2023年08月31日
(聞き手:田嶋瑞貴、堀祐理)
「東京で大地震なんて本当に起こる?」。そう感じる人もいるかもしれませんが、日本は世界的に見ても地震のリスクが高いところに多くの人が住む首都があるんだそう。100年前の関東大震災の被災状況をみながら、何が起こりうるのか、災害報道のスペシャリストに1から聞きました。
「東京で地震」と言われても、なかなか想像できない、という人も多いのではないかと思います。
その感覚はよく分かります。
ですが、実は日本は世界的に見ても危ないところに首都があると言われています。
教えてくれるのは首都圏局の島川英介デスク。東日本大震災や熊本地震など地震の現場を多く取材し、社会部では災害担当として緊急報道や減災報道に携わってきた災害取材のスペシャリスト。
なぜ、そう言われているのか、順を追って説明していきます。
まず、これは防災に関する研究を行う国の機関が、2017年から21年までの地震の震源地をプロットした日本の地図です。
防災科学技術研究所のHPより(NHKサイトを離れます)
日本列島のまわりが真っ赤ですね…。
この地図の日本列島を南側から、地下も含めて断面をみると、こうなります。
まず関東地方の真下に、震源が浅いことを示す赤い点がたくさん見えます。多くの地震が発生しているのが分かりますね。
それに緑色の点が、斜め方向、地下深くに向かって点在していますね。
それは「プレート」と呼ばれるものが地下にあるからです。
プレートってよく耳にしますが、実際はどんなものですか?
プレートとは地球の表面を覆う、硬い岩板です。
地球の表面は10を超えるプレートに分かれているんですが、東京は海のプレートである太平洋プレート、フィリピン海プレート、そして陸のプレートの3つのプレートが重なる場所にあるんです。
それで「どういう理由で地震が起きるのか」ですが、プレートは年に数センチずつ動いていて、海のプレートの方が重いので、徐々に陸のプレートの下に沈み込んでいくんです。
海のプレートは沈み込む時に、陸のプレートも地下に引きずり込んでいきます。すると「ひずみ」がたまって、限界に達する時が来ます。
プレートが沈み込んでいるところで、プレートが急激に跳ね上がるようにして起こるのがプレート境界の地震です。
元の位置に戻ろうとするイメージですか。
そのとおりです。ほかにもプレートの内部に力がかかって起こる地震もあります。
先ほど説明したように東京の地下には、東から太平洋プレートが、南からフィリピン海プレートが、陸のプレートに向かって沈み込んでいます。
3つのプレートが複雑に交差して、いろいろな方向から押し合っているので、ひずみがたまりやすい。
東京の地下には地震が引き起こされやすい場所がたくさんあるとも言えます。
これだけプレートが重なっているところは日本だけなんですか?
世界的に見ても非常に稀です。
ほかにあげるならばインドネシアなどですが、これほど複雑な構造の場所に、これだけ多くの人が住んでいるのは東京くらいです。
実際に東京では過去に大きな地震が起きているんですか?
やはり規模が大きいのは、大正の関東地震、いわゆる「関東大震災」です。今から100年前の9月1日、午前11時58分に起きました。
マグニチュードは7.9と言われています。
一般的には「震度」がよく知られていますが、震度と言うのはその場所での揺れ。「マグニチュード」は地震そのもののパワーを示します。
マグニチュードが1違うと、エネルギーはおよそ30倍違います。
2増えるとおよそ1000倍、違います。マグニチュード5と7では桁違いです。
1000倍と言われても、なかなか実感がわかないんですが、被害もそれだけ大きくなるということですか?
どれだけの被害が出るかは、震源地にどのくらい近いかにもよります。
地球の裏側でマグニチュード9の地震が起こっても、私たちは揺れによる被害は受けないですよね。
関東大震災では、マグニチュード8に近いような巨大地震が、関東地方の真下で起きたことで、すごく大きな被害が出てしまいました。
どんな被害が出たのでしょうか?
当時の東京を撮影した映像があるので、一緒に見ていきましょう。NHKは、白黒で不鮮明だった当時の映像を高精細化し、さらにカラー化しました。
これが今の台東区上野です。地震の後に住民が避難している様子です。
こんな状況だったんですね。
線路みたいなものも見えますね。
はい。街なかには路面電車も走っていました。今で言う“通勤ラッシュ”もあった時代です。
100年前、列車も通っていたんですね。
次に「凌雲閣」という12階建ての当時のいわば“高層ビル”の被害です。
当時はまだ珍しかったエレベーターもついていて、観光スポットとしても人気があったそうなんですが、地震で先端が折れて大破しました。
100年前って思っていたよりも、近代的ですね。
そうですよね。当時、東京圏での人口は768万人に上っていたそうです。
東京圏:埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県のエリア。人口768万人は1920年。2020年は約3691万人が居住。(令和5年版防災白書より)
そして、関東大震災の被害を、ほかの地震と比べたものが下の表です。
亡くなった方が10万人も…。
そうなんです。そのうち9割の人は地震によって起きた火災の犠牲になりました。
たとえば、当時の東京市(現在の千代田区や港区、台東区など)では4割以上にあたる34平方キロメートルが焼け、日本橋区、浅草区、神田区などではほとんどの市街地が焼失しました。
関東大震災のより詳しい被害状況はこちらの記事もご覧ください
どうしてこんなに火災が広がってしまったんですか?
ひとつは、地震がちょうど昼食を作っていた人が多かったお昼どきに発生したためです。
当時は木造の建物も多く、ガスが通っていなかったので多くの家が「かまど」や「しちりん」で火をたいていました。
今よりもずっと火が燃え広がりやすい環境にあったわけです。
さらに、この日は日本海から東北へと台風が通過していた影響で、風が強く吹いていたそうです。風速は10メートルを超えたと考えられています。
これは今の千代田区丸の内。中央に見えるのが帝国劇場ですが、煙がなびいていますよね。
見るからに風が強そうですね…。
東京市では134か所で火災が発生し、半数以上で消し止められずに延焼が広がったと考えられています。
特に今の墨田区にあった被服廠跡では「火災旋風」という火災が起きた際に発生する竜巻のような渦が発生しました。猛烈な風と炎で避難していたおよそ3万8000人が短時間のうちに亡くなったとされています。
火災だけでも甚大ですが、被害はほかにもあったのでしょうか。
地震の揺れ、火災、土砂災害、液状化、そして津波。関東大震災は地震で起こりうる、あらゆる被害が起こったということです。
津波も…。
東京で大きな被害が出ていますが、実は地震そのものを考えると、神奈川県直下の地震だったんです。
最大で熱海では高さ12m、館山で9mの大津波が来ています。東京湾にも津波は来ました。
それだけいろんな被害が同時に起こっていたんですね。
首都機能も大きく混乱しました。
日本政府は当時、加藤友三郎が総理大臣でしたが、地震のおよそ1週間前に急に亡くなっていて、総理不在で組閣もされていませんでした。
震災対策の中心となるべき内務省(現在の総務省など)の本庁舎が焼失するなどして、初動対応が遅れました。
当時の閣僚たちは首相官邸の庭に集まり、臨時閣議を開いて対応を話し合ったそうです。
さらに、警視庁も火災で全焼して機能不全に陥り、救護や避難者の保護などの対応を難しくしたとされています。
そして100年前なので、正確な情報を伝えるテレビやラジオはなく、火災が拡大するにつれて社会はまさに大混乱でした。避難している人の様子をみてください。
荷物が多いですね。
当時は借家が多かったので、荷車に家財を載せて避難しているんですよね。
ただ、みんなが、これだけの荷物をもって逃げようとするとどうなるか。これが鶯谷駅から上野駅に向かう線路です。
高精細化してカラーにすることで、人々の様子がくっきりみえますね。斜面にまで人がいます。
上野公園には50万人が避難してきたと言われています。
当時、東京市(現在の千代田区や港区、台東区など)の人口がおよそ250万人弱ですから、とてつもない群衆ですよね。
地震の直後に避難列車を動かそうとしましたが、避難者が線路にあふれて混乱したため、列車が出られなかったという状況もあったそうです。
それに、東京市で拡大した火災から逃げようとすると、川を渡らないといけないんですが、みんな荷物をもって避難するので、橋で渋滞が起こるわけです。
炎が迫ったり、川に飛び込んだりして亡くなった方も多かったと言われています。
情報がないと混乱するんですね。
そうですね。当時の主な情報源は新聞だったのですが、その場でいま起きていることを伝えるわけではありません。
口頭での伝達や地域の掲示板が頼りになるわけで、確かな情報が不足すると、根拠のないうわさ=流言やデマも伝わりやすくなります。
どんなデマがあったんですか?
「富士山が噴火する」とか、「東京湾に大きな津波が来る」とか。
あと「朝鮮人が襲ってくる」というデマです。
警視庁がまとめた記録集には、当時寄せられたとされるデマとして、以下のようなものが挙げられています。
「昨夜の火災は不逞鮮人の放火または爆弾の投擲」
「朝鮮人、市内の井戸に毒薬を投入」
※1925年 警視庁『大正大震火災誌』より
残念ながら、こうしたデマで実際に殺傷事件が起きてしまい、警視庁も取り締まりに動いたほどでした。
当時のデマの詳しい内容はこちらの記事もご覧ください。
デマの拡散ってSNSを通じて今の社会で起きてもおかしくない感じがします…。
そうですね。ほかにも今の社会に通じることがたくさんありました。
この写真は上野公園。西郷隆盛像に、家族や友人など人探しのため、多くの紙が貼られているんです。
今だとSNSがありますが、地震で携帯電話が繋がらなくなったら、こんなことが起きないとも限りませんよね。
実際に東日本大震災の時には、携帯電話が通じなかったため、多くの避難所で掲示板を使って安否を知らせたり、行方が分からない人を探すために貼り紙をしたりしていました。
携帯電話が通じなくなると想像したこともないですが、そうなると、現代でも100年前と同じような状況になる可能性があるんですね。
「100年前のことだから関係ない」と思うのではなく、「もしかしたら同じようなことが起きるかも…」と考えながら、過去の地震について知ってもらうといいですね。
もし、また関東大震災クラスの巨大地震が来るとしたら、私たちはどう備えたらいいでしょうか。
まず地震の対策として一番大事なのは、“自分が住んでいる場所で命を落とさないか”を考えておくことです。
たとえば、寝ている時に地震が来ても倒れてくるものはないか、家具がドアをふさぐなど部屋から出られなくなる配置にないか、などです。
たくさんの人が一度に避難する事態になると、けがをしてもすぐに助けに来てもらえないかもしれないからです。
そして地震のあと、ライフラインが止まった時にどう過ごすかも具体的にイメージしてみてください。
電気は1週間、水道は1か月止まる想定も必要です。電気や水道が止まったらトイレに困るとか、何となく想像できると思うので備えておくといいですね。
関東大震災の被害を見て、火災が怖いと思いました。
そうですね。当時に比べれば、消防車も増えましたし、防災のレベルは上がっています。
それでも同時に火災が発生すると消防がたどりつくことはできません。「木造密集地域」も残っていて、今も火災が広がるリスクはあります。
自分が住んでいる場所は火災が燃え広がりやすいところか、避難場所はどこにあるか、知っておくと、備えになると思います。
個人でも日頃から備えを考えておくことは非常に重要です。
後編では、この先、「いつ」、大きな地震が東京を襲うのか。東京をめぐる地震のリスクについて、1から聞いていきます。こちらからご覧ください。
関東大震災の記録映像を高精細・カラー化し、生存者の証言音声も交えて、100年前の巨大災害を伝えるNHKスペシャルを、9月2日と3日に放送しました。
WEB特集⇒「関東大震災 記録映像をよみがえらせる カラー化で見えた新事実」
撮影・編集:岡谷宏基
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