台湾東部の地震 死者10人に 15人と連絡取れず 所在確認急ぐ

台湾の東部沖で3日起きた地震で、震源に近い花蓮県のハイキングコースで4日新たに1人が遺体で見つかり、亡くなった人はあわせて10人になりました。
台湾当局はまだ連絡がとれていない人が15人いるとして、所在の確認を急いでいます。

台湾東部の花蓮県沖でM7.2の地震

台湾の中央気象署によりますと、台湾東部の花蓮県沖で3日午前、マグニチュード7.2の地震があり、花蓮県や北東部の宜蘭県、北部の台北市や新北市など広い範囲で強い揺れを観測しました。

現地では、丸1日がたった4日も地震が相次いでいます

10人死亡 1099人けが

台湾当局が地震のあと連絡がとれなくなっている人の捜索を続けるなか、斜面が崩落した花蓮県のハイキングコースで、4日午後、新たに男性1人の遺体が見つかりました。

これで今回の地震の犠牲者は、花蓮県で、あわせて10人になりました。

また、けがをした人は、日本時間の午後9時40分までに新北市や台北市、それに花蓮県などであわせて1099人にのぼっています。

花蓮県では落石や土砂崩れの影響で道路が寸断され、台湾有数の景勝地として知られる太魯閣渓谷にあるホテルで足止めされている人が600人余りいます。

このほか、花蓮県でまだ連絡がとれていない人が15人いて、当局は空からの捜索も行って所在の確認を急いでいます。

傾いたビルから女性1人の死亡確認

台湾メディアのTVBSは、花蓮市にある傾いたビルから20人以上が救助され、このうち女性1人の死亡が確認されたと伝えています。

TVBSによりますと、亡くなった女性は、地震が起きて逃げたものの、13分後に猫を助けようとしてビルに戻ったところ、建物の一部が崩れてきて連絡が取れなくなったとみられるということです。

救助活動を行った地元消防局の担当者は「建物の1階と2階がゆがんでいて建物の重量で人が圧迫されていた」と話しています。

傾いたビルは建設から40年近く経過

今回の地震で大きく傾いた「天王星ビル」は震源に近い台湾東部、花蓮市の中心部にあります。周辺にはホテルや商店などが集まっています。

台湾メディアによりますと、このビルは、地上9階建て、地下1階で、少なくとも79世帯が入居しているということです。ビルは1986年に建設され、すでに建設から40年近くがたっているということです。

現地からの映像では、地震の影響でビルが大きく傾き、1階や2階部分がつぶされているのが確認できます。

台湾メディアによりますと、このビルでは、4日午前、検察当局による現場検証が行われたということです。

検察当局とともに現場を訪れた専門家は「外側から見たところ、ビルは建物を支える柱が不足していて、崩れやすい構造になっている。こうした建物の多くは、規制が厳しくなかった時代に建てられたものだ」と話していると伝えています。

ビルは倒壊する可能性は低いものの、現場検証のあと解体される見込みだということです。

花蓮市 避難所では不安の声

地震で大きな被害を受けた花蓮市では、小学校に被災した住民のための避難所が設けられていて、地震から2日目を迎えるなか、相次ぐ地震などへの不安の声が聞かれました。

「中華国民小学校」では、体育館とグラウンドにあわせて60のテントが設置されていて、花蓮市によりますと、110人以上が寝泊まりしているということです。避難所では、行政が提供しているおむつなどの生活物資のほか、NGOや一般の人が寄付した食料や飲み物が配られていました。

中学3年生の娘と避難している45歳の母親は「地震の揺れで家にはものが散乱していて住める状況ではありません。一番怖いのは余震です」と話していました。

また、孫と避難している68歳の女性は「家の中はタイルがはがれ落ちたり、タンスが倒れたりしてめちゃくちゃな状況です。とてもショックを受けています」と話していました。

地震で再び被害 2回目の引っ越し考える人も

被災者のなかには今回の地震で自宅が再び被害を受けて2回目の引っ越しを考えている人もいます。

花蓮県に住む48歳の女性は、2018年に台湾東部でマグニチュード6.4の地震が発生した際に当時の自宅が被害を受けていまの自宅に引っ越しました。今回の地震から一夜明けて家の中を片づけようと避難先から自宅のアパートに戻った女性は壁に大きな亀裂が入ったり、はがれ落ちたりしているのを目の当たりにしました。

女性は「家の中がこれほどの被害を受けてしまい、思い出が突然壊されてしまった気持ちです」と話し、肩を落としている様子でした。また15歳の高校生の息子は「家に帰ったらあちこちにひびが入っていてあまり自宅に長くいる勇気がありませんでした。次の地震が来たら壊れそうで深刻です」と話していました。

一家は現在、アパートに住み続けるのは危険だと判断して、地元の教会が提供する避難所で過ごしながら新しい住まいを探そうとしているということで、女性は「高さのある建物は探していない。安定した構造の家を探したい」と話していました。

衛星画像で被害状況を分析「大規模な土砂崩れか」

専門家が衛星画像を使って被害の状況を分析したところ、地震の発生直後に山間地で大規模な土砂崩れが起きたとみられることが分かりました。

東京大学大学院の渡邉英徳教授は今回の大地震の発生前後の衛星画像を比較したり、被害の状況を3Dで確認したりすることができるデジタル地図を作成し、インターネット上で公開しています。

このうち、震源に近い花蓮県の山間地では、地震発生後は多くの場所で山肌がむき出しになっていて、大規模な土砂崩れが複数発生しているとみられるということです。

また、地震の発生前と、発生から1時間半あまりの海面の画像を比べると、大量の土砂で海水が茶色く濁っている様子も確認できます。

このほか広い範囲で海面が波打っている様子も確認でき、津波が押し寄せている状況を捉えている可能性があるとしています。

東京大学大学院 渡邉英徳教授

渡邉教授は「大規模な土砂崩れが発生しているとみられ、道路が遮断されて孤立している地域があるほか、これまでに明らかになっていない被害が出ているおそれもある。今後、台風や余震などの影響でさらに大規模な土砂崩れが起きるおそれもあり、予断を許さない状況だ」と指摘しました。

地震計のデータ解析「断層が不規則に破壊」

また専門家が地震計のデータを解析した結果、断層が不規則に破壊されていたことがわかりました。

地震学が専門で筑波大学の八木勇治教授は、今回の台湾付近を震源とする大地震で観測された世界各地の地震計のデータをもとに地下の断層の動きを解析しました。その結果、台湾東部の沿岸付近で、およそ40秒かけて断層が長さおよそ110キロにわたって次々とずれ動いたことがわかりました。

最初に大きくずれ動いたのは地震発生からおよそ4秒後で、震源付近の花蓮県の沖合でした。その4秒後に、北東に30キロほど離れた領域で断層の大きな破壊がはじまり、全体へと拡大していったとみられます。

さらに、その16秒後、地震発生から24秒後には、南西におよそ60キロ離れた領域で断層が大きくずれ動いたということです。

筑波大学 八木勇治教授

八木教授は、断層が不規則に破壊されたことで揺れの伝わり方に影響した可能性があるとしています。

そのうえで、「断層は単調に破壊が進むと考えられがちだが、不規則に破壊されることもふまえて研究を進めていく必要がある。今回、地震が発生した地域は、陸側と海側のプレートが衝突していて地震が起こりやすいので、今後も十分注意が必要だ」と話しています。

TSMC 一部設備が損傷

一方、台湾メディアによりますと、半導体の受託生産で世界最大手の台湾のTSMCは3日夜、今回の地震で一部の設備が損傷し、生産に影響が出たものの工場設備の復旧率は70%を超えていると明らかにしたということです。

TSMCは全面的な復旧に向けて顧客と適切に意思疎通を行っていくとしています。

米「あらゆる支援を提供する用意がある」

アメリカ・ホワイトハウスのNSC=国家安全保障会議のワトソン報道官は3日、声明を発表し「台湾で起きた地震に関する情報を注視しており、日本への影響の可能性についても引き続き注視している。アメリカは必要なあらゆる支援を提供する用意がある」と強調しました。

またカービー大統領補佐官は記者団に対し「われわれの第1の関心事は地震の影響を受ける可能性のある地域の人々の安全だ。当局と連絡を取り合っており、必要な支援ができるように待機している」と述べました。

林官房長官「支援行う用意がある」

林官房長官は午前の記者会見で「日本台湾交流協会による確認や台湾当局の発表によれば、4日朝の時点で邦人の生命や身体に被害が及んでいるという情報には接していない」と説明しました。

その上で「日本政府としても必要に応じて支援を行う用意があるが、現時点で支援要請はなく、まずは台湾側で対応に注力している段階だと承知している。引き続き日本台湾交流協会を通じ、緊密に意思疎通をしていく」と述べました。

台湾から支援受けた石川の被災地 心配の声も

能登半島地震で台湾を拠点とする慈善団体から炊き出しの支援を受けた石川県穴水町の避難所では3日の大地震で現地の被害を心配する声が聞かれました。

穴水町の施設「さわやか交流館プルート」は避難所となっていて、ことし1月中旬からおよそ2週間にわたって台湾を拠点に活動する慈善団体から炊き出しの支援を受けました。

台湾から訪れた10人余りが毎日、昼食を用意し、当時120人ほどいた避難者にふるまったということです。

避難所の女性スタッフの1人は、台湾の人から「平安」という文字が書かれたアクセサリーをもらったということで「アクセサリーを身につけると幸せが訪れると聞き、常に身につけながら活動しています。こちらも大変な状況ですが台湾の人のためにできることをしたいです」と話していました。

また、施設の職員の牛谷内五宏さんは、「1番大変な時期に支援してもらいとても感謝しています。能登半島地震と同じような大きな地震が起きて大変な時期が続くと思いますが復興に向けてお互い頑張っていければと思います」と話していました。

台湾付近を震源とする3日の大地震について能登半島地震のあと、避難所で台湾の医療チームから支援を受けた石川県珠洲市の高校では、現地の被災状況を心配する声が上がっています。

能登半島地震のあと珠洲市の飯田高校はおよそ1か月の間、避難所となり、学校の体育館や教室に一時およそ800人が避難しました。

当時は、台湾から医療チームが支援に訪れ、体調が悪くなった人たちのケアなどにあたりました。

角秀明校長によりますと、医療チームのメンバーは、避難者のケアを献身的に行うだけでなく、地震で倒れた学校内の本棚やロッカーを元の状態に戻したり、物が散乱した職員室を片づけたりするなど、医療以外の面でも助けてくれたということです。

角校長は「台湾の方々が無事であることを祈っています。台湾の学校でも避難所の設営などいろいろと大変な状況になっていると思います。被災者を支援されている人も体に気をつけて活動してほしいと思います」と話していました。

「少しでも助けに」花蓮県出身の女性は

名古屋市の台湾料理店で働く震源に近い花蓮県出身の女性は大きな被害を受けたふるさとの姿に心を痛めています。

名古屋市中区大須の台湾料理店で働く張麗さんは、震源に近い台湾東部の花蓮県の出身で、現地には家族や親戚が多く住んでいて、先月帰省したばかりだということです。

3日の地震のあとすぐに、1人で暮らす88歳の母親に連絡して無事を確認しましたが、家のテレビが倒れたり、物が落ちたりする被害があったということです。

張さんは「花蓮はもともと地震の多い地域ですがこれほどの地震は初めてです。親戚も上下左右、大きく揺れたと言っていました。母親が心配なので、すぐにでも帰りたいけど仕事もあって帰れないのが悲しいです」と話していました。

店には自然豊かな花蓮県の写真も飾られていて、張さんは、大きな被害を受けたふるさとの姿に心を痛めています。

張さんは「自然が多く景色がきれいな自分のふるさとが変わってしまい、さみしく思います。今後は店で募金を始め、みんなの力を借りて少しでも助けになりたい」と話していました。