2023年9月19日
香港 中国 中国・台湾

オオカミになった中国? 中国批判が禁じられた香港の今

ある日、羊たちが平和に暮らす村に、オオカミたちがやってきた。そして、村の新しいルールを勝手に作り始めた。しかし、もとの村を守ろうと羊たちは立ち上がり、勇敢に戦った…。

香港には、そんなストーリーが描かれた子供向けの絵本がありました。しかし、その絵本を出版したり展示したりすることは、もうできません。

理由は、政府への憎悪をあおったからだといいます。

(香港支局長 西海奈穂子)

オオカミは中国政府?

警察が押収した絵本

「中国政府をオオカミになぞらえて、香港の幸せな生活を破壊しに来ると子供たちに思い込ませ、中央政府への憎悪と不満を持つよう導いた」

2019年に香港で相次いだ大規模デモなどを題材に、オオカミや羊たちが登場する子ども向けの絵本。

この絵本を出版した若者5人に去年9月、香港の裁判所は禁錮1年7か月の有罪判決を言い渡しました。

絵本を出版し連行される若者(2021年)

さらに、香港では手に入れることが難しくなったこの絵本を海外から輸入したとして、ことし38歳の事務員の男性が起訴されました。

「扇動的な出版物を輸入したこと」が罪に問われたのは、初めてのケースだと伝えられています。

香港ではいま、中国政府や香港政府への憎悪をあおったとして罪に問われるケースが相次いでいます。

香港を変えた“国家安全維持法”の制定

「一国二制度」のもと、民主的な価値観が認められていたはずの香港。その空気が一変するきっかけになったのは2019年でした。

香港政府は、容疑者の身柄を中国本土にも引き渡せるようにする条例の改正案を議会(立法会)に提出しました。

これに対し、多くの市民が「一国二制度を形骸化させる制度だ」として抗議の声を上げました。

100万人を超える大規模な抗議活動に発展したのです。

政府に対する抗議デモ(香港 2019年)

これに対し中国政府は、反政府的な動きを取り締まる「香港国家安全維持法」の導入を決定。

法律は2020年に施行されました。この後、民主派の政治家や活動家が相次いで逮捕されました。

香港政府は「この法律によって混乱を抜けだし、社会に安定がもたらされた」と主張しています。

市民も監視対象 古い法令持ち出し“扇動罪”

香港当局の目は、政治家や活動家だけではなく、一般の人たちのネットでの言動にも向けられています。

香港

日本に留学していた23歳の香港の女性は、ネット上に香港の独立に関わる投稿をして国の分裂をあおった疑いがあるとして、ことし3月、一時香港に戻った際に、逮捕されました。

その後、起訴されたのは「扇動を意図する行為の罪」(以下、扇動罪)でした。

この「扇動罪」は「刑事罪行条例」の中に定められていて、イギリス統治時代の1967年の暴動に適用されたあとは使われず、休眠状態にありました。実におよそ50年ぶりに適用されるようになったのです。

規定では「中国政府や香港政府に対する憎悪、侮辱、不満を刺激すること」などを“扇動の意図”にあたるとしています。

最高刑は初犯の場合5000香港ドルの罰金と禁錮2年です。冒頭で紹介した絵本の輸入についても、この条例が適用されています。

人権団体は「軽微な言論犯罪を処罰するために、扇動罪を適用するようになった可能性がある」と指摘しています。

監視されるネット上の発言 「SNSはすべて削除した」

こうした状況に懸念を強めているのが、かつて抗議活動に参加した若者たちです。

匿名でのインタビューに応じてくれた、楊さん(仮名)。

楊さん(仮名)

楊さんは2019年、政府庁舎に向かうデモ隊の中にいました。

抗議活動が始まって3か月、警察に逮捕された楊さん。その後、暴動罪で有罪判決を受け、1年9か月にわたって収監されました。

出所後、楊さんはフェイスブックやインスタグラムなどにこれまで投稿した写真やコメントを全て削除しました。SNSを見た人に過去の記録を掘り起こされるのが怖いからです。

香港政府は国家の安全を脅かす行為を見つけたら通報するよう呼びかけています。

警察に設けられた窓口には、2023年5月末までに50万件以上の情報が寄せられています。

楊さん
「扇動というのはあまりにも範囲が広いです。一番怖いのは、自分にはそのつもりがなくても、聞いた人がそう思えば、私はもう一度、刑務所に入ることになります」

今では周囲の人を信用することができなくなった楊さん。

外ではあまりしゃべらず、できるだけ静かに暮らしています。政治的な立場が異なる友達とは、連絡を断ったといいます。

今も残る心の傷 6000人が処分決まらず

楊さんのように2019年の抗議活動などに参加して逮捕された人は1万人以上います。

暴動や違法な集会に参加したなどの容疑です。このうち4000人あまりは当時、学生でした。

香港メディアによりますと、逮捕された人たちのうち、およそ数千人の処分がまだ決まっていません。英字紙「サウスチャイナ・モーニングポスト」はその数は6000人にのぼると伝えています。

抗議活動からおよそ4年もの間、処分を待ってる人たちが大勢いるのです。

こうした人たちは逮捕後、保釈が認められて自宅などで生活していますが、定期的に警察に出向いたり、パスポートを警察に提出したりするよう求められます。

保釈中の若者の支援にあたっている弁護士によりますと、中には「きょう眠ったら明日の朝、警察が家のドアをたたきに来て連行されるのではないか」と、いつ起訴されるかわからない恐怖におびえながら暮らし、精神的に不安定になる人もいると言います。

多くの市民が抱える先の見えない不安感。

楊さんはもはや、香港での暮らしを前向きに考えることはできなくなっています。

楊さん
「香港での未来なんて想像できません。みんな一見、普通に会社に行って、家に帰って、正常に戻ったようにみえますが、希望を持てないでいます。将来の計画など、今は何もありません」

高まる中国の影響力 問題視されたろうそく

香港に暮らす陳嘉琳さん(32歳)も、やり場のない憤りを抱えています。

陳嘉琳さん

陳さん
「問題は、越えてはいけない一線がはっきりしていないことです。
毎年同じ事をしているのに、なぜ今になってダメになったのでしょうか」

陳さんは民主派の元区議会議員。2019年に政府に対する大規模な抗議活動に参加しました。

今は、香港で作られたビールやお菓子、雑貨などを販売する小さなお店のオーナーです。かつて抗議活動に参加した若者や近所の人が気軽に立ち寄れる場所を作ろうと、店を続けています。

ことし5月、その陳さんが警察に監視される事態になりました。そのきっかけは、ろうそくを客に配ったことだったのです。

店を訪れる警察官

香港当局が恐れる“ろうそく” 18万人が灯した天安門事件追悼

なぜろうそくが問題視されるのか。

ろうそくは、かつて香港で毎年開かれてきた、天安門事件の犠牲者を追悼する集会で使われてきました。

天安門事件の犠牲者を追悼する集会(2018年)

1989年6月4日、民主化を求める学生たちが武力で鎮圧された天安門事件をめぐっては、中国本土で語ることはタブー視されています。

しかし、「一国二制度」のもと自由が認められてきた香港では語り継がれてきたのです。

多い年にはおよそ18万人が参加。ろうそくに火をともして犠牲者を悼み、中国政府に対して事件の真相究明と民主化を求めてきました。

ろうそくの火は、中国本土とは異なる香港の自由を象徴するものだったのです。

しかし、およそ30年続いたこの集会も今は開くことができません。

記者の目の前で連行された人たち

ことしの6月4日。

かつて追悼集会の会場だったビクトリア公園の周辺では、大勢の警察官がパトロールを行うなど厳戒態勢が敷かれました。

取材で訪れた私の目の前でも、花束を持っていた女性が警察に連行されていきました。

警察に連行される花を持った女性

この日、1人が公務執行妨害の疑いで逮捕、さらに23人が連行されたということです。

追悼の動きは、香港でも徹底して抑え込まれました。

はがされたろうそくの絵 「警察による圧力だ」

6月5日、陳さんのもとに警察官がやってきました。問題視されたのは、店の外に貼られていた1枚のろうそくの絵でした。

この絵に”扇動の意図”があると言うのです。そして、警察はその絵を無断で剥がしていきました。

警察に剥がされたろうそくの絵

陳さん
「香港ではろうそくを飾ることが許されないのですか。私には理解できません。
これは警察による明らかな圧力です。人々をおびえさせ、自主検閲させるためのものなのです」

これまでは合法だったことが、徐々に認められなくなっていく香港。

新しい「レッドライン」が若者たちの心に重くのしかかっています。

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