2024年2月13日
アルメニア アゼルバイジャン ロシア ヨーロッパ

揺れるロシアの勢力圏 もう1つの「戦争」でロシア離れが加速?

「ロシアに裏切られ、私は故郷を失いました」

涙ながらにこう打ち明けたのは、ロシアの南に位置するアルメニアにいる女性です。

アルメニアは去年、隣国アゼルバイジャンとの武力紛争に敗れ、12万人を超える避難民が発生する事態となりました。

ロシアのプーチン大統領がみずからの“勢力圏”とみなしてきた旧ソビエト諸国。
ウクライナへの侵攻を始めてからまもなく2年となりますが、その“勢力圏”で、ロシア離れの動きが顕在化しています。

(モスクワ支局記者 禰津博人)

アルメニアとは?

ロシアの南側に位置し、トルコやイランと接しているアルメニア。

4世紀、世界で最も古くキリスト教を国教とした国としても知られています。

旧ソビエトを構成していた共和国の1つで、人口はおよそ280万。

公用語のアルメニア語とともに多くの国民はロシア語も話し、エネルギーや経済でもロシアに依存しています。

アルメニアの首都エレバン

ただ、近年、ロシアとの関係が悪化。

その動きがさらに強まったのが「ナゴルノカラバフ」をめぐる問題です。

ナゴルノカラバフ問題とは?

ナゴルノカラバフは、アルメニアの隣国アゼルバイジャンの西部にある地域で、アルメニア系住民が多数を占めていました。

「ナゴルノカラバフ」とは現地の言葉で「山にある黒い庭」という意味で、山岳地帯にある肥沃な土壌に恵まれた土地であることを表しています。

アルメニアがキリスト教を国教とする一方、アゼルバイジャンはイスラム教シーア派の人々を主体としていて、いずれも旧ソビエトの共和国でしたが、1991年のソビエト崩壊とともに、それぞれ独立しました。

ソビエト崩壊の前後に、ナゴルノカラバフのアルメニア系住民がアゼルバイジャンからの独立の動きを強め、アルメニアとアゼルバイジャン双方がその帰属を主張して激しく対立、武力衝突が起きたのです。

係争地のナゴルノカラバフ(2017年)

ナゴルノカラバフめぐる対立 どうなった?

1994年、ロシアの仲介でいったん停戦に合意しましたが、アルメニア側は、ナゴルノカラバフを実効支配し、その周辺のアゼルバイジャンの領土も占領。

アルメニアはロシアが主導する軍事同盟CSTOに加盟し、ロシアを後ろ盾とした一方、アゼルバイジャンは民族的にも近く、同盟関係にあるトルコからの支援をうけて、その後もたびたび、衝突を繰り返してきました。

CSTO=集団安全保障条約機構
ロシアが主導する軍事同盟。アルメニアのほか、ベラルーシや中央アジアのカザフスタン、キルギス、タジキスタンが加盟

近年、アゼルバイジャンはカスピ海の油田開発で経済成長を遂げ、軍事力を増強。

アゼルバイジャンの首都バクー

2020年に再び大規模な武力衝突に発展し、双方あわせて5600人を超える死者が出る事態となりました。このとき、アゼルバイジャンはトルコから最新の攻撃型無人機の支援も得て、多くの地域をアルメニア側から奪い返しました。

一方、アルメニアの後ろ盾であり、仲介役を担ってきたロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始。

こうしたなか、2023年9月19日にアゼルバイジャンが対テロ作戦を名目とした軍事行動を起こしたのです。

「ロシアに裏切られた」故郷失った女性は

アゼルバイジャンが軍事行動を始めた当時、ナゴルノカラバフにいた住民に話を聞くことができました。

アリョーナ・サルグシャンさん(33歳)です。

アリョーナ・サルグシャンさん

ナゴルノカラバフで生まれ育ち、中心都市ステパナケルトで料理学校の先生をつとめていました。将来はイタリアやフランスにも留学し、料理の腕を磨くことを夢見ていたといいます。

しかし、このアゼルバイジャン側からの攻撃で生活は一変しました。

サルグシャンさん
「攻撃の音が聞こえたとき、私は職場の学校にいましたが、母が心配で急いで家に戻りました。
銃撃音が激しくなり、私と母は家の地下室に入りました。姉は職場にいて連絡がつかず姉のことが心配でした。街にミサイル攻撃が始まり、これでもう終わりだと思いました」

そして9月20日。

アゼルバイジャンが軍事行動を始めてわずか1日で、アルメニア側は武装解除を受け入れ、敗北しました。

現地に住むアルメニア系住民は「ナゴルノカラバフ共和国」として“国家”を自称してきましたが、その行政組織も解体され、2024年1月1日に「ナゴルノカラバフ共和国」は消滅しました。

ナゴルノカラバフには12万人のアルメニア系の人々が住んでいましたが、ほとんどの住民が避難民としてアルメニアなどに逃れています。

ナゴルノカラバフから避難した人々(アルメニア 2023年9月)

サルグシャンさんも現在、アルメニアの首都エレバンで、知り合いのアパートに住んでいますが、仕事は見つからず、厳しい生活を送っています。

生まれ育った故郷はなぜ失われたのか。涙ながらに自らの思いを語ったサルグシャンさん。

アルメニアはロシアの軍事同盟に加盟し現地にはロシア軍も駐留していたのに、なぜアルメニア系住民を守らず同盟国としての役割を果たさなかったのかと、ロシアへの強い不信感をあらわにしました。

サルグシャンさん
「ロシアは私たちを裏切ったのです。ロシアは全く頼りにならないと確信しました。
現地にいたロシア軍の平和維持部隊の兵士は私たちを助けず、アゼルバイジャン人がいる地域にいかせたのです。
私は故郷を失い、父の墓も失ってしまいました。大きな悲劇です」

なぜロシアはアルメニアを助けなかった?

歴史的にも関係が深いロシアとアルメニア。

大きな転機となったのは、2018年に起きた民主化運動の結果、欧米との関係も重視するパシニャン政権が誕生し、ロシアとの政治的な関係が冷え込んだことです。

アルメニア パシニャン首相

パシニャン政権発足後、2020年に起きた大規模衝突で、双方あわせて5600人を超す死者が出たときも、ロシアのプーチン政権は「ナゴルノカラバフはアルメニアではなく、防衛義務はない」と突き放しました。

アルメニアの首都エレバン中心部から少し外れた高台を訪れると、兵士たちが眠る集団墓地がありました。

アルメニアの兵士の集団墓地

長年にわたるナゴルノカラバフ紛争で亡くなった数多くの兵士たちが埋葬され、中には、10代の若さで亡くなった兵士の墓もあり、墓参りに訪れた遺族が涙をぬぐう姿も見られました。

そのナゴルノカラバフを失ったことで、アルメニアの人たちのロシアに対する意識にも変化が出ています。

去年11月、アルメニアで行われた世論調査では、アルメニアはロシアとの関係を強化すべきだという声は1年前の17%から14%へと低下。

その反面、EUとの関係を強化すべきだという声は17%と1年前の9%から上昇したのです。

「ロシア離れ」の動きが加速?

ナゴルノカラバフでの敗北以降、パシニャン首相は、ロシアが主導する旧ソビエト諸国の首脳会議を相次いで欠席。

また去年9月には、アメリカ軍と合同軍事演習を実施したほか、フランスのマクロン政権からも兵器購入を取り付けました。

アメリカ軍との合同軍事演習(2023年9月)

パシニャン首相は今月、地元メディアに対し「もはやロシアを主要な安全保障のパートナーとして頼ることはできない。アメリカやフランスなどとより緊密な関係を築くことを検討すべきだ」と発言し、欧米側に一段と接近する姿勢を示しているのです。

さらに、パシニャン政権はICC=国際刑事裁判所の加盟に必要なローマ規程も批准し、今月、ICCに正式に加盟しました。

ICCはウクライナへの軍事侵攻を続けるプーチン大統領に対し、戦争犯罪などの疑いで逮捕状を出しており、プーチン大統領がアルメニアを訪れれば、拘束する義務が生じることになります。

一方、欧米側も、アメリカの政府高官がアルメニアを相次いで訪問するなど、この地域への関与を強める動きを示しています。

アメリカ政府高官と会談するパシニャン首相(2023年9月)

欧米各国の活発な外交活動について、外交筋からは、ロシアの影響力を弱めるとともに、この地域の南に位置するイランを牽制けんせいするねらいもあるという見方が出ています。

ロシアの軍事同盟から離脱も?

それではアルメニアは今後、自国の安全保障にどう取り組むのか。

かつてパシニャン政権で安全保障政策を担当したアレグ・コチニャン氏は、アルメニアは欧米と接近しながら、インドからも大量の兵器を購入するなどグローバルサウスの国々とも多角的に関係を強化し、脱ロシア政策を進めようとしていると指摘。

安全保障政策研究センター アレグ・コチニャン所長

パシニャン政権は、ことし中にもロシア主導の軍事同盟CSTOから離脱する可能性があるとしています。

コチニャン所長
「この地域は、いま劇的に変化しており、もはやロシアの“裏庭”ではありません。
アルメニアが最もロシアに依存してきたのがナゴルノカラバフをめぐってでしたが、われわれはナゴルノカラバフで裏切られました。安全保障をロシアに過度に依存するという戦略的な同盟関係は間違いだったということです。今こそ変える必要があります。
ロシア中心主義の関係はもう終わりであり、アルメニアはロシアから1歩1歩距離を置いていかねばなりません。最終的には、CSTOから離脱することです」

ウクライナの次はアルメニア?

一方で、パシニャン政権の急速なロシア離れの動きには、アルメニア国内から懸念する声も根強く聞かれます。

ナゴルノカラバフでジャーナリストとして活動してきたバン・ノビコフさんも去年9月の軍事衝突の後、アルメニアの首都エレバンに逃れてきました。

ナゴルノカラバフから逃れてきたバン・ノビコフ記者

現在は、アルメニアの国営通信で記者として働いているノビコフさん。

故郷を失ったことに強い喪失感を感じていますが、歴史的な関係が深く、経済面などでも強い結びつきがあるロシアと関係を断ち切ることは難しいと考えています。

ノビコフ記者
「ロシアにもおよそ200万人ものアルメニア人がいるのです。今更、われわれは後戻りすることなどできません。
ロシアとの関係をさらに強化しなければなりませんが、アルメニアはしばらくの間、そうした可能性を逃していたように思います」

また、最大野党の幹部、ゲガム・マヌキャン議員は、ロシア離れを急速に進めるパシニャン政権の動きはむしろ危険だと指摘します。

アルメニアの最大野党の幹部 ゲガム・マヌキャン議員

アルメニアには、ロシア軍も駐留しているだけに、欧米などNATOの軍事同盟に接近する動きはロシアのプーチン大統領の不信感を拡大させ、軍事的な介入すら招きかねないと警告しています。

マヌキャン議員
「アルメニアにはロシアの軍事基地もあります。ロシアが存在しないと考えることは不可能です。
パシニャン首相は、アルメニアの安全保障と外交政策を変えようとしていますが、ジョージアやウクライナでは悲劇的な結果を招きました。われわれは、このことを心にとどめなければなりません」

プーチン大統領はどうでるのか

アルメニアを「勢力圏」と位置づけてきたロシアのプーチン大統領は、パシニャン政権の動きに不快感を示しています。

ロシアの有力紙は、政府高官の話として「アルメニアは、次のウクライナ、モルドバになりかねない」と伝えるなど、緊張も高まりました。

プーチン大統領
「ロシアがナゴルノカラバフを見捨てたわけではなく、判断したのはアルメニアだ。
アルメニアが旧ソビエト諸国でつくるCISや、ロシア主導の軍事同盟、CSTOなどの加盟をやめることはアルメニアにとって利益とはならないだろう」

会見するプーチン大統領(2023年12月)

こうしたなか、2023年の年末、プーチン大統領はみずからの出身地でもある第2の都市サンクトペテルブルクで、旧ソビエト諸国の首脳を集めた会議を開催。

この場に、パシニャン首相を“呼び寄せ”たのです。

プーチン大統領はパシニャン首相と握手を交わし、言葉をかける様子も見せ、旧ソビエトの首脳らを前に、改めて勢力圏の引き締めを印象づけようとしました。

会議に参加したパシニャン首相とプーチン大統領(2023年12月)

アルメニア さらなる戦争の懸念も?

ナゴルノカラバフを失うこととなったアルメニア。現在、アゼルバイジャンとの間で和平交渉が行われています。

ただ、現地の人々からは「戦争はこれで終わりではない。軍事的な勝利で勢いに乗るアゼルバイジャンが、今度はアルメニア本国にも侵攻するのではないか」という不安の声も聞かれるなど、戦争の火種は依然としてくすぶっています。

ウクライナへの軍事侵攻で政治的にも軍事的にも余裕がないロシア。

ウクライナだけでなく、旧ソビエト諸国だったジョージアやモルドバのロシア離れは鮮明となっています。

また、カザフスタンなど中央アジアの国との間にも隙間風が吹き、欧米や中国などが関与を強める中、アルメニアのロシア離れがさらに進めば、勢力圏の他の国々にも波及しかねません。

ウクライナ侵攻から24日で2年となり、3月には大統領選挙も控えるプーチン大統領。欧米との対決が長期化する中、揺らぎつつあるロシアの勢力圏の引き締めが大きな課題となっています。

アルメニアとアゼルバイジャンの国境付近(2023年9月)

(2023年12月27日 国際報道2023で放送)

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