2021年12月10日
(聞き手:石川将也 佐藤巴南)
「向いてないかもね」…会社の先輩から投げかけられた厳しいひと言。数々の名キャッチコピーを世に送り出すコピーライター・阿部広太郎さんにも、苦悩の時代があったんだそう。”自分のなりたい”をあきらめないためのヒントを探りました。
コピーライターって例えるならばどんな仕事ですか?
皆さんコピーライターって、オシャレで気の利いた言葉を書く仕事なのかなというイメージがあると思うんですよね。
コピーライター 阿部広太郎さん
1986年生まれ。慶應義塾大学卒業後の2008年に電通に入社。2013年に新語・流行語大賞となった「今でしょ!」のフレーズで知られる東進ハイスクールのCM「生徒への檄文」篇の制作に携わる。テレビ、映画、作詞、ラジオ番組など、幅広い分野で活躍中。著書に『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』など。
新聞広告やテレビCMに入る言葉を書くという仕事も、もちろんあるんですけど。
でも、もっと根っこにある部分ってなんだろうと考えた時、僕はコピーライターの仕事は『補助輪』だと思っています。
どういうことですか?
小さい頃、自転車の練習をする時って、始めは補助輪を付けて練習しますよね。
でも、やがて補助輪なしで、すいすいとこげるようになっていくじゃないですか。
はい。
コピーを書くことは、その人がやろうとしている仕事や、新しく生み出したサービスが、少しでも走りやすくするようなイメージなんです。
そして、いつかその言葉がなくても、自分で走っていける、自走していけるような。
だから僕たちがやっていることは、補助輪のように、誰かの「どこかに行きたい」という目標がある時にそれを少しでもサポートをする。そんな仕事だなと思っています。
なるほど。
補助輪をつけてあげるかのように、誰かのファーストステップを作ってあげるのがコピーライターっていう事ですかね?
すでに歩き始めている人もいれば、これから立ち上がりますって人もいます。
だから、最初の1歩っていうよりは、一緒に1歩を作っていくという感覚が近いですね。
時には、補助輪というより、エンジンブースターになれないかと考えることもあります。
かっこいいですね。一緒に最初の1歩を歩むっていう。
阿部さんは、どうしてコピーライターになろうと思ったんですか?
自分の中で、忘れようとしても忘れられない、自分の根っこにあるような思い出があるんです。
中学生のころ、友だちづきあいがうまくできなくて。
それで毎日授業が終わると、とにかく早く家に帰りたいって。
3時過ぎにホームルームが終わって、ダッシュでバス停に行って3時30分発の最寄り駅行きのスクールバスに乗るんです。
当時、お昼にタモリさんの「笑っていいとも!」っていう番組があったんですけど、家に帰ってからゆっくりとコーヒー牛乳を飲みながらその録画を見るのが一番の楽しみの時間でした。
そのころ、ずっとお1人でいたんですか?
登校から下校まで、ずっと1人だったって訳じゃないんですけど。
中学3年生になって卒業アルバムを作るってなった時に、自分が写っている写真が全然なかったんですね。
「お家が一番、落ち着ける場所」みたいに過ごしているとクラスメートとの思い出がなくて。
そうだったんですか…。
それで、中高一貫の学校だったこともあり、このまま、誰の思い出の中にもいないのはさみしすぎるなと思って。
この頃、自分を変えたいと強く思うようになりました。
そこで、高校から飛び込んだ世界がアメリカンフットボールの世界でした。
ある意味、自分を鼓舞したんですね。
それまでの生活との差が激しすぎますね。
もちろん、最初は練習に全然ついていけないんです。でも、なんとか、食らいついていましたね。
1人でいるのは楽だったんですけど、そこに逆戻りするのは嫌だったんです。
やっぱり、自分を変えたい!と強く思って。
実際、変わることができたんですか?
僕、アメフト始める前は、メガネをかけていてひょろひょろの体型だったんです。
メガネがコンタクトに代わり、ひょろひょろがムキムキに変わるとともに、内面も変化してきて自分を少しずつ信じられるようになりました。
最終的には高3の時に応援団長をやったりもして。
えー!!すごい変わりようですね!
結局、アメフトってすごい面白いなと思って、大学の4年間も続けました。
何がそう思わせたんですか?
アメフトを始めてから、自分に居場所ができたと感じたんですね。
それは部室という場所だけでなく、同期や先輩・後輩とのつながりもそうです。
僕はとにかく、人の心のつながりに飢えていたというか。
誰かと同じ時間、同じ気持ちを分かち合いたい。実は、そんな気持ちを心の中に抱いていたんです。
その経験がコピーライターの仕事を志望した理由にもつながっているんですか?
アメフトをやっていて、チームメイト、スタッフ、観客が1つになるような瞬間があって。
自分がやりたい事って何だろう、好きな瞬間って何なんだろうって考えた時に、誰かとつながる瞬間や一体感をつくる仕事ができたら、とても幸せだなって思ったんです。
一体感をつくる仕事、ですか。
広告って商品やサービスから見いだしたメッセージをみんなで分かち合っていきます。
それはつまり、世の中に一体感をつくる仕事とも言えるんじゃないかなと、考えたのがきっかけです。
電通に入社してからすぐ、コピーライターの仕事を始められたんですか?
最初の研修を経て配属発表があるんですけど、そこで発表されたのは人事局。
そこから社会人としての僕のキャリアがスタートしました。
いまのお仕事と全然違いますね!
いま思えば、本当に違う仕事をしていましたね。社内の講演会や新入社員研修を中心に担当をしていました。
そうした中で、転機になったのが学生のインターンシップのお手伝いをしていた時でした。
学生たちが一生懸命、企画のプレゼンをしている姿にどんどんひかれていって。
インターンに参加していた学生たちの姿が転機だったんですね。
うらやましい、すごい、僕がやりたかったのってこっちじゃないか、そっちに行きたい、と。
2〜3歳下の学生たちにジェラシーのような感情を抱きました。
この時、自分がやりたいことが本当は心の中にあるんだけど、そこに向かって努力をしていなかったな、勝手に諦めてしまっていたなということに気づいたんです。
この時が自分にとってのターニングポイントだったんだと思っています。
学生たちの姿がきっかけだったんですね。
はい。それでコピーなどを手がけるクリエーティブ部門に、入社2年目から異動できる試験に挑戦することにしたんです。
頑張ろう、勉強しよう、チャレンジしようと思って先輩のクリエイティブディレクターに相談をして、個別指導のような感じで課題を出してもらうこともしていました。
例えば、マッチのコピーを書きましょうとか。宝くじを買いたくなるようなコピーを作りましょうとか。
お昼休みの時間に「コピー書きましたって」言って。
2、30本のコピーを見てもらっていました。
そんなに!
その場で〇か△を付けてくれるんですけど、ほとんどスルーで、たまに△がつけばいいぐらいの感じでした。
やっぱりうまく書けてなかったんですよ。
それで本番のテストまであと1か月ぐらいのタイミングで「ちょっと向いてないかもね」と真剣な表情で言われて…。
ずっと課題を見てもらってきたので、これがグサッときて。
でも、諦めなかったんですか?
確かにこれまでのことだけで見るとあまり向いていなかったのかもしれません。
でも自分の気持ちはやりたいという方向に向いていて、やってみたい、これからやれる立場に辿りつくんだという気持ちがものすごく強かったですね。
だから、ここからいくらでも成長できる、と解釈したというか。
これからの自分を信じてあげられるのは自分しかいない。自分を信じたい、って思って。
まぁ、強がりもあります。少なくともテストまでは一生懸命やろうと気持ちを切り替えましたね。
自分の気持ちに正直だったんですね。
「僕はどうしてもコピーライターになりたいんだ、やってみたいんだ」という気持ちに目を背けたくないと思っていました。
結果、思いがかなって無事、合格できたんですね。
照れや恥ずかしさは捨てて、この試験会場にいる他の誰よりも書くという作戦で筆記試験は突破できたんです。
それで次の面接でもやっぱり熱意を感じてもらいたいなと思って。
「僕に3年間だけでいいから広告を作らせてください、結果が出なかったら異動させてもらって構いません」って覚悟を宿した気持ちを伝えたら、合格することができました。
晴れて人事から異動になって、そこからは順調にいくものだと思ってたんですが、そんな簡単な世界ではありませんでした。
コピーライターになってからしばらくは、泥水をすするような時間が続いていたんで結構しんどかったですね。
そうだったんですか。
なかなかうまく書けない。書けるようになりたくてコピーライターの養成講座に通っていたんです。
そこで、同期の人に「電通なのに大した事ないね」って言われて、またショックを受けるみたいな。
阿部さんにもそんな時があったんですね…。
うまくいってないのは自分でも明らかでした。
でもとにかく約束した3年間、できる試行錯誤はすべてしようと思って。
なるほど。
そうしたら、本当に自分でもびっくりするんですけど、3年経った時に結果が出たんですよ。
全国のコピーライター・CMプランナーが所属する「東京コピーライターズクラブ」というところから新人賞をもらうことができたんです。
その後、コピーライターの登⻯門とも言われている賞もいただき、自分という存在を誰かに見つけてもらえたと感じました。
とにかく自分のこれからを見て欲しい、こんな書き手がいることを発見してもらいたいという気持ちで取り組んできて、約束の3年間でギリギリ結果を出すことができたんです。
受賞後はやっぱり環境が変わりましたか?
そうですね、職場の環境自体は変わらなかったんですけど。
何か空気感のようなものが変わったというか…。
「阿部くんはコピーライターとしてやっていいよって」背中をポンとたたかれたような感じがして。
1つ、2つのきっかけによって、自分の中で胸を張って歩けるようになったと感じたことが大きかったですね。
後編は近日、公開します。コピーライター阿部広太郎さん直伝の面接のコツや、誰もが感じる「“自分らしさ”って何だろう」といった悩みにじっくり答えていただきました。
編集:秋元宏美 撮影:白賀エチエンヌ
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