たちを見舞って以来で、両陛下は、特別機と自衛隊のヘリコプターを乗り継いで、午後1時前に穴水町に入られました。

穴水町では、20人が亡くなり6000棟あまりの建物が被害を受けていて、両陛下は、倒壊した建物が残りほとんどの店舗が休業している町の中心部の商店街で吉村光輝町長から説明を受けられました。

続いて両陛下は、46人が避難生活を送っている近くの公共施設を訪ね、被災した人たちに「大変でしたね」とか「おけがはないですか」などとことばをかけられました。

また、臨時ヘリポートとなった港の広場では、地震による土砂崩れで16人が亡くなった対岸の由比ヶ丘地区に向かって深く一礼されました。

このあと両陛下は、再びヘリコプターに乗って、災害関連死の疑いを含め8人が亡くなり9000棟の建物が被害を受けた能登町に入り、43人が避難生活を送っている中学校を訪れて、被災者と懇談されました。

続いて両陛下は、津波で広い範囲が浸水し住宅が流されるなどした白丸地区を訪ね、大森凡世町長から説明を受けたあと、家屋が倒壊し1人が亡くなった現場の方に向かって深く一礼されました。

穴水町と能登町の避難所では、災害対応にあたった消防団員や医療関係者などにもねぎらいのことばをかけられました。

穴水町の沿道にも多くの人たち集まる

天皇皇后両陛下が訪問された石川県穴水町では、沿道に多くの人が集まりました。

午後1時半ごろ、両陛下が乗ったバスが通りかかると、集まった人たちは歓声を上げ手を振って歓迎し、両陛下も笑顔で手を振られていました。

地震で自宅が大きな被害を受けたという穴水町の80代の女性は「感激しました。町を歩いていると今も涙が出ますが、頑張らなければいけないと励まされました」と話していました。

地元の80代の男性は「遠いところまで来て下さりありがたいと思います。地震が起きてから思い出したくないくらい大変な日々でしたが、元気づけられました」と話していました。

地元の70代の女性は「地震でとても怖い目にあいましたが、一瞬でも両陛下のすてきなお顔を見られてよかったです。いつまでも後ろを向いているのではなく、これから1歩ずつ前に進んで行けたらいいなと思います」と話していました。

穴水町長「感激で胸がいっぱい」

天皇皇后両陛下に被災状況などを説明した穴水町の吉村光輝町長は、次のように話していました。

「天皇陛下は、学校施設の被害に特に関心を持たれたようで、この3か月間、3つの学校が一緒になって授業をしたことについても、非常に興味を示されていました。避難者の数にも非常に興味を示されたので、その点も説明しました。皇后さまからは、地震発生直後や今、特に困っていることは何ですかと尋ねられました。きょうは沿道にたくさんの人がいて、町民がどれだけ元気づけられたかと思うと、感激で胸がいっぱいです」

穴水町の避難者「本当に心から心配していただきました」

穴水町の避難所で天皇皇后両陛下とことばを交わした米田吉朗さん(76)は「天皇陛下から『お宅の方は被害がどの程度ありましたか』と聞かれ、『建物は大丈夫でした』と答えると、『それはよかったですね』とおっしゃっていました。皇后さまは、津波の心配をされていました。本当に心から心配していただきました」と涙ぐみながら話していました。

また妻の美智江さん(76)は「天皇陛下から『大変でしたね』という優しいおことばをいただき、胸がいっぱいになりました。皇后さまからは『地震の時にどこにいましたか』と尋ねられました。『ようこそ』という思いでお迎えさせて頂き、本当にうれしかったです。元気を頂いた思いです」と話していました。

避難所運営の消防団長「後押しを強くされた思い」

穴水町の避難所で両陛下からねぎらいのことばをかけられた穴水町消防団の濱出泰治団長(67)は、住民を避難誘導したり土砂災害現場で救助活動にあたったりしたほか、避難所の運営にも携わりました。

濱出さんは「『寒い時期にたいへんでしたね』というおことばがありました。両陛下はとても優しいことばづかいで安心しましたし、地元で復興を目指す者として後押しを強くされたという思いです」と話していました。

避難所を回った医師「物腰がとても柔らかく緊張せずに話せた」

町内の避難所を回って被災者の診療や薬の提供などに尽力した能登北部医師会理事の丸岡達也医師(63)は「皇后さまから『どんな苦労がありましたか』と尋ねられたので、道路状況が悪くて避難所めぐりに苦労しましたとお伝えしました。両陛下は物腰がとても柔らかくて、緊張せずに話せました。こんな近くでお話する機会はないので、感動しました」と話していました。

住民の治療にあたった総看護師長「本当にありがたく 感動」

また、町で唯一の総合病院「穴水総合病院」で地震発生当日から大けがをした住民などの治療にあたった松井真智子総看護師長(56)は「『水の出ない中大変でしたね』というおことばをいただきました。本当にありがたく、感動しました。両陛下が来られて、きっと町民の皆さんもスタッフも、本当に元気づけられて喜んでいると思います」と話していました。

商店街の住民にも歩み寄りおことば

天皇皇后両陛下は、石川県穴水町の商店街で町長から説明を受けた際、近くの美容室から見ていた住民に気づいて歩み寄り、ことばをかけられました。

店内にいた小林由紀子さんによりますと、両陛下は美容室の入り口から「大丈夫でしたか」とか「いつからお店をされているのですか」などと尋ねられたということです。

そして、店主の女性が「2月1日に水が通るようになり再開しました」と答えると、おふたりは「それは大変でしたね。お体を大事にされてください」と話されたということです。

小林さんが夫と営んでいた衣料品店は地震で全壊していて、12日は、向かいにある美容室から近所の人などとともに窓越しに手を振っていたところ、両陛下が歩み寄って来られたということです。

小林さんは「被災者のことを考えていただいていると思います。本当に大変な状況で、どうすれば元に戻るのかと思うような毎日ですが、両陛下の姿を見ることができて少し幸せな気持ちになりました。少しずつ前を向いていきたいです」と話していました。

(※小林さんの衣料品店の記事はこちらです)

能登町長「感謝のことばしかありません」

能登町の大森凡世町長は「両陛下に来ていただいたことは町民の皆さんにとって励みや希望になると思います。感謝のことばしかありません。出迎えた沿道の人たちがとてもうれしそうな顔をしていて、私も明るい気持ちになりました」と話していました。

能登町の避難所の住民「寄り添ってくれていると感じた」

能登町の避難所で天皇皇后両陛下とことばをかわした水滝勝弘さん(55)は「天皇陛下からは、避難所生活が長くなっていることについて、『不便はないですか』と尋ねられました。両陛下とも物腰が柔らかく優しい感じで、被災者に寄り添ってくれていると感じました」と話していました。

また、山近孝子さん(85)は「おふたりが一生懸命話を聞こうとしていて、私たちの立場を理解しようとしてくれていると感じました」と話していました。

能登町で尽力した人たちにねぎらいのことば

能登町の白丸地区で仮設住宅完成まで3か月にわたって避難所の運営に力を尽くした公民館館長の神田幸夫さん(69)は、天皇皇后両陛下と懇談したあと、「避難所で発生した新型コロナの集団感染に対応したことなどを話すと、両陛下から温かいねぎらいのことばをかけていただき、心が休まりました」と話していました。

避難所となった松波地区の中学校で負傷者の治療や避難者の診察などにあたった舛谷一宏医師(77)は「両陛下から『被災された方々がこれからも健康管理や診療をよろしくお願いします』などとことばをかけていただき、復旧や復興の道のりは長く厳しい状況は続くと思うが、地震に負けずに頑張ろうという思いを新たにしました」と話していました。

また、消火活動や地震で倒壊した家屋からの救助活動を指揮した松波消防団の加原武志分団長(61)は「天皇陛下から『消防としての活動は大変ですね』とねぎらいのことばをかけていただき、勇気をもらいました。親近感を持って話すことができました」と話していました。

馳知事「先月に続いて来ていただいたことに感謝」

能登空港で天皇皇后両陛下を見送った石川県の馳知事は「両陛下ともに被災者に寄り添ったお声がけをして、心を開いていろいろな話をされていた。そのやりとりがみなさんを元気づけていると身をもって感じた。先月に続いて今月も来ていただいたことに感謝したい」と述べました。

その上で「日がたつにつれて地震に関する報道が減っていると感じる。能登半島は復旧・復興に向けて踏ん張りどころで、大型連休にボランティアが来県することも期待したい。きょうの両陛下に関する報道を見て改めて被災地を支援していただけるようにお願いしたい」と訴えました。